40 消えたミリティアム
「グギュギュグー」
「お~、こわいこわい~。でも、うるさいからあっちに行ってて~」
ケージに押し込まれたピグが、警戒鳴きをしている。
目覚めのぼやけた思考でミリティアムは考え出す。
(うん? ここは? ベッドの上? 髪の色がまだ戻ってない。あれはピグちゃんとエルキュール様? でも金髪の男の人だし、化粧もしていないし、エルキュール様ではないのかな?)
ピグを隣の部屋に連れて行き、戻って来た男がミリティアムに近づいてくる。
金髪碧眼で、腰まである長い髪は照明を受け輝いている。
少し垂れ目がちな瞳と、薄めの唇の凄艶の美男はやはり――
「え!? やっぱりエルキュール様ですか?」
「せ・い・か・い~。ようこそミリちゃん。ここはリルムラントの私の私室よ~」
起き上がろうとして、両手が拘束されていることに気が付く。
ミリティアムは身をよじりながら、何とか起き上がった。
「どうして私は縛られているのでしょうか? ピグちゃんをどうしたのですか?」
「まあまあ、落ち着いて~。ミリちゃんはゲルドリア王国に居ることにしたんですって~?」
「はい、そうです。ご報告が遅れてしまい、すみませんでした」
「そんなことじゃあないわ~。ねえ、リルムラントには来てくれないの?」
「ごめんなさい。エヴァのところで、獣人族の解放を見届けようと思います」
「ふぅん。エヴァルドはミリちゃんが見ていなくても、キッチリやり遂げるでしょう? いいからこのまま、リルムラントに居なさいよ?」
確かにリルムラントに行くことも考えたが、今は忙しくするエヴァルドを手伝いたいのだ。
「……すみません。ゲルドリアに戻ります」
「そう――」
完全に素っぴんのエルキュールの美しい顔から、表情が抜け落ちた……。
「だめだ……」
「えっ?」
「だめだ。帰したくない。帰さない……」
(なんだか、エルキュール様がちょっと怖いわ……)
でも、ミリティアムはゲルドリア王国に居ると決めたのだ。
今頃、エヴァルドが心配しているかもしれない。
毅然とした態度で、エルキュールにはお断りをしなくてはならないと、ミリティアムは考えた。
「いいえ。ゲルドリアに戻ります。エヴァが心配していると思うので、早く帰してください」
「チッ――」
(え? エルキュール様が舌打ちをしたの?)
「ミリ、俺のところにはそんなに来たくないか?」
「おっ、おれ?」
「どうした? 俺は王ではあるが、一人の男だ。今、知ったことでもないだろう?」
「それは……、そうなんですけれど……」
男らしい口調も、低い声も、水色じゃない髪も、化粧をしていないことも、エルキュールがどんどん全くの別人で、知らない男の人のように見えはじめる。
「どうも、ミリは鈍くて仕方ないからな。大丈夫。俺が沢山愛情を注いで、一つ一つ教えるから。ミリは何も心配しないで、ずっとここで俺に可愛がられて居ればいい」
そう言って括られた手首を掴まれ、ベッドに押し倒される。
「エルキュール様? やめて……下さい……」
色恋に疎いミリティアムでも、流石に自分の身が危機に瀕していること位は理解出来た。
恋愛感情で人を好きだとかはよく分からないが、男女の関係については書物で読んだことがある。
「やめない。ミリを俺のモノにする。あいつの所には返さない」
「……エルキュール様……。らしくないです……」
「ははっ。俺らしいって何だろうな? 女のナリをしている俺か?」
ミリティアムの歯がカタカタとぶつかり始める。
いつもの優しいエルキュールじゃない。エルキュールが怖い。
視界が揺れ、堪えようとしてもミリティアムの瞳からは涙が溢れてくる。
「やめてください。お願いです、エルキュール様……。お願い……」
「怖がらなくていいよ。俺を受け入れて? 優しくする」
エルキュールのことは好きだ。尊敬するオネニイさんだ。でも、こういうのとは違う。
ウーファンも好きだ。大切な友達だ。やはり、こういうのではない。
じゃあ、エヴァルドは?
「エヴァ……」
――ドゴオオォォーン――
爆音とともに、エルキュールの私室の扉が破壊された。
ミリティアムが涙で霞んだ目を向けると、そこには――
「エヴァ!」
肩を上下させ息を乱す、エヴァルドが立っていた。
ミリティアムに覆いかぶさるエルキュールと、涙でぐしゃぐしゃになっているミリティアムを見て、エヴァルドの頭に一気に血が上る。
「エルキュールー! ざけんなぁー!!」
エヴァルドが魔法を発動しようと構えたが、一向に魔法は発動しない。
「邪魔するなエヴァ。この部屋は一切の魔法を受け付けない。ここに入れば魔力が消える」
「くそっ!」
エヴァルドがエルキュールに殴り掛かる。が、もろにカウンターをくらい口の端から血が流れ出る。
「強いのはお前ばかりではない。うぬぼれるな。俺だって魔法がなくても、そこそこ強いんでな」
ピッと口から血を吐き出し、エヴァルドが再びエルキュールに殴り掛かる。
「エヴァ! 止めて!!」
先程のように、カウンターで迎え撃とうとしたエルキュールの目前でしゃがみ込み、膝を取ってエルキュールを床に転がす。
倒れこんだエルキュールに、エヴァルドが圧し掛かる。
お互いにマウントを獲ったり、獲りかえしたりをしながら、みるみる二人の顔が腫れ上がって行った。
「もう二人ともやめてください!!」
ミリティアムは泣いてオロオロするしかない。
そこへ――
ザザッと、何かがミリティアムの前を横切って行った。
エヴァルドとエルキュールを羽交い絞めにしているのは、グイードとハーゲンだ。
「もうお止め下さい!」
「女性の前ですることじゃないっすよ!」
珍しく主に対して怒鳴り声をあげた二人に、エヴァルドもエルキュールも肩で息をし、少しは冷静になろうとしているようだ。
「エヴァ!!」
居ても立っても居られず、ミリティアムはエヴァルドに駆け寄る。
直ぐに手の拘束を外され、そのままエヴァルドの胸に飛び込んだ。
「手首が赤くなっているな……。痛くはないか?」
「エヴァ。ううっ。ひぐっ。エヴァの方が痛そう」
「怖かったな。もう大丈夫だ」
そう言って、エヴァルドがミリティアムの涙を指先で拭い、頭をポンポンとした後、優しくミリティアムを抱きしめ返す。
「エヴァ!」
ギュウギュウとエヴァルドにしがみ付くミリティアムを見て、エルキュールが両手で顔を押さえ、うなだれていた。