六話 芯にあるもの
魔獣大量発生の事件は国民を混乱に陥れることが大いに懸念された為、王家はこの事実を隠すことにしたそうだ。
ローズやレオは翌日城に呼ばれ事情聴取を受けた一方で、当事者の一人である私はその二人から休むように説得され城に上がらなくて良くなった。それでいいのかと戸惑ったが二人の剣幕に負け、私は今家で大人しくしている。
ラドニーク様についてはあれからどうなったのかは分からない。
手慰みに人形でも作ろうかとロッキングチェアに腰掛け布に針を通していると、ドアがノックされ入って来た人物に目を丸くした。
「調子はどうだい、私の天使」
「お父様……!?」
私は慌てて手に持っていた物を置いて立ち上がる。
「どうしたの?」
「事件を聞いて心配しない親がいると思うかい?」
「あ」
お父様に今回の件を一応報告しておこうと早馬で手紙を出したけれど、こんなにも早く届くとは思っていなかった。
絶対に忙しいはずなのに昨日の今日で来てくれたということは、それだけ心配をかけたということだろう。
「……無事で本当に良かった」
ギュウッと抱き締められて私は再び目を丸くした。
こうして抱き締められるなんてもうここ何年もなかったからだ。
「魔獣に襲われそうになったんだ、怖かっただろう?」
「怖かった、のかな」
正直未だに現実を受け止めきれていなくて記憶が曖昧だったりする。もしかしてこのことを見越して二人は私を休ませたのだろうか。
「いいんだよ、思い出せないなら思い出さなくて。大きいストレスにならないように脳がそうさせているんだ」
「……うん」
素直に頷くとお父様は悲しそうな顔をして私の頰に手を添えた。
「少し、やつれたね」
それは痩せたということだろうか。
だとしたら朗報に違いないのだけれど、お父様の顔を見るにどうやら違うらしい。
「学園での生活はどう?」
「大変なこともあるけど、とっても素敵なお友達ができたの!」
椅子に座り直して私は主にローズのことを語ってみせた。
私の話を興味深そうに、それでいて楽しそうに聞いてくれるので、口が調子に乗ってレオの話をし始める。
「レオ……ああ、あの時の悪ガキ君か、懐かしいなあ。大魔導師になっていたとはね」
「えー、レオって悪ガキだったの?」
「私がフーリンを連れて帰ろうとすれば悪態を吐くどころかあの手この手で邪魔しようとしてきてなあ、あの子の悪戯になんど餌食になったか」
「そうなの?全然知らなかった」
レオは小さい頃から飄々としているイメージで、お父様相手にそんなことをしていたなんて想像がつかない。
「そんなものだよ。人が見る一面はその人のほんの一部に過ぎないんだ」
「ふうん?」
「話を聞く限り彼は今も相変わらずなようだし、微笑ましい限りだよ」
「相変わらず?」
「ああ、どんな姿になろうと気持ちの揺らがない彼は好感がもてるね」
お父様が何を言っているか分からないが、私に対して言っている言葉ではないのだろうということは想像がついた。
呪いの話は避けながらラドニーク様の話もしてみると、お父様は笑って足を組み直した。
「フーリンはその王子様のことをどう思う?」
「幼くて心配だわ。でもその分とても純粋で自分を偽らないところは良いなと思う……ちょっと面倒くさいところもあるけど」
私の言葉が気に入ったのかお父様は声を上げて笑った。
「ふはっ、流石はあの人の娘だ」
「あら、お父様の娘でもあるわ」
お母様を思い出す時に必ずお父様の目はキュッと優しく細まる。それを見た私の心臓も毎回キュウッとなるのだ。
私のお母様は天真爛漫、自由奔放という言葉が似合う人で、周囲の人を明るくする太陽のような人だった。
自由奔放という意味ではラドニーク様と似ているのかもしれない。
「しかしその王子様にも困ったものだね。嫌なものは嫌だろう?」
