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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第二夜 酒も女も金も男も
59/73

やるべきことはやりきったはず 1



 Aquarius(アクエリアス)の厨房で、不満げな声が上がる。


「はあ? なにそれ、嫌なんだけど」


 ナンバーツーの部長、志乃が眉をひそめていた。ミルクティー色の髪にパーツの大きなかわいらしい顔をしている。


 その場には志乃だけでなく、ヘルプのホストが数人集まっていた。皆が視線を向ける場所で、律がそっけなく返す。


「しょうがないだろ、おまえ今暇じゃん」


「ぬ……そうだけど」


 志乃は腕を組み、悩まし気に視線をそらした。


「嫌なんだよな。副主任の客ってクセ強い人多いじゃん」


「だから今のうちにヘマしないよう手あいてるやつ集めたんだろ」


 律は集まっているホストたちの顔を見渡す。


 本来ならこれは内勤スタッフの仕事だが、客で埋まる週末では圧倒的に手が足りない。指名客が来ていないホストたちに頼るほかなかった。


「とりあえず、今から千隼さんの客に着いて帰らせるけど、今から言うことしっかり覚えとけよ。部長の志乃が嫌がるくらい難しい相手だぞ」


 ホストたちは神妙にうなずく。


「千隼さんが早退した理由を聞かれたら俺のせいにしていい。俺と客のいざこざに巻き込まれてケガしたって言っとけ。俺の悪口を言うかもしれないけど、そこは否定せず聞き流してろ」


 志乃が腕組みをして鼻を鳴らす。


 あくまでも、女性たちに千隼の印象を悪くしないよう帰らせる寸法だ。


「怒られたら謝り倒せ。プライドは捨ててぺこぺこしてろ。どんなにむかついても顔には出すな。万が一彼女の存在を疑われたらいないって断言しろ。……これだけおぼえてればなんとかなる!」


「はあ~、しんど……」


 志乃は自信なさげに顔をゆがませる。他のホストの中にはメモを取っているものもいた。


「以上! 難しいようなら俺も加わるから! すぐに席につけ!」


 ホストたちは返事をし、スタッフの指示に従いながら厨房ちゅうぼうを出ていく。


「幹部より幹部らしい指示出してるんですけど~」


 志乃は冷ややかな目をして、律に背を向けた。律も急いで水を飲み、自身の客が待つ卓席へと戻っていく。




     †




「すみません、おとなりよろしいですか?」


 言いながら、志乃は千隼の客の卓席に入る。


 席に座る女性は、モデルのような細身で、つり目のクールな顔をしていた。強いオーラを放ち、堂々としていた。体系や年齢に限らず、千隼を指名している客にはこの手の女性が多い。


「は? なに? 千隼は? ヘルプいらないって言ったよね?」


 女性は細めのたばこを深く吸い、煙を吐き出す。灰皿には、もう何本も吸い殻がたまっていた。


 志乃は眉尻を下げつつ、ほほ笑んで答える。


「……実は、顔にケガをしてしまって、今日はもうはやめに帰らせてるんです」


「は? あいつもう帰ったの?」


「はい。他のホストとお客様のトラブルに巻き込まれてしまいまして。ケガもかなりひどいようなんです。じきに本人から連絡が来ると思うんですけど」


 いら立ちを伴う盛大なため息が返ってきた。


「……最悪。せっかくきてやったってのに。じゃああたしも帰るわ」


 吸っている途中だったたばこを灰皿に激しくこすりつける。


「申し訳ございません。もしよろしければ俺がお見送りさせていただいても?」


「ナンバーワンだったらともかく、気持ち悪い顔したあんたの見送りはいらんから」


 女性はカバンの中の財布を探しながら吐き捨てる。


「あんたみたいなの好みじゃないんだよね~、マジで」


「申し訳ありません、出過ぎたマネを……」


「そういうのいいからとっとと会計してくれる?」


 他のホストたちも、律の指示どおり、千隼の指名客に声をかけ、会計を行っている。


 ほとんどの女性が、ホストやスタッフに不満をぶつけ、当たり散らしていた。


「こっちは散々待たされてんだよ? まじ意味わかんないから」


「申し訳ありません。突然のことでしたので」


「それあいつの日ごろの行いが悪いんじゃないの? 店もさ、もっとはやめに対応できたんじゃないの?」


「申し訳ありません……!」


 ここまでの暴言はまだいいほうだ。問題はない。対応を間違えれば、経営者サイドが直接出る事態になりかねなかった。

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