表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第二夜 酒も女も金も男も
71/73

去るもの追わず 1




「すごいね、これ。車が今どこにいるのかもわかるんだ?」


 業務管理ソフトの使い方に慣れてきたメイコが、パソコンの画面を見つめ、感嘆の声を出す。


「タブレットでやりとりできるから、女の子がいちいち電話する必要もないし。慣れるとずいぶん楽ね」


「すっごいスムーズになりましたよね」


 キッチンで紅茶を蒸らしていた優希が明るく返す。


「コースとかオプションの聞き間違いも防げるし。合計金額もこっちで計算しなくて済むし」


 カップに紅茶を注ぐ音が響いた。メイコはパソコンに顔を向けたまま、キッチンまで届くよう声を張る。 


「ほんと、教えてくれてありがとうね、優希くん。またわからないことがあったらきいてもいい?」


「もちろん」


 優希は、紅茶の入ったカップを三人分、トレーにのせて運ぶ。メイコのそばに一つ置いたあと、洋室に向かった。


 洋室では、ソファに座る律がホストクラブの情報誌を読んでいる。背をもたれ、足を組んでいた。


「社長、どうぞ」


 律の前にカップを置く。が、律は雑誌から目を離さない。読みながら返事をする。


「ん。ありがと」


「……珍しいですね。社長がそういうの読むなんて」


「そうだな。でも一応は同業だから、たまにはね」


「ふうん、そうですか」


 優希は自身のカップを持ち、律の正面に座る。トレーを机に置き、紅茶をすすった。


「そういえば、もうききました? Candyキャンディのヤエコさんが辞めるって話」


 そこでようやく、律が雑誌から視線を上げた。


「恋人ができたから?」


「お、さすがっすね~。すぐに当てちゃうなんて」


 にこにこと笑う優希に対し、律は平然と返す。


「前にそういう話をメイコさんとしてただろ」


「ですね。彼氏に秘密にできる自信もないし、これ以上裏切っていたくないんですって」


「ふうん?」


 興味なさげに視線を落とし、雑誌をぺらりとめくる。


「残念ですね。ヤエコさん、リピ多くて人気者なのに」


「つっても、プライベートぶち壊してまで続ける必要もないからな」


「それはそうですけど~。今月いっぱいらしいですよ。寂しくなりますね」


 律はテーブルの紅茶を手に取った。まだ湯気がのぼっており、口をつけようとしない。カップ片手に紅茶の匂いをかぎ取りながら、雑誌を読みすすめていく。


「お疲れ~」


 部長の声が玄関から響き渡った。女性たちを送り終えた部長は、真っ先に洋室へ入ってくる。


「あ~、ほんっと疲れた」


 優希のとなりに、巨体をどかりと沈ませた。その勢いで優希が持つ紅茶が大きく揺れる。


「あわわっ」


「杉村、茶ついで」


 横柄な言葉に、優希は顔をゆがませる。


「なんですか、戻ってくるなり。それってパワハラですよ」


「どうせおまえ暇だろうが。さっさと行ってこいよ」


 不満げな表情の優希は、飲みかけのカップをテーブルに置く。立ち上がり、しぶしぶ洋室を出てキッチンに向かった。それを見送った部長は、正面にいる律に神妙な顔を向けた。


「カナさん今日で辞めるって」


 律の視線が上がる。情報誌を閉じ、となりに置いた。


「ああ、そう」


 不愛想にうなずき、カップに口を近づけた。まだ湯気がのぼる表面に、息を吹きかける。


「いきなり辞めてすみません、だってさ」


 部長はテーブルの端に置いてあった灰皿を引き寄せる。スーツのポケットからたばこを取りだすものの、律の視線が自身に向いていることに気づき、元に戻した。


「すまねえ、つい癖で」


 事務所内は禁煙だ。ため息をつく部長に、律は鼻を鳴らす。


「ヤエコもそうだけど、わざわざ辞める申告するなんて律義だな。飛ぶのが当たり前の世界だってのに」


「ヤエコ? ヤエコも辞めんのか?」


「そう。彼氏のために」


「あー……なんかそういう話してたなあいつ」


 律がおそるおそるカップに口をつけたころ、優希が戻ってきた。部長の前にカップを置く。音の強さに不満があらわれていた。


 部長は気にするそぶりも見せず、カップを持ち上げる。


「それと、カナさん、別れるってさ。俺も、それでいいと思う」


「へえ、そうなんだ。よかったね」


 律の返事は素っ気ない。その反応をされるとわかっていた部長は、入れたばかりの紅茶に口をつけた。


 優希が部長のとなりに座り、自分の紅茶を持ち上げる。部長に顔を向け、尋ねた。


「カナさんも辞めるんですか?」


「ああ」


 部屋を出ていたとはいえ、洋室での会話を優希はちゃんと聞きとっていた。


「じゃあ、この場合、賭けってどうなるんですか?」


 部長が苦虫をかみつぶす表情を浮かべる。同時に、律の厳しい声が飛んだ。


「賭け?」


「部長と賭けてたんすよ。カナさんがすぐに辞めるか辞めないか」


「はあ?」


 律は心底あきれた顔で部長を見る。律を見ようとしない部長は、優希に早口で告げた。


「結局カナさん一カ月以上続いたんだっけ? 短いほうだな」


「えー? なに言ってんすか、一カ月は十分長いでしょ。辞める子は一週間とかザラですよ。一日で飛ぶような子もいるし」


「いや、これはすぐだね。うちじゃ二年以上続いてる子も当たり前にいるし」


「すぐじゃないですってば。むしろ平均でしょ! ちょっとお小遣い稼ぎするくらいの平均の期間です!」


 律は再びため息をつき、紅茶に口をつける。だいぶ飲みやすくなってきた。


「次に賭けるときは契約書でも作っとけば? 数字できっちり期間を定めとけよ。……ってことで、今回の賭けは無効だな」


 部長が鼻で笑い、優希は不満げにむくれる。


「社長が言うんじゃしょうがないですけど~。でもやっぱり一般的には長く務めたほうだと思いません?」


「俺が白紙に戻したのにまだ言う? ってかここでそんな賭けすんなよ」


 わちゃわちゃと騒がしくなる洋室を、メイコがデスクから眺めて苦笑していた。


 玄関ドアが開いた音に気づき、顔を向ける。


「おつかれさまで~す」


 ドライバー、ミズキのハツラツとした声が届いた。


「すみませ~ん。なんか夏妃さんが用あるらしくて、つれてきたんですけど」


 リビングにまで来たミズキのとなりには、タイトな服を品よく着こなす夏妃の姿があった。


「ごめんなさいね、みなさん。そろそろ仕事が終わるってときに」


 夏妃は申し訳なさげに笑う。メイコが立ち上がり、そばへ寄った。


「どうかしました?」


「あ、これ。百貨店のお菓子」


 夏妃は下げていた紙袋を差し出す。


「クッキーなの。保存がきくからみんなで食べて。……って旦那が」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