「うーん、確かに嫌だけどそういう時はローズがね、助けてくれるの!」
困っていたら颯爽と現れて助けてくれる姿に毎度惚れ惚れとしてしまう。ローズが男の子だったら私は確実に惚れていた。
「ローズは本当に完璧で、欠点なんて一つも無いと思うの。私もあんな人になりたいなあ」
「……フーリンはフーリンで自分の味を出していけば良いんだよ。私の天使は今でさえこんなにも魅力的なんだから」
やっぱり親バカだとは思うものの、その言葉が嬉しくて頰を染めてはにかむ。
それを見たお父様も嬉しそうに微笑んだ。そして立ち上がったかと思うと、唐突にこう言った。
「よし、久しぶりに一緒に出掛けようか」
と言うわけで私たちは王都の中でも大きい市場へと足を運ぶこととなった。
お父様と出掛けるのは何年振りだろうか。
久しぶりのお出掛けに心がワクワクして仕方がない。
「わあ、とても賑やかね!」
「この国の発展具合がよく分かるね」
なるほど、そういう見方があるのか。私と商人のお父様の目線では違うものが見えているらしい。
さすがだなあと感心していると、お父様がピクリと眉を上げた。
「キャー!!ひったくりよー!!」
突如、活気ある喧騒を引き裂いた悲鳴は街の人たちの視線を集めた。
私も自然とそちらに目を向ければ、凶悪な顔をした男の人がこちらに向かって走ってくる。
嘘!?
走るスピードが速くて重い体の私は咄嗟に避けることができない。
このままではぶつかる──!
諦めて目を瞑った時、私の耳元でお父様が囁いた。
「目を開けてごらん」
言われるがままに目を開ければお父様が私を庇うようにして立っていて、次の瞬間体を捻って足を振り上げた。
その足はひったくり犯の顎に見事ヒットし、犯人はその場に倒れる。
その隙を逃さんとばかり周囲の男の人たちが犯人を取り押さえた。そして直ぐに警備隊もやって来て、犯人は連行されて行った。
「お父様カッコいい……」
「天使にそう言って貰えるとは光栄だね。怪我はないかい?」
「うん!私もあんな風に動いてみたいなあ」
「お金を持つ身としては体術は身につけておいて損はないからね。フーリンも興味があるなら教師をつけてあげよう」
「本当!?……ううん、今はまだ良いわ」
「そう?」
遠慮しなくて良いんだよ、とお父様の優しい言葉に再度首を横に振る。
今の私に教師を付けてもらったところで鼻で笑われて終わるのが目に見えている。
それこそ痩せてから挑むべきものだろう。
痩せなければできない。否、痩せれば出来ることはたくさんある。
それに気づいた時、私はダイエットのやる気と再会した。
正直ギルフォード殿下の横に立つという目的は、本人に会ってない手前未だ現実味を帯びずモチベーションが低下していく一方だったのだ。
ちょうど良い機会だし、これを機にちゃんと食事制限をしてみよう。
「あ、あの」
心の中で決意していた私とお父様に声をかけてきたのはとても良い匂いのする美少女だった。メロディア様とはまた違う可愛さだ。
「先程は助けていただきありがとうございました……!」
「いえいえ、たまたま足が引っかかっただけですよ。貴女にお怪我がなく、何よりです」
お客様を相手にする時の顔をしたお父様は美少女には気付かれないように相手を分析している。
確かにいかにもお貴族様がお忍びで来ましたというような格好をしていれば興味が湧くのは避けられない。
「……」
ここでも護衛は機能しなかったのかと少し遠い目になる。機能できなかったというべきなのかもしれないけど。
「良ければ御礼をさせていただきたいですわ」
「お気持ちだけ有難く頂戴しておきます。なにぶん今日は久しぶりに娘とデートなんですよ」
「まあ、そうでしたのね。お邪魔をしてしまったようで申し訳ありません。ではお名前だけでも教えていただけませんか?」
