出逢い
初投稿です。
やけに冷え込む日のことだった。
冬の間は雪に閉ざされるこの地方においても、吹き荒ぶ寒風は激しく、呼吸をすれば肺の奥まで凍てついてしまうような、そんな特に厳しい日であった。
そんな中にありながら、行く宛てもない私は頭に積もる雪を煩わしく思いながらも、ただただ街道を遠く外れた山の麓を歩いていた。
寒い。が、耐えられぬ程ではない。
鼻腔がツンと痛みにも似た何かを訴えても、脚が強張り歩みを遅くしようとも、何のことはない。敢えて深く息を吸い、思い切って身体のあちこちから力を抜く。そうすれば、また一時は平気な顔を作り上げて歩いて行ける。一時歩ければ、後はその繰り返しだ。
そんなことを思いながら、しかし辿り着く場所もなく彷徨っていた私は、だからこそ変化の乏しい道中にて遠方の異変にいち早く気付くことが出来た。
バチリバチリと爆ぜる音。寒風に乗った鉄臭い匂い。そして獣の唸り声。
或いは、大して変化もない道中にうんざりとしていたのかもしれない。
いつもであれば面倒事は避けて通る私は、しかしながらその時ばかりは何かに突き動かされたように異変の下へと駆けた。
雪を散らし、躍り出た先は私が避けて通っていた街道。その真ん中。見つけた。
爆ぜた音の正体は一台の馬車、いや、これは都で最近開発されたという自走車か。それが火に包まれていた。
唸り声の主は私が近付いたからだろうか、既にいなくなってしまったようだ。
そして、燃え盛る自走車の傍らに倒れ伏している人間……簡素ながら武装をした大柄な男と、毛皮のマントに包まった女。血はまだ凍っていないようなので時間は経っていなさそうだが、男は頭が大きく割られている。明らかに即死だろう。
と、女の方が動いた。生きていたか。
「どなたかいらっしゃるのですね?」
彼女が身体を起こす。と、私は改めて視界に映るその痛々しい有様に思わず顔を顰めてしまった。
「そこに、どなたかいらっしゃるのですね?」
再度問われる。彼女はきっと目が見えていない。
しかし、見た目には死んでいてもおかしくない傷のようだが、彼女の声はしっかりと意思に満ちていた。
彼女は言った。助けて欲しい、と。
だが私には生憎、傷を治せるような道具も知識もなかったし、それに街まではまだ距離もある上に雪も邪魔をしている。彼女を運ぼうにも傷だらけの身体が耐えられるとは到底思えない。
だから心苦しくなりながらも、私は彼女にそう述べるしかなかった。すまない、と。
「いえ、わたくしのことは構いません。わたくしが助からないことはわかります。」
では何を。
自身が瀕死であるこの状況下で、己のことでなければ他に何を助けろと言うのか。
彼女は毛皮のマントの下から、とても大事そうに大きな籠を出した。籠を出した右腕は二の腕の半ばが千切れかけ、左腕は肩が動かないのか不自然に籠に添えられていた。
守っていたのだ。籠を。己の命を賭してでも。
果たして私が籠を覗き込むと、その中には小さな小さな生き物がいた。人間の赤子だ。
「どなたかわかりませんが、不躾なお願いをどうか叶えてはいただけませんでしょうか。この子を守っていただきたいのです。わたくしの左手についている指輪は売ればかなりの値がつくことでしょう。対価になるかはわかりませんが、この指輪をお渡しします。ですから、どうか」
言いながら、彼女は尽きかけていた。なんと強い人だろうか。己の限界を知って尚、見知らぬ私に縋ってでもこの子を守り通そうとしている。
――このお方は尊敬に値する。
この胆力、そして意志の強さ。このような傑物の最期の願いを聞き届けないなど、そのような仁義を欠く行いをできる筈もない。
赤子に傷の付かぬよう、私は籠の持ち手にそうっと爪の先をくぐらせ、彼女に応えた。
任された。この子は私が責任を持ち守り通してみせよう。
私の声を聴くと安堵したかのように彼女の手が籠からするりと離れ、流れるように身体を雪の中へと沈め、そして生気が完全に感じ取れなくなった。
籠の中の赤子は、目を開けていた。深い碧色をした目は、泣くこともせず、じい、っと私を見つめていた。
不思議な子だ。ともすれば不気味にも思えるが、私が何者なのかを見定めようとしているかのように感じる。
とにかく、ここに居てはこの子が凍えてしまう。
そして、彼女と、恐らく彼女の護衛であろうこの男の亡骸を野晒しにしておくわけにもいかない。
名も知らない強き者に黙祷を捧げると、私の爪で引き裂かれないように注意しながら2人の遺体を背に乗せ、出来るだけ早く人間の街に着くように街道を慎重に進むことにした。
いつの間にか雪は止み、雲間から柔らかい光が差し込んでいた。