3 2つの旅
――ミリティアムがグリムンド国を出て半年――
ミリティアムはなんとか生き延びていた。
人里があるうちは、畑の収穫を手伝ったり子守をしたりして日銭を稼ぎながら、人族の住む町を辿って北上して行った。
時にはピグが、ミリティアムの歌に合わせてリズム良く手から手へジャンプをしたり、宙返りをしたりと芸を披露して、その日を食い繋いだりもした。
ミリティアムは、痩せぎすで貧相な人族の少年としか見えないからか、想像していたよりも人族は親切だった。
中には、『このままこの村に住みたい』と、思った場所もあったが、国を出る前に首に嵌められた、忌々しい死亡確認用の魔道具が、甘い思考に歯止めをかけた。
***
「寝る場所と粗末な食事しかここにはないが、いつまでも居てくれていいんじゃよ? 足を悪くして困っていた所に、ミラ(・・)が来てくれて、本当に助かっているんじゃから」
「ナダ爺さん、ありがとう。僕もこの村とナダ爺さんが大好きで、ずっと一緒にいたいよ。でも、もう少し北にある町に行けば、遠縁のおばさんがいるんだ……」
とある人族の小さな村で、ミリティアムは親切なおじいさんと出会った。
「……身寄りを失くして大変だったのう。だが、お前さんのお陰で、今年の収穫期も無事に越せたよ。働き者だし、こんな年寄りにも優しいしのぅ……。こんな良い子が、ずっと居てくれた嬉しいんじゃが……」
「ごめんねナダ爺さん。どうしても行かなきゃならないんだ……」
(このまま、ナダお爺さんと一緒にいれば、穏やかな生をここで送れる。でも、私が背負ったモノのせいで、お爺さんに迷惑をかける可能性があるのなら、私はここにいてはいけないわ)
「そうか……、本当に寂しくなるのぅ……。わしはこの村から、お前さんの旅の無事を祈っているよ。くれぐれも気をつけて行くんじゃよ?」
「はい。本当にありがとうございました。ナダ爺さんもどうかお元気で。さようなら!」
(ナダお爺さん、とっても良い人だったな……。でも……、だからこそ迷惑は掛けられないわ! リルムラント国まで、何としてもたどり着かないと!)
旅を続けてきたミリティアムは、少しずつだが逞しくなっていた。
父や妹などから、蔑まれることがなくなったことも良かったのかもしれない。
その後の旅も順調であった。可哀想な人族の少年ミラは、多くの人に助けられ北を目指し続けた。
***
しかし、人族最北の村を出たその日の夜、ミリティアムは死にかけていた。
人族が住めぬほどの極寒の地に、魔人族が住んでいるとは知っていたが、甘く見過ぎていた。
洞窟内で火を起こし、少しだけでも眠ろうとしていたのだが、いつの間にか火は消え、寝袋の中でそのまま凍死しようとしていた。
(あと二週間くらいで、リルムラントに辿り着けるはず……。でも……、何だかもう、身体が動かないわ……)
「ギュイーギュー」
(ピグちゃんが……、鳴いている……)
『ミリティアム、目を覚ましなさい。貴女の小さなお友達が困っているわよ?』
ミリティアムは、頭の奥の方から、女性が優しく語りかけてきたように感じた。
(……幻聴が聞こえてきたわ……)
『こらこら。このままでは、貴女も貴女のお友達も、カチコチになって死んでしまうわよ?』
「ギュイーギュギュー」
『もう、仕方のない子ね。間もなく運命が集うの。さあ、目を覚まして――』
頭の中が真っ白な光に包まれたかと思うと、次に、意識がブワリと浮上し、現実世界に戻っていた。
「ギュイー」
ピグは大声で鳴きながらピョンピョンとミリティアムの身体の上で暴れ、何とか彼女の意識を戻そうとしていた。
「んん。ピグちゃん? って、何て寒さなの! 火が消ていたの!? 寒かったでしょう? ごめんね」
『ギュイキュ――ミリ! お前、凍死するところだったぞ。俺の心配している場合か、阿呆』
もしピグが、人の言葉を話せるのなら、きっとそう言ったのだろうか?
いや言った。――間違いなくピグが言ったのだ。
『キュウキュウ』と、いつものピグの可愛らしい鳴き声が聞こえるが、重なるように、ガサガサしたおっさんの低い声も聞こえてくる。
「ピグちゃんが喋っているの!?」
『ギュキュ――さっさと起きやがれ、このトロマ! 心配させ過ぎで、俺、不機嫌だ!』
最早、ミリティアムの耳には、あの可愛らしいピグの鳴き声は殆んど聞こえない……。
口の悪いおっさんのダミ声が聞こえるだけだ……。
「ピグちゃん……。雄だし、四年も一緒だったから、ネズミとしてはいい齢だと思っていたけれど……。おっさんの上に、毒舌だったなんて……」
『キュウ――俺、イケオジネズミ』
「そ、そうだね。常々そう思っているわよ」
何故か以降、ミリティアムはピグから、ガサガサなおっさんの声が聞こえるようになった……。
余りの衝撃に、不思議な女性の声のことは、忘れてしまっていた――
***
もう一つ、旅を続けてきた一行がある。
「グイード……。リルムラント国は我々を受け入れてくれるだろうか? 俺はまだしも、グイードは魔力がない純粋な人族だ。さらにお前を、危険な目に遭わせてしまうかもしれない……」
「エヴァ様、私はすでに、貴方様に命を捧げております。気にされることはございません」
まだ少年と青年の境目のような若い男と、筋肉質で大柄な男の二人組だ。
若い方がエヴァルド、大柄な方がグイードという。
「お前にはこの二年、ずっと助けられてきた。感謝している」
人族の国、ゲルドリア王国の第二王子として生を受けたエヴァルドは、近衛騎士団第三部隊隊長のグイードを伴い、罪人のように身を潜めながら、リルムラント国を目指し旅を続けてきた。
大国ゲルドリア王国は、自身の保身しか考えず、家臣共の傀儡となり果てた国王ルドルフの悪政により、内部から崩壊しようとしていた。
エヴァルドの兄で王太子でもあるジーモンは、成人しても一切公務を行わず、放蕩三昧。
そのくせ、学問でも武術でも自分より優れて成長した弟で第二王子のエヴァルドを、目の敵にしていた。
成人を間近に控えたエヴァルドが、国の体制の立て直しを図るようになると、父ルドルフからも兄ジーモンからも、傀儡政治で甘い汁を吸ってきた家臣たちからも、疎まれるようになった。
不幸にも、同時期にエヴァルドの魔力が解き放たれ、魔人族であることが判明した。
命を狙われ、国を逃げるようにして出たのは、彼が15歳の時だった。
――それからニ年――
目的地である、魔人族の住むリルムラント国には、あと一日も歩けば辿り着ける距離まで来ていた。
「エヴァ様……。必ずや、エヴァ様は――」
その時――
「ぎゃあぁぁーっ。なんでこんなところに魔物がぁぁー! この、このー。ねえ、ピグちゃん! 蛇って寒さに弱いんじゃないのーっ?」
エヴァルドとグイードの居るところまで、聞き苦しい醜い叫び声が聞こえてきた。距離は近そうだ。
「行くぞ、グイード!」
「はい!」
二人は声の方へと駈け出した――