おやすみバレンタイン
……。今日は休みになるかな。
電車に揺られながら窓の外を見ると、見慣れた景色が白銀に染まっているのが確認できる。
2月14日。
高校2年生として17回目のバレンタイン。
特にあてはないけどなんかいいことないかなと少し楽しみにしていた今日だが、この様子だと学校は休み。何のドラマもないまま終わりそうだ。
学校まで2時間弱かかる僕が家を出る時はまだ雪はそんなに強くなかったけど、電車に乗る頃には結構大粒の雪が空からどっさりと落ちてきた。
まだ電車は動いているけど、止まるのも時間の問題。ドアが閉まったまませめて止まってくれと思った。
キーーーッ…。 ガタンッ。
言ってる側から電車が止まった。
「えぇーっ、ただいま、大雪の影響のため、電車の運転を見合わせております。お客様には大変ご迷惑をかけますが、しばらくお待ちください。」
そうアナウンスが聴こえると、周囲の社会人は「勘弁してくれよ…。」と呟いた。周囲の学生からは「やった!今日休みだ!」という声と「せっかくチョコ作ったのに…もう。」という声が半々くらいに聴こえた。
あと4駅進めば学校の最寄駅へ着く。最寄りからは徒歩20分。学校に無事つけたとしても、2時間目の終わりくらいの時間になりそうだ。
ブーッ。
ポケットのスマホが震える。
「今日休みらしいよ」
親友の一馬からラインが来た。
「まじかー。」
そう返信し、ポケットにスマホをしまう。
家に帰るだけで午前中を終えてしまいそうだ。もっと早くに分かればいいのに…。
背中に貼っていたカイロの熱が段々と鬱陶しく感じてきた。
雪の日の電車はやたら暖房が効いていて、室内と室外の寒暖差が大きく、室外に出た時のためにがっつりと重装備の服装で行くとかなり暑い。
僕はカバンを下ろし、着ていたコート脱いだ。あんまり涼しくなった気がしないが、まあ着ているよりは全然マシ。
僕は再び窓の外を見つめながら考えた。
(とりあえず、学校に行ってみよう。)
どうせ帰るのにまた何時間もかかる、それなら少し学校に行って、気持ちだけでもバレンタインを過ごしてみるのも一興だ。
そう決めてから僕は愛読書のミステリー小説を読み、時間を潰しながら電車にしばらく揺られていた。
ガタンゴトン。
いつもより大分ゆっくりと動く電車だが、それでも少しずつ前に進み、小説を120ページくらい読み進めた頃、電車は学校の最寄駅に着いた。
電車から降りると、外の冷たい空気が一気に僕の体温を奪った。こっから徒歩20分。
まだ降り続く雪と地面にどっさり積もった雪を考慮に入れるともっとかかりそうだけど、とにかく学校へ向かおうと僕は歩みを進めた。
サクッ、サクッ。
生まれてこの方引っ越したことなく、ずっと都会で過ごしていた僕にとってこの感触は大分新鮮だ。
その感触を楽しみ、最近入れた曲を音楽プレーヤーから流しながら歩いていたらあっという間に学校へ着いた。
職員室の電気がついている。
先生たちは大変だな…と思いながら僕は校舎の中へ進んでいった。
校舎に入り、階段を上って3階にたどり着く。既に12時半を過ぎていて普段であれば昼休みだから相当賑やかな廊下だが、しーんと静寂を保っている。
なんだか可笑しい。
ただ登校しているだけなのに、なんだか少し悪いことをしているようで楽しい。
そんな調子で教室までたどり着き、ドアを開ける。
「うわっ!びっくりしたぁ!」
その声に僕も「うぉっ!」と驚く。
先客がいた。
黒井有紗。
クラスでも可愛いと人気の女子である。黒井からチョコを貰うのを楽しみに今日を待っていた男子も多いのではないだろうか。
「どうしたの?今日学校休みだよ?」
「その言葉バットで打ち返すわ。黒井家近いだろ。なんで来たんだよ。」
黒井の言葉に僕がそう返すと黒井は
「あぁ、なるほど。三上君家遠いもんね。」
