白鳥の暖簾 1
足元のおぼつかないホストたちは、女性たちに見送られながら「織り姫」を後にした。
ギラギラと輝くネオンの通りは雨に濡れている。傘を差しながら端にたむろし、次にどこへ行くかと盛り上がっていた。
「律さん、このあとガルバ行きません?」
「行かない」
これ以上は次の予定に差し障る。律はあいさつもそこそこに、すたすたと歩いていった。
人混みに紛れてあっという間に見えなくなったその姿に、ホストたちはうんざりと声を出す。
「まじしんどいわ。誘ってんじゃねえよ」
律に声をかけたホストが小突かれた。
「いいよなぁ、律さん。自分の会社で客の女働かせてんだろ?」
「よくできた自動サイクルだわ。俺のエースも働かせてくれりゃいいのに」
繁華街を抜けて幹線道路に差し掛かった律は、タイミングよく停まっていた空車のタクシーに乗り込む。
向かう先は、都内を代表する高級繁華街・銀座だ。新宿に比べれば街並みも人も成熟し、洗練されている。
大通りで降ろしてもらい、傘を開いた。雨が弱まる気配はない。濡れる歩道を革靴で進んでいく。
裏道に入ってしばらく、店先に出された看板を見て足を止めた。
小さなビルの一階にある小料理屋「白鳥」。引き戸の入り口に、暖簾がかかっている。戸のすりガラスから、明かりが漏れていた。
「どうもありがとうございました~」
落ち着いた女性の声と同時に、戸が音を立てて開く。出てきたのは、中年のサラリーマン二人。強く降りしきる雨にげんなりとしながら傘を差す。
見送りに出てきた着物姿の女性に、手をあげた。
「おいしかったよ。ごちそうさま」
「また来るよ」
「ああ、雨が降ってるからね。そんな、出てこなくていいよ」
二人は、律に背を向ける形で去っていく。軒下にいる女性が深々と頭を下げ、暖簾に手を伸ばした。そろそろ閉店の時間だ。
暖簾を外し、中に戻ろうとした女性は、感じ取った気配に顔を向ける。
なにも言わずにたたずむ律を見て、目を見開いた。
「あら……あらあら、来てくれたのね」
その頬は、喜びに緩んでいく。
「入って! ほら!」
「いや、俺は」
「いいから、入って! ごちそうするから」
華やかに明るく手招きし、中に入っていく。律は傘を閉じ、後に続いた。
二つしかないテーブル席に、十名も座れないカウンター席。こぢんまりとしながらも、温かくて品の良い空気に満ちている。
カウンターの中には年を召した女性がたたずみ、律に気づいて笑いかけた。薄緑の着物を着た彼女は、目じりに笑いジワを深く刻んでいる。
律は軽く頭を下げ、たたんだ傘を傘立てに入れた。
暖簾を片付けた女性がカウンターの中に入り、目の前の席を手で指し示す。
「どうぞ。座って」
すでに閉店の時間だというのに、カウンター席にはまだ一人、客が残っていた。その人もまた、女性だ。
パンツスーツを着た近澤は、律を見ながらおちょこをあおぐ。促されるまま、そのとなりに腰を下ろした。
「すぐに用意するから、待ってて」
女性はくるりと背を向けた。少し腰を曲げ、コンロに乗った土鍋からせっせとよそっていく。
そのあいだ、近澤が律に向けて声を発した。
「遅かったね。何回も連絡してたの、気づかなかった?」
「すみません。なかなか抜け出せなかったもので」
二人の前に、鉢が出された。中に入っている卵雑炊から、ふわりと湯気が立ちのぼる。手を合わせてレンゲを取る律は、少量をすくって息を吹きかけた。熱さにおびえながら、少しずつ口に入れていく。
近澤もレンゲを手にし、話を続けた。
「雨の日は茶を引くって相場が決まってんだろ。それともあんただけその条件は適用しないって?」
「否定はしませんが、今日はホスクラにいたわけではなく」
「否定しろよ。相変わらず小憎らしいね」
「同期の営業返しに付き合ってたんです。一件だけですけど」
「営業返しねぇ。キャバ嬢に返すなら、デリヘルで自分のエース指名してやれっつうの」
皮肉る近澤に、いたって真面目に返答する。
「デリヘル嬢は返さなくても、来てくれるものですから」
「悲しいねぇ」
このような会話ができるのも、自分たち以外に客がいないからだ。カウンターにいる女性たちも話に入ってこようとしない。流しで食器を洗ったり電話をかけたりと、なにかしらで動いている。
「事務所からなんか聞いた?」
律は思い出すよう上を見つめ、首を振った。
「いえ、特には。……なにかありました?」
少し間を置いて、カウンターをちらりと見た近澤は、声を落とす。
「ウチから、注意喚起としてあんたのところに連絡させてもらったんだ。盗撮被害にあった子がいてね」
律も同じ声量で返す。
「それはそれは……。デリですか? 箱ですか?」
「デリだよ。盗撮した写真と動画をネットに投稿するのが目的だったらしい。そのために交渉して、本番することもあるんだと」
「……もちろん通報してしかるべき対応はしたんですよね?」
「いいや? 泣き寝入りだよ」
当たり前のように答えた近澤に、律は食事の手を止めた。
「女の子が、被害届を出しませんでしたか」




