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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第二夜 酒も女も金も男も
44/72

悲惨な未来にならないように 1




 高級ホテルの一室。

 扉が開き、カナがでてくる。タイトで白いワンピースに、ストレートロングの黒髪が映えていた。


 部屋の中にいる客に向かって、頭を下げる。


「今日はありがとうございました」


 扉が閉まるまで、カナは何度も頭を下げる。


 上層階の廊下は広々として、ひどく静かだ。カナの控えめな声と、完全に閉まった扉の音がやけに響いた。


 ドアの横で気配を消していた部長が、口を開く。


「じゃ、行こうか」


 二人でエレベーターに乗り、フロントへ降りていく。エレベーターの中はきらびやかで広い。

 扉が開くその先は、先ほどの階とは違い、キャリーケースを引く者が行きかっていた。広々としながらもにぎわっているロビーを、二人はなに食わぬ顔で横切る。


 駐車場に出て、すみに停めていた黒塗りの送迎車に乗りこんだ。部長は運転席で、カナは後部座席だ。


 エンジンがかかった車はホテルを出発し、次の仕事先へと向かう。


「連続でお客さん入っちゃってるけど、疲れてない? 大丈夫?」


 部長の顔にそぐわない優しい声に、カナは穏やかな笑みを見せた。


「はい、大丈夫です。心配していただいてありがとうございます」


 社長である律の指示で、あの日以降、部長とカナは常に一緒だ。出勤するカナを迎えに行き、ホテルの部屋まで送って、終わったら出迎え、次のホテルに向かう。


「さっきのお客さんはどうだった? 変なことしてこなかった?」


「はい。優しい方でした」


「そう? よかったね」


 部長と話すカナは、以前のような暗さを感じさせない。仕事の手ごたえを自分なりにつかんできたのだろう。


 カナは窓に顔を向ける。流れていく街並みに、しみじみとした声を出した。


「そういえば、さっきのホテル。かなりすごかったですよね」


 高級菓子店に喫茶店、バーが併設された名のあるシティホテル。その中でもカナが呼ばれたのは上層階だ。


「部屋もすごく広かったんですよ、景色もきれいで。あんな高級なホテル……わたしじゃ絶対泊まれない……」


「あそこ、最低でも一泊で十万以上するらしいよ」


「うわ! やっぱり! ってことはあの階数で……いやあ、想像つかないな~」


「俺たちも絶対手が出せないよ。最高で五十万くらいの部屋から呼んだ人もいるしね」


「すごい。ほんとうに別世界だ……」


「稼ぐ仕事に就いてる人ほど、仕事で変なところを見せられないから。金を出してでもこういう息抜きをしたがるんだろうね」


 苦笑する部長に、カナは感嘆の息を漏らす。


「わたし、ちゃんと金額に見合ったこと、できてるんでしょうか」


「できてるよ。ちゃんとキャストとして在籍してる時点でね。落とされる人もいるし」


「落とされる人いるんですか!」


 カナは目を丸くしたあと、物思いにため息をついた。


「じゃあわたし、運がよかったんだな。みんなに迷惑かけてるのに、それでもいさせてもらってるし」


 眉尻を下げながらほほ笑むカナは、運転中の部長を見すえる。ここ最近一緒に行動していた部長には、完全に心を開いていた。


「メイコさんから聞いてます? どうして私がこの仕事をし始めたか」


 部長は後ろを気にしながら答えた。


「ああ、いや……どうだったかな」


「実はね、わたしの旦那がすっごい借金しちゃったんです」


「……そうか」


 風俗の世界ではよくある話だ。カナは笑みを浮かべながら続ける。


「もともと甲斐かい性がない人だったんです。ウソはつくわ、女遊びはするわ、ギャンブルはするわ。そのくせ仕事も続かない……。気づいたときには目が飛び出るほどの額を借金しちゃってて」


 声色は明るいが、内容としては悲惨だ。部長は神妙な声で返す。


「そいつぁ、大変だったな」


「そのくせ、商才がないんですよ、ほんとに。変なものに投資するし、必要のない機材を購入したりするし」


 笑っていたカナは、むなしいため息をついた。それ以上はなにも言わず、顔を外に向ける。


 景色を見すえるカナの顔は笑みが消え、幸の薄さがこれでもかとただよっていた。


「カナさんは、えらいよ」


 温かく、重い声だった。


 風俗で働く女性には、大なり小なり事情があるものだ。いちいち同情して慰めていたらきりがない。


 それでも、部長はできる限りカナに寄り添う言葉をかけた。


「自分の体で旦那の借金返そうとしてるんだから、あんた強いよ。この世界に飛び込むのにも、かなり勇気がいったろうに」


 彼女たちも一人の人間だ。正論をぶつける必要はない。深入りする必要もない。


 そんな男と別れるように助言したところで、今のカナにとっては余計なお世話でしかないのだ。カナの目的はあくまで、この仕事で夫の借金を返すことなのだから。


 個人として思うことはあっても、スタッフとしては励ますことしかできない。この仕事で、カナに目標金額を達成してもらうためにも。


「でも、カナさんの体はカナさんのものだからね。自分の意思で働いて、自分の意思で休むんだよ。こないだみたいに、無理はしたらだめだ。……こういう仕事だからって、自分を大事にする心は、なくしちゃだめだよ」


「はい」

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