重い判子
私の判子は重い。
別に物理的な質量の話をしているわけではない。
もちろん私の判子は一般的な人が使う認印に比べれば大きく重いが。
あぁ、いい忘れていたが、私は日本で言うところの法務大臣の様な役割を担っている。
そう、死刑執行の判子を押すのだ。
私がこの高さ15センチメートル、幅5センチメートル、奥行き5センチメートル重さにして100グラムもないだろう。
この判子を押すだけで人がひとり死ぬのだ。人がひとり死ぬだけでなく、執行人に人を殺させてしまうのだ。それに比べ宅配便の時に使う認印がどれだけ軽いことか。
この国には死刑判決を受け、死刑を待っている罪人が数多くいる。しかし、私が判子を押すまでは国の保護のもと生き残ることを許されている。私は判決が正しいのか、本当に死罪に該当するのかを考えたうえで判子を押さなくてはならない。私の前任者は心を病んでやめてしまった。自分が押して死んだ人が冤罪を受けていたことがわかってしまったのだ。これは会ってはならないことだが、彼だけの責任というのは酷ではないだろうか?
「これから始めます」
「あぁ」
そして今日、これから私が判子を押した死刑囚の死刑が実行される。判子を押さなければ死刑囚のために税金を無駄遣いしていると言われ、判子を押しすぎると魔王と呼ばれる。世論は難しい。それ以上に人の生死をこの手で決めるというのは難しい。
私の目の前には今、耐魔法ガラスがある。その奥では死刑の準備が完了していた。部屋の中心に書かれた魔法陣。魔法陣の要所に配置された魔力結晶。魔法陣の縁に立つ執行人。部屋の隅にある記録用の机。どれ1つとっても大したものではない。魔法陣の内容は生物を安楽死させるという特殊な物だが、それ以外はどこにでもあるようなものだ。何なら私の子供が通う幼年学校にもあるだろう。しかしここでこれから人が死ぬのだ。私の命令で。
別に私が見届けなければならないという法律はどこにもない。しかし私の決定の結果を見届けなければならないと私自身が思うのだ。
「A1289-02-11-A001入場します」
ついに死刑囚が入ってきた。私はすぐにでも"やめろ"と叫びたくなるが、そういうわけにも行かない。確かに私がここで叫べば中止させることが出来るかもしれないが、それは死刑囚に何度も死の前日の恐怖を与えてしまうことに他ならない。もう決定したことなのだ。
「最後になにか言い残すことはあるか?」
「私は私がしてしまったことの責任をこれから取ります。だから、家族のことはおねがいします」
「約束はしかねるが、伝えておこう」
そして執行人が魔法陣を起動した。光が満ちる魔法陣。崩れ落ちる死刑囚。光を失う魔法陣。死亡確認のために近寄る見届け人。
「午前9時23分死亡を確認しました」
最後に死刑囚は私の目を見た気がした。彼は私を恨むことも出来ただろうに、その様な感情は一切見受けられなかった。これは彼が自分の境遇を受け入れていたからだ。受け入れられぬ者は私を睨みつけ、罵倒する。
今日、私の判子で1人の人の人生が幕を閉じた。それでもまだ多くの死刑囚が残っている。
あぁ、判子が重い。