雑記1
こんなサイトに登録するぐらいには文章を書く事は割と好きだが、物語を書こうと思っても書けなかった。物語には登場人物が出てくるのでそれぞれのキャラクターに対して性格付けや内面の動きを直接あるいは間接的に表現する時が出てくる訳である、私はそれが書けない。日々過ごしていて人と会話したりチャットすると自分がどうやら他の人と違って”変”な人であると良く指摘される。この事を鑑みると、変な人が考えたまともなキャラクターがまともなわけもなくそのような人物が描く良い奴悪い奴が一般的な感覚で表現できるとも思えない。そこでここでは、なぜこんなことを書こうと思ったのかについて、ただの忘備録ではあるが、自分なりに物語が書けない理由について考えていこうと思う。
なろうや各投稿サイトで他者の小説を読むとそんな奴おれへんやろ~~というようなキャラがまま見られる。端的に言えばキチガイばかりがいる話が多い。なぜこんなにもキチガイキャラが受け入れられているのかと考えていて、実際の人ならば至らないメンタリティだったりするのは人間をその作者が描けないからキチガイというキャラ付けでごまかしているのだと気が付く。そういうキチガイですよと言っておけば作者の都合の良いように動くお人形にできるからでもあろう。例えば、異世界転移系でお馴染みの冒険者になってからーの盗賊退治で人殺し描写で人を殺すことに対してギャーギャー騒ぐ”テンプレ”なんかを見ると、なぜそこだけで現代日本の精神が根強く残っているのかわけがわからないし、そもそも現代日本の子供だったら盗賊殺しても異世界テンプレキタ――(゜∀゜)――!!としか思わないはずである。そこだけ人殺しの忌避感を出してくるのがキャラクターの人物性の無さが”お人形”であることを感じさせる。また直接そこまでは関係しないが、各キャラクターが変な語尾をつけるのもキャラがお人形であることを感じさせる。この語尾がそれぞれ違うのは作者が文章が下手で文脈やそれまでの性格付け等からこのキャラがこういうことをここで言っているのだと想起させれないため、また読者の理解度を心配して語尾で今このキャラが言ってますよーと親切心でつけているのだろうけど、そのせいでそんな奴おれへんやろーなキャラしか出てない小説に成る。こられはラノベが頭空っぽで読む時間つぶしの大衆娯楽小説として考えるのならわかり易くて間違ってはいない書き方ではあると思う。必要なのはテンプレとわかり易いキャラ付け、そこにリアリティーはいらないのである。
かくして私が書きたい物語にはどんなキャラがいるのか。そこで人物描写が出来ない事に至ったのである。どのキャラも何も感情がない無機質さでテンプレラノベキャラよりも生きてる気がしない粗悪な物になっていたのである。例えば、物語の主人公として機具師見習いの少年がいるとする、その少年が日常を過ごす砂漠に点在する古代文明の巨大な金属製のなんだかわからないなにか遺跡のような物の近くにあるオアシスに開設された工房都市で、彼ら機具師とその見習いたちは古代文明の遺跡か発掘される機工(発掘の人足は主に見習い、監督は機具師の持ち回り)を解析し流用することで文明を支えてるとか何とかであったとして、その少年が主人公としてどうしたら主人公となるキャラになるのかが難しい。なぜ機具師を目指しているのか孤児か両親は健在かその場合の人格形成は、賢さや身体能力の設定はどうするか。そもそもそんな少年が何を考えて生きているのかがさっぱり思いつかない、ネットでなろう小説読む人物でない事はわかるが。その少年一人も描けず彼を育む周りの環境(大人や同年代の子供等を含む)を想定していくと全員その場では動くがその場でしか動いていないのではないかと思われる無機質さである。
なろうによくある設定だけ事細かく物語がへにょへにょなものは私のような人がキャラをうまく書けないからそうなっていると思って読むと良いのかも知れない、何が良いのかは知らない。
この設定よくよく考えたらこれラピュタのパクリだな。パズーで書けばよかったのか。