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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第二夜 酒も女も金も男も
69/73

今いる場所で 1




 この日は締め日。ひと月の指名数と総売り上げが決まり、ホストはなにかとピリピリする日だ。この締め日を理由に女性を呼ぼうと必死になるホストは多い。


 とはいえ、律はいつもより少ない客数だった。たくさんの金を使い飛ばす客に至っては、「騒がしいのは好きじゃない」と別の日に改めることが多い。


 おかげで、酒を大量摂取してグロッキーになるホストが多い中、律は吐くまでにいたらず済んでいる。強者の余裕、といったところだ。


 律は卓席を抜け、休憩をもらう。厨房ちゅうぼう奥では、先に千隼が休憩をもらい、丸椅子に座って水を飲んでいた。


 千隼は律に気づき、柔らかくほほ笑む。


「あ、お疲れさま。イス、座る?」


「いや、いいです」


 千隼が座るその奥に、休憩用の水とコップがまとめて台におかれていた。律が近づいて手を伸ばすと、千隼が先にそれを取る。


 律の分の水を注いで差し出した。律は会釈して受け取り、その場を離れる。壁に背をつけ、スマホを確認し始めた。


 通常、休憩中のホストは、たばこをくゆらせながら営業メールを送るものだ。仲のいいホストと居合わせたなら会話もする。


 律も千隼もたばこは吸わず、スマホを見るだけだ。無言の時間が流れていく。


「すごいね、律くんは」


 先に口を開いたのは、千隼だ。


「連日売り上げ一位じゃん。俺なんて全然かなわないよ」


 律はスマホから視線を上げた。あいかわらず不愛想な顔で千隼を見る。


 返事をせず、近寄りがたい空気をこれでもかと漂わせる律に、千隼は気にせず続けた。


「週末は律くんのために酒がじゃんじゃんおろされるし……。律くんのお客様につくと、たまに金銭感覚おかしくなりそうだよ」


「そりゃ、役職しないでわがまま通用させるには売り上げ出すしかないんで」


「そんなに役職つくの嫌なの? 律くんならもう代表とか支配人レベルじゃん。Aquariusアクエリアスと言えば律くん、みたいなところもあるし」


 律はスマホに文字を打ちながら返す。


「余計な仕事増やしたくないんですよ。俺にとって役職はお荷物でしかないんで」


 ――お仕事お疲れさま~。ほんとうはすぐにでも会いたいけど……今日はゆっくり休んでね。負担、かけたくないからさ。いつもありがとう。今度来るときはさ、 プレゼントしたリップつけてきてよ。――


 トーク画面に出た律のメッセージは、今とはかけ離れた穏やかな口調で、思わせぶりに寂しがる文章だった。それを見下ろす律の目は、冷めきっている。


 その姿を見すえる千隼が、続けて声をかけようとしたときだった。持っていたスマホが震える。タップしてトークアプリをひらいた。


 届いた文章にしばらくほうけ、こらえきれずに吹き出す。


「ふふ……あははっ……!」


 おかしそうな、けれども乾いた笑いに、律は目を向ける。


「は~あ、見てよ、これ」


 千隼はトーク画面を律に見せ、手招きした。眉を寄せた律がいぶかしげに返す。


「客のやり取りをのぞき見する趣味はないんですけど」


「こないだはのぞいてたじゃん。ほら、いいからいいから」


 ため息をつき、しぶしぶ近付いた。千隼のスマホ画面の前でかがみ、メッセージを読む。


 ――やっぱり別れるのは正解じゃなかったと思う。でしょ?


 千隼の元カノ、花音からだとすぐにわかった。似たような文章がどんどん送られてくる。


 ――こないだのことは水に流してあげるから、今度の日曜に会ってあげてもいいけど?


 ――絶対に客扱いしないって約束できるんだったら別れないでいてあげる。


 ――だって一度は結婚を考えた仲だもんね。


「……なんですか。この上から目線のメッセージは」


「ねえ?」


 千隼はひととおり喉を鳴らし、息をついた。いまだにメッセージが届く画面を見る。


「俺、あの日から、がむしゃらにやってきたんだよ。恋愛なんて考えられないくらい、お客さまやスタッフと関わって、なんとか、ホストを続けてきた」


 律は小さくうなずいた。ここ最近の千隼のようすを見ていれば、言うまでもない。


「ようやく、今の自分を受け入れられるようになったんだ」


 トーク画面を見下ろす千隼の目は、冷淡なものに変わっていた。


「うん。別れて、正解だったんだ。……あの日、すぐにこれが送られてたら、もっと揺らいでただろうけど……」


 スマホの画面を、タップする。


「今はもう、お客さまと同じようにしか見えない。……連絡するだけして、店には来ずに恋人になりたがる、お客さまにしか……」


 花音のアカウントを、ブロックした。すぐにスマホを暗転させる。


「とっくに俺はもう、ふっきれてたんだな。今の今まで、彼女の存在を忘れてたくらいなんだから」


  千隼の全身から朗らかな空気が放たれ、その顔には屈託のない笑みが浮かぶ。悩みのタネがなくなった今、千隼は完全に調子を取り戻した。


 今度は律のスマホが震える。画面を見て操作する律の姿を、千隼は見つめていた。


「ありがとう。律くんに、相談できてよかった」


「いや、俺はなにも。最終的にどうするか決めたのは、千隼さん自身ですし」


 なれ合うつもりもなく、なにを言おうが一線を引くような態度の律に、千隼は苦笑する。


「律くんはきっと器用に女性と付き合えるんだろうな。お客さんや店の人にも隠せて、彼女のことも大切にできて」


 文字を打ち込んでいた律の指が、止まった。


「……どうですかね」

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