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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第一夜 Executive Player 律
29/72

締め日の優雅な攻防戦 3




 やがて、コールが止み、ホストたちは散り散りになる。律がいる卓席を見て、女性が鼻を鳴らした。


「なんだ、おばさんじゃん」


 となりで同じように見る拓海も、笑う。


「あの人初めて見るから、そんなたいしたことな……うぇ?」


 拓海の席からも、見えた。律の卓席に置かれているボトルが。


 酒好きなら誰もがその名を耳にする最高級ワイン、ロマネコンティ。原価もさることながら、ホストクラブでの値段はさらに跳ね上がる。

 Aquarius(アクエリアス)では時価に応じながら四百万以上で提供される。どのホストクラブでも三百万はくだらない。


 拓海と女性が頼んだエンジェルシャンパンは、Aquarius(アクエリアス)価格で五十五万円。比べ物にならなかった。


 近澤は二人の卓席に顔を向け、意地悪く笑い返す。強者の余裕だ。


「どう? もしかして私、今日ラスソン歌ってもらうことになるんじゃない?」


 律は苦笑した。


「あ~。そうですね。でも俺いつも歌わないので」


「え? なんで? ヘルプの誰かに歌わせたらいいのに」


「ですので、いつも二位の子に歌わせてます」


 ピースにした手を見せながら、無邪気に笑う。


「あー……今のであんたがいかに敵が多いか、わかった気がする」


 すでに開いているロマネコンティを、近澤のグラスに注いだ。


「一応聞きますけど、コールはよかったですか?」


「ここVIPも来るような高級店でしょ? 高級店であのノリは好きじゃなくって」


「そう言うと思いました」


「ワインも自分で飲むし。……あんたも飲みな。ああ、酒弱かったんだっけ?」


 近澤は律がもっていたボトルを奪う。律の前に置かれたグラスに少し注いだ。


 優雅に乾杯をして、口をつける。


「まあ、マイクパフォーマンスで嫌味の一つくらいは言ってもよかったかな」


「近澤さんの場合ゴングが鳴って試合が始まりそうですね」


「どういう意味よ?」


 くすくすと笑う律に、近澤はあきれたため息をつく。


「まあいいわ。あの顔見れただけで十分だから」


 ほら見なさい、と近澤は拓海の卓席に顎をしゃくる。


 ちらりと見たその席で、女性が顔をゆがませながらこちらをにらんでいた。拓海が必死に機嫌を直してもらうよう話しかけるものの、女性は相手にしていない。


「……ネットに書き込まれたとしても大丈夫よ。あんた伊達だてにナンバーワンじゃないんだから。ほんとうにやばそうだったら私がなんとかしてあげる」


 律は遠慮がちにワインを飲んでいく。


「お気遣いはありがたいのですが……。これ、会社のお金だったんじゃないですか? 大丈夫ですか?」


「大丈夫よ。痛手だけど、私のポケットマネーだから」


「なおさら申し訳ないですよ。俺のためにすみません、近澤さん」


 近澤の口角が、自信満々に上がった。


「ほんと、あんたに一杯食わせられたわ。同業者をわざわざここに呼び寄せて、一緒になってバカにされるっていう演出仕組まれたんだから」


 近澤も、律と同じだ。社長として、いくつもの風俗店を束ねている。


 近澤がAquarius(アクエリアス)を訪れるのは、あくまでも仕事の話をするためだ。高級なシャンパンはめったに頼まない。

 近澤の言うとおり、先ほどの状況はイレギュラーだ。腹を立てて身銭を切ったに過ぎなかった。


 律は苦笑しながら手を振る。


「演出だなんてまさか。そんなつもりは全然」


「わかってる。きっと、店長やらスタッフやらがたくらんだんでしょ。金持ってるってバレてるから」


 持っていたワイングラスをくるくると揺らす。中のワインが滑らかに回る。


 グラスにうつる近澤の顔は、冷ややかだ。


「調子に乗るなって話よ。こっちは、使ってあげてるの。雇うか決めるのも店、売れるよう設定を考えるのも店、客がつくよう写真をなおさせるのも店、宣伝するのも店。簡単にトンズラできるお嬢ちゃんとは、違うの」


 拓海の卓席にいる女性には、届くことのない声量だ。


「一労働者が、経営者にたてつこうなんて、身の程知らずもはなはだしいわ」


 こちらをにらんでいた女性は、親指の爪を噛み始めた。対応に困った拓海は、もうなにも話そうとしていない。


 近澤は鼻を鳴らし、グラスに口をつけた。


「あんたもなかなか大変ね。あんなのに敵視されるなんて。いつもああなの?」


「そんなことは」


「うまくいかないことも多いんじゃない? 病んで辞めちゃうような子もいるでしょ?」


「ですね。でもこれも仕事のウチですし、気にしたら続けられませんよ」


「そうよね。あんたはそういう男よね。だから私、あんたのことが信じらんないの」


 瞬間、周囲の空気が重苦しいものに変わる。


「問題のある女の子にお金を貸すのは、どう考えても愚策でしょ。とっととクビにするべきだったのよ」


 律を見る近澤は、冷淡な経営者の顔をしていた。律も、経営者としての神妙な顔を向ける。


「確かに、おっしゃるとおりです。……が、今思えばあれが最善でしょう。クビにするのは、いろいろと角が立ちますからね。あの子の性格ならごねにごねたでしょうし」


「自分の身銭切ってでも追い出せてよかったって? ポジティブに考えすぎじゃない? とことん女に甘いわね、あんたは」


「過ぎたことより今からのことを考えるほうが賢明です」


 近澤は息をつき、グラスに口をつけた。中身がなくなると、言われる前に律が注ぐ。近澤はグラスにゆっくりと注がれるワインを見つめ、口を開いた。


「そっちんとこの部長から、連絡が回ってきたからね。資料を届けるついでに聞いたのよ、いろいろ」


「そうですか」


「来てるよ、ウチに」


 律は注いでいたワインをあげ、テーブルに置く。


「箱ですか?」


「うん。でもソープね。給料にひかれて来たんでしょ。ウチは比率が多いほうだから。……よかったね。地方にも海外にも飛ばれてなくて」


「地方に行く度胸も海外に行くほどの知識もないような子です。それはないと思ってました」


「おぉ……結構いうねぇ……」


 ワインに口をつけた近澤は、グラスを揺らす。


「そっちのスタッフにはもう連絡入れておいたから。あとはこっちに任せといて。あんたの借金を返すまでは絶対に辞めさせない」


「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」


 頭を下げる律に、近澤はびしっと指をさした。楽しそうに、いたずらっぽく笑っている。


「一個、貸しね。いつかは返してもらうから」


「……近澤さんならそう言うと思ってました」


 苦笑する律の反応に、近澤は喉を鳴らす。細めている目から、感情が消えた。


「どうせウチを逃げ出したところで、あの子の居場所なんてない。辞めることすら、もうできないわよ」


 近澤はワインを一気に飲み干す。律にグラスを向け、おかわりを催促した。律は営業用の笑みを浮かべ、ワインを注ぐ。



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