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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第三夜 静寂と沈黙の雨
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白鳥の暖簾 1


 足元のおぼつかないホストたちは、女性たちに見送られながら「織り姫」を後にした。


 ギラギラと輝くネオンの通りは雨に濡れている。傘を差しながら端にたむろし、次にどこへ行くかと盛り上がっていた。


「律さん、このあとガルバ行きません?」


「行かない」


 これ以上は次の予定に差し障る。律はあいさつもそこそこに、すたすたと歩いていった。


 人混みに紛れてあっという間に見えなくなったその姿に、ホストたちはうんざりと声を出す。


「まじしんどいわ。誘ってんじゃねえよ」


 律に声をかけたホストが小突かれた。


「いいよなぁ、律さん。自分の会社で客の女働かせてんだろ?」


「よくできた自動サイクルだわ。俺のエースも働かせてくれりゃいいのに」


 繁華街を抜けて幹線道路に差し掛かった律は、タイミングよく停まっていた空車のタクシーに乗り込む。


 向かう先は、都内を代表する高級繁華街・銀座だ。新宿に比べれば街並みも人も成熟し、洗練されている。


 大通りで降ろしてもらい、傘を開いた。雨が弱まる気配はない。濡れる歩道を革靴で進んでいく。


 裏道に入ってしばらく、店先に出された看板を見て足を止めた。


 小さなビルの一階にある小料理屋「白鳥」。引き戸の入り口に、暖簾(のれん)がかかっている。戸のすりガラスから、明かりが漏れていた。


「どうもありがとうございました~」


 落ち着いた女性の声と同時に、戸が音を立てて開く。出てきたのは、中年のサラリーマン二人。強く降りしきる雨にげんなりとしながら傘を差す。


 見送りに出てきた着物姿の女性に、手をあげた。


「おいしかったよ。ごちそうさま」


「また来るよ」


「ああ、雨が降ってるからね。そんな、出てこなくていいよ」


 二人は、律に背を向ける形で去っていく。軒下にいる女性が深々と頭を下げ、暖簾(のれん)に手を伸ばした。そろそろ閉店の時間だ。


 暖簾(のれん)を外し、中に戻ろうとした女性は、感じ取った気配に顔を向ける。


 なにも言わずにたたずむ律を見て、目を見開いた。


「あら……あらあら、来てくれたのね」


 その頬は、喜びに緩んでいく。


「入って! ほら!」


「いや、俺は」


「いいから、入って! ごちそうするから」


 華やかに明るく手招きし、中に入っていく。律は傘を閉じ、後に続いた。


 二つしかないテーブル席に、十名も座れないカウンター席。こぢんまりとしながらも、温かくて品の良い空気に満ちている。


 カウンターの中には年を召した女性がたたずみ、律に気づいて笑いかけた。薄緑の着物を着た彼女は、目じりに笑いジワを深く刻んでいる。


 律は軽く頭を下げ、たたんだ傘を傘立てに入れた。


 暖簾(のれん)を片付けた女性がカウンターの中に入り、目の前の席を手で指し示す。


「どうぞ。座って」


 すでに閉店の時間だというのに、カウンター席にはまだ一人、客が残っていた。その人もまた、女性だ。


 パンツスーツを着た近澤は、律を見ながらおちょこをあおぐ。促されるまま、そのとなりに腰を下ろした。


「すぐに用意するから、待ってて」


 女性はくるりと背を向けた。少し腰を曲げ、コンロに乗った土鍋からせっせとよそっていく。


 そのあいだ、近澤が律に向けて声を発した。


「遅かったね。何回も連絡してたの、気づかなかった?」


「すみません。なかなか抜け出せなかったもので」


 二人の前に、鉢が出された。中に入っている卵雑炊から、ふわりと湯気が立ちのぼる。手を合わせてレンゲを取る律は、少量をすくって息を吹きかけた。熱さにおびえながら、少しずつ口に入れていく。


 近澤もレンゲを手にし、話を続けた。


「雨の日は茶を引くって相場が決まってんだろ。それともあんただけその条件は適用しないって?」


「否定はしませんが、今日はホスクラにいたわけではなく」


「否定しろよ。相変わらず小憎らしいね」


「同期の営業返しに付き合ってたんです。一件だけですけど」


「営業返しねぇ。キャバ嬢に返すなら、デリヘルで自分のエース指名してやれっつうの」


 皮肉る近澤に、いたって真面目に返答する。


「デリヘル嬢は返さなくても、来てくれるものですから」


「悲しいねぇ」


 このような会話ができるのも、自分たち以外に客がいないからだ。カウンターにいる女性たちも話に入ってこようとしない。流しで食器を洗ったり電話をかけたりと、なにかしらで動いている。


「事務所からなんか聞いた?」


 律は思い出すよう上を見つめ、首を振った。


「いえ、特には。……なにかありました?」


 少し間を置いて、カウンターをちらりと見た近澤は、声を落とす。


「ウチから、注意喚起としてあんたのところに連絡させてもらったんだ。盗撮被害にあった子がいてね」


 律も同じ声量で返す。


「それはそれは……。デリですか? 箱ですか?」


「デリだよ。盗撮した写真と動画をネットに投稿するのが目的だったらしい。そのために交渉して、本番することもあるんだと」


「……もちろん通報してしかるべき対応はしたんですよね?」


「いいや? 泣き寝入りだよ」


 当たり前のように答えた近澤に、律は食事の手を止めた。


「女の子が、被害届を出しませんでしたか」

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