と一瞬頷くも、
「いや、遠いなら遠いで途中で引き返すでしょ??友だちから休みだってきけなかったの?友だちいないの?」
と改めて質問を返された。忙しない女である。そして若干失礼なやつ。
「いや、せっかくだし、雪の日の学校を拝んでみたくてな。」
そう返すと「そっかぁ。なるほどね。」
と今度は普通に頷いた。
「黒井は?」
「私は……今日バレンタインだからさ…。誰か来てないかなって思って…。チョコこんなに作っちゃったから…」
黒井の持ってる袋には確かにどっさりとラッピングされたチョコレートが入っていた。よくもまあこんなに作ったものだ。
「すごい量だな」
「でしょ?持ってくの大変だった。学校に誰か一人でも来たら渡そうって思ってねー。待っても待っても全然誰も来なくて焦ってるけど…。」
長い時間かけて学校へ行くのも大変だけど、長い間教室で1人待つのも大変だろう。
見上げた根性だ。
「どっかのモテないブロガーがネカマになって語ってたけど本当女子って女子同士あげたりするんだな。」
「うん。めんどくさいよね正直。」
黒井は苦笑いした。
「それじゃあ義理から少し加工した、義理と微妙に違いのある本命ってのもあるの?」
「えっ、そんなことまで語ってたの?そのブロガー??」
黒井は困った顔で大げさに苦笑いした。
「そのブロガーの人男じゃなくて女なんじゃないの?」
「いや、他の記事読んでると男だなって思うよ。変態っぽいし。」
「変態なんだ笑」
今度は普通に笑った。そして少しするとスッと真面目な表情をし、黒井は遠くを見つめた。
「三上くんは本命チョコ貰ったら嬉しい?」
先程と様子が違う黒井。何か本命チョコに思うところがあるのだろうか。
「そりゃあ嬉しいよ。嬉しくない奴なんていないだろ。」
「くれた人がさ、ブスでも??」
「黒井は自分のことブスだと思ってるの??」
質問をし返すと黒井は再び笑った。
「どうだろっ。ブスじゃないって信じたい笑」
「ブスではないだろ。むしろ可愛いの部類だろ。」
僕が即答すると
「えへへっ。ありがとう。」
と黒井は笑った。そしてまたスッと真顔になり、遠くを見つめる。なんだか情緒不安定ぎみだ。
「三上くんって彼女いたっけ?」
「えっ。」
唐突な質問に心臓がドクンっと跳ね上がった。黒井の事はそこまで意識したことがなかった。でもそう問いかけられるとなんだか変に意識してしまい、急に黒井といることにドキドキした。
「いないけど。」
「いそうなのに。」
「そうかな。」
「そうだよ。」
胸の鼓動が高鳴る。言葉を吐くまで時間が少しかかる。
「あのさ、もしかして黒井は…」
「彼女いる人を好きになっちゃったんだ私。」
「えっ?」
淋しそうな表情を浮かべた黒井。
さっきの会話でドキドキした鼓動は止まらず、そんな黒井を不覚にも綺麗だと思ってしまった。
「知ってるかな。大島って人なんだけど。3組の」
「あぁバスケ部の」
「うん。」
「そっか…。」
「うん…。」
さっきよりも長い沈黙が訪れた。外をちらっと見ると先ほどよろしく雪が降り続いている。
バスケ部の大島。
確か一個下のマネージャーの子と付き合ってる三組の男。
顔が特別整ってる訳ではないけど、身長が高くて、寡黙なところが大人を感じさせるやつだった。
前にクラスが一緒だった時に、中学の時から今のマネージャーと付き合ってることを本人から聞いた。
マネージャーの子も可愛いと評判で2人で帰ってるところを何度か見たことがあるが、お似合いのカップルそのものだった。
その2人に割って入るのは少し厳しそうだ。
「他の人には言わないでね。」
「言わないよ。言っても何の得にもならないし。」
「ありがとう。」
カイロの熱が少しずつ冷めていき、寒気を感じる。
人と会話をするのってこんなに難しかっただろうか。
女子と会話をするのはこんなに難しかっただろか。
