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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第二夜 酒も女も金も男も
56/73

たとえ悪者になってでも 1




 土曜日。飲み屋で一番の稼ぎどき。平日の比ではないくらいに客が入る。


 同伴を終えた律は、席に座る前にトイレへ向かった。中に入ると、手洗い場の前で千隼がたたずんでいる。水は流しっぱなしだ。排水溝に水が落ちるのを影の差す顔で見すえていた。


 無視して通り過ぎたものの、ずっとそこにいられては出すものも出せまい。


 顔を向け、声をかける


「そうとう、きつかったみたいですね」


 鏡の中で、千隼と目が合った。


「昨日、眠れませんでした? 激しすぎて寝る暇がなかったとか?」


 律らしくもない冗談だったが、陰鬱な顔の千隼が笑うことはない。


 律はため息をつき、聞きなおす。


「仕事、できそうですか?」


「……まあ、やるしかないよ」


 ようやく、千隼は水を止めた。苦悶くもんがにじむため息を響かせる。


「ねえ、律くん。……俺って、欠陥品かな? 人として」


 ものものしい悲哀がただよう声だった。


 律は千隼を見据え、口を開く。が、千隼がさえぎった。


「いや、いいよ。変なこと聞いちゃった。……ごめんね」


 千隼はいつもどおりの穏やかな笑みを浮かべ、トイレを出ていく。律はその後ろ姿から、今日一日を乗り越えられるか不安になるほどの疲弊を、感じ取っていた。




          †


  


「ほら~、絶対ヤバい場所じゃん」


 地下にあるホストクラブ、Aquariusアクエリアスへと続く階段に、花音の声が落ちた。シャンパンコールが下からかすかに聞こえてくる。


「ほんと信じらんないんだけど。あんたみたいな生真面目な女がこんな場所にハマってるなんて」


 花音がとなりに顔を向ける。そこにいるのは、律の指名客であるトウコだ。花音のようなおしゃれでかわいらしい格好ではなく、いつもと同じオフィスカジュアルだった。


 真面目な表情で先を降りていく。トウコの後ろに花音が続いた。


「よくないよ~、通い詰めるのも。ホストなんて、ただ貢がせることしか考えてない男ばっかでしょ。金で接客変えてんだよ。客はただのカモなんだって」


「じゃあ帰れば? 来たいって言ったのはあんたでしょ」


 トウコは正面を向いたままだ。花音に対して素っ気ない。


「だって気になったんだもん。あんたが指名してんの、律って名前なんでしょ? 調べたらかなり有名らしいじゃん?」


「そうよ。Aquariusアクエリアスのナンバーワンだもん。週末にわたしが指名したところで、席に座ってはくれないくらい忙しいんだから」


 花音はきょとんとする。


「え? じゃあなんで行ってんの?」


「いや、だから、人が少ない平日に行ってんの。今日行ったって、席に座ってくれるかわかんないよって何回も言ったじゃん」


 トウコは顔をゆがませ、小さく舌打ちした。


「ていうか、彼氏がいるなら行かないほうがいいんじゃない? こういう店」


「平気平気。私のこと大好きなんだから、こんないかがわしい店ばっかの街に来るわけないもん」


「あっそ。でも自分は行くわけね」


 どうでもいいとばかりに先を降りていくトウコに、花音は鼻で笑う。シャンパンコールの音は大きくなり、マイクを通した女性客の声が聞こえてきた。


「ほんと終わってる。男に貢ぐなんて」


 トウコは立ち止まり、花音をにらみつける。


「楽しみ方は人それぞれでしょ。店にはいる以上はそういう言動ひかえてよね」


 圧のあるトウコに、花音はむすっとした顔で返す。


「なによ~。たかがホストでしょ。だいたいね、彼氏がいないからこんなとこにハマるのよ。健全な人づきあいができてたらこんなところにはこないの」


「どの口が言ってんの? あんただって行きたがってたくせに」


「わたしは彼氏いるからいいもん。あ、そうか。ここに来る客はホストを彼氏だと思ってるのか。じゃあ抜け出せないのも無理ないか~」


 二人の後ろから、女性がすり抜けて降りていく。一人で来ている女性は、花音の言葉にちらりと視線を向けていた。


 それに気づいたトウコが、ため息をつく。


「そうやって客を馬鹿にするようなこと言うのもやめて。あなたも今から、その客になるんだから」


「違うもん。今日は律ってやつに会いに来ただけだもん」


 トウコは眉間にしわを寄せ、額に手を当てた。花音と話すだけで疲れてくる。


 こんなことなら来なければよかった。そもそも今日は帰宅して、缶チューハイでも飲んで過ごすはずだったのに。


 花音があまりにも律に会いたいとしつこかったのだ。つれてきたらきたでこのザマ。一緒に店に入って、律に友達だと思われるのが恥ずかしい。


 早く入って早く帰ろう。願わくば律が忙しくして、自分の席に座りませんように。


 ホストクラブに行くにしては珍しい望みを抱えながら、トウコは早足で階段を下りていく。


 店前のホールにたどり着いた。ビルの地下にしては明るく、広々としている。


 開きっぱなしの扉の向こうに、レジで領収書を書いている男性スタッフが見えた。ここから見るだけで、高級感にあふれる上品な内装をしていることがよくわかる。コールやマイクの音をのぞけば、ライトが派手に舞うことはなく、BGMもゆったりとしていた。


 花音はきょろきょろと、あたりを見渡す。ホールの壁には顔写真が飾られ、前回の売り上げ順に並んでいた。


「は? なんで写真ないわけ?」


 一位に飾られた額の中には写真が入っていない。下のプレートに律の名前が貼られているだけだ。


「そりゃそうでしょ。律くん、顔出ししてないもん」


「ふ~ん。やましいことしてるからだ?」


 なんとなく写真を見ていた花音は、四位の写真を目にし、固まった。


「……は?」


 そこにあるのは千隼の写真だ。スーツ姿に黒髪は、他の写真に比べて紳士的な雰囲気が勝り、目立っている。


「ああ、千隼くんね」


 写真を見つめる花音に気づき、トウコも一緒に写真を見る。


「はじめて店に来たときについてくれたのを覚えてる。彼も律くんと一緒で変わった人だね。ホストだけどホストっぽくない感じが……」


 花音の顔を見て、口を閉じる。


 トウコですら今までに見たことのないような、ゆがんだ表情が浮かんでいた。




          †




 席を抜けた律が、レジカウンターに近づく。領収書を書き終えたスタッフに声をかけた。


「ねえ、店長どこ行ったか知らない?」


「いえ、こちらにはきてませんが」


「店長に出ろって指示されたから出たのに、肝心の店長がいなくなってんの」


「別の卓席の対応されてるんじゃないですか? それか厨房ちゅうぼうとか」


「あ~、さっきからコール続いてるからな~」


 出入り口に客の気配を感じ、顔を向ける。ホールの写真を見る二人の姿を見つめ、眉をひそめた。


 女性たちが見ている写真は、千隼のものだ。


「すまんすまん、律!」


 店長が駆け寄ってきた。

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