「ウルリヒ・トゥニーチェと申します」
「!もしや、あのトゥニーチェの……!?」
お父様が代表を務めるウインドベル商会は世界でも有名で、お父様の名前がこうして知られていることは珍しくない。
「御礼はぜひ我が商会をご贔屓にしていただければ」
お父様がにこりと笑うと美少女もクスリと笑って応えた。
しかしハッと気づいたように私の方に視線を向ける。
「……では貴女は」
「あ、はい。娘のフーリン・トゥニーチェと言います」
「!」
私が自己紹介した途端に顔色を暗くした美少女に私は目を瞬く。
「あ、あの」
「……失礼いたしますわ!」
ギッと強く睨まれて私の身が竦んでしまった間に、美少女はお父様に一礼してその場を去って行ってしまった。
「……彼女と何かあったのかい」
「初対面、だわ」
私の思い違いでなければ。
「ふむ、これから先何事もなければいいんだが。何かあったら私に言うんだよ」
初対面の人に睨まれたショックで私は一つ頷くことしかできなかった。
その時、人混みの間から燃えるように赤い髪が視界に入った。
ローズだと分かった途端気持ちが明るくなって、こちらを見た彼女に向かって手を振る。
「あれ?」
確かに目が合ったはずなのに、ローズはふいと顔を背けて人混みに消えていってしまった。
「誰か知り合いでも?」
「うん、でも気付かなかったみたい……」
「まあこの人混みだからねえ、無理もない」
そっか、無理もないか。
お父様の言葉で無理やり自分を納得させて、私はこのモヤモヤとした気持ちをやり過ごした。
そんなこんなで色々あった一日もあっという間に終わりを迎える。
お父様が帰ると言う時になって私は急に寂しくなった。それに気づいたようにお父様は優しく笑う。
「フーリン」
「ん?」
「学園での生活が辛いようならイルジュアに戻るかい?いや、戻らなくてもいい。私と一緒に旅をしてみるのもいいね」
思いもよらぬお父様の言葉に私は固まる。
イルジュアに戻らないのならばギルフォード殿下に遭遇する可能性は低いだろう。
しかもそれだけじゃない。ずっと家に一人でいることがなくなる。寂しい思いをしないですむようになるのだ。
とても素敵な提案に私は頷きそうになるが、でも、と考え直す。
私は何のためにこの国に来たのか。
この国で私は何を成し遂げなければならいのか。
「いいえ、お父様。私は戻らないわ」
「どうして?」
「『人生出会うものは全て面白い』ってお母様が言っていたもの。私は自分の足で歩いて、その面白いものと出会いたい。それこそ引きこもっていた十年分以上のものに」
そんなお母様が生前常に口にしていたこの言葉は今でも私の心の中に残り続けている。お母様が亡くなった時は流石にこの言葉を信じられず、引きこもってしまったけれど。……けれど、今なら分かる。
ダイエット目的で来た留学だった。しかしこうして環境がガラリと変わった今、私自身が成長するチャンスなのではと思うようになったのだ。
それはきっとギルフォード殿下の横に立つために大事なことなのだと、心の奥底で理解していたりする。
私の言葉に満足したのかお父様は今日一番の笑顔を見せた。
「……ふふ、そうだね。留学生活、楽しんできなさい」
「うん!」
「困ったことがあったら直ぐに言うんだよ。私はいつだってフーリンの味方だからね」
そういえば、とノアもお父様と同じことを言っていたことを思い出す。
ノアについては流石に情報面でお父様を心配させるかもしれないので何も話さなかった。話すほどのエピソードがないという理由も建前としてはあるけれど。
「じゃあね、私の天使」
「またね、お父様」
そうしてお父様を見送った後にようやく私は思い出した。
「ギルフォード様のことを聞くの忘れてた……!」
次話、ギルフォード視点。