先ほどからうまく言葉が出てこない。
「大島は今日学校には…」
「来てないよ。来るわけないじゃん。明らかに休みだよ今日は。」
それを言ってしまうと今ここにいる僕が馬鹿みたいじゃないか。馬鹿なのだけれど。
「でも、よかったんじゃないか。逆に。残念ではあるけど。」
「そう…だよね。うん…。」
ガサゴソガサゴソと黒井はチョコの入っている袋を漁った。そして机の上に2つのチョコの入った袋を取り出した。
「こっちが、普通の義理チョコ。こっちが義理に見せかけた本命チョコ。」
置かれたチョコレート。本命の方が少しピンクがかっている。少しではあるが。
「いちご味が好きって言ってたから。少しだけイチゴ味のチョコレートを入れてみたんだ。」
本当少しの工夫。でもその工夫が、好きという気持ちの証明になる。僕は鈍感だけど、それくらいのことは分かった。
ガサゴソガサゴソっ。
黒井は義理チョコを大量に袋から取り出し、パクパクと食べ始めた。
「黒井…。」
「三上くんも食べていいよ。」
「……。太るぞ。」
今度は鋭い目でギロリと僕を睨んだ。そこはタブーだったようだ。
「いいもん。春になって暖かくなったらダイエットするから。」
「春までまだ結構時間あるけどな…。」
そう言いながらチョコレートの入った袋を探る。
「貰うぞ。」
「ちょっと!」
目を見開いて俺の左手を掴む。
冷たい。
どれくらいの時間教室で待ってたんだろう。
僕は持っていたチョコレートの入った袋を左手から右手に持ち替えた。
「いらないんだろ?貰うよ。」
「だからってそれじゃなくても…。」
パクリっ。口にチョコレートの味が広がる。
……。
「うわっ、甘っ…」
苦味のかけらもないいちご味のチョコ。
こういう時って普通、うわっ、苦っって思うものだと思ってたが、このチョコはやたらと甘い。
「ブラックチョコと同じ色で甘いチョコを見つけて面白いなって思ってイチゴチョコと混ぜたの。」
「お前…これ本命じゃないのか?」
「本命だからこそ、彼女と差をつけたかったの。」
「……。黒井…お前あほだな…。」
「…うるさい。」
あんまり話したことないやつだったけど、みんなに人気なのもなんだか分かる気がした。
可愛いやつ。
「甘すぎてやばいけど、うまいと思う。」
「そう…。」
1つだけ食べて、袋を元の通り縛る。
「なぁ、提案があるんだけど。こんなにチョコあってどうせアホみたいに食ってアホみたいに太るならさ……。」
・
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次の日、3組でちょっとした事件が起こったと噂が流れてきた。
その名も「時期遅れサンタクロース事件」。
3組の全員の机の中に、ラッピングされた袋に入ったチョコがが入っていたのだ。袋には時期遅れのメリークリスマスと書いた手紙が添えてあるとのこと。
そしてサンタクロースは大島のことが好きだという噂も流れてきた。
大島のチョコレートだけやたらと甘いイチゴ味のチョコレートだったかららしい。
僕らのクラスにその噂が流れた時、黒井は困ったような、照れたようなそんな顔をしていた。
彼女の恋心が報われたかは分からない。
さっき黒井から貰った1日遅れのチョコレートを見つめ、僕は昨日のバレンタインを思い出す。
あの後帰るのの大変だったな。
ラッピングされた袋からチョコを一つ取り出す。
黒いビターチョコ。
昨日のチョコと形は違ったチョコ。
パクリと食べる。
そうそう、やっぱりチョコレートは…
……
……ん?
……。
このチョコもやたら甘くないか…?
黒井の方を見る。
僕に気づいた黒井はいたずらに笑った。
……。
雪の日のバレンタイン。悪くはなかったな。
ふっと笑った口にはまだ甘ったるいチョコレートの味が残っていた……。