六十三話 皇太子の思惑 ※ギルフォード視点
俺は窓によりかかり夜空を見上げている兄上の背を睨みつける。
「どういうつもりですか」
「えー、なんの話?」
「今回の一連の流れ、母上が行ったように思わせていましたが、──全ては兄上が仕組んだことでしょう」
月の光を浴びていた兄上がゆっくりとこちらを振り向いたことで、顔に影がかかる。
「だから?」
悪びれる様子もない目の前の人物に俺は顔を顰める。
『くれぐれも貴方様のそばにいる腹黒の主にはお気を付けくださいませ』
ウルリヒの言っていた言葉を頭の中で反芻する。
普段兄上は摑みどころのない言動で仕事ができない印象を人に与えているが、その実、歴代皇族の中でも群を抜いて頭の切れる、所謂天才だった。
なにかを企んでいるとは思っていたが、皇族にとって運命の伴侶がどれだけ重要かを知る兄上が、まさかフーリンを利用するとは考えもしなかったのだ。
「兄上がどうされようと勝手ですが、フーリンに関してだけは俺の許容範囲を超えています」
「うーん、それについては悪かったと思ってるよ」
「まさかとは思いますが、義姉上すらも利用したとは言いませんよね」
「エイダに関しては完全に想定外だったよ。もちろんフーリンちゃんだって被害に遭わせるつもりは一切なかったんだけど……、僕もまだまだということかな」
窓際から移動してソファに腰掛けた兄上は、机上に置かれていたクッキーを一枚摘み眺めた。
「フーリンを利用してまでなにを成し遂げたかったのか説明してください」
ある程度の予想はついていたが、真偽を確かめるためにも改めて明言してもらう必要があった。
俺の問いかけに、兄上はクッキーを口に放り込んで暫く黙り込み、観念したように大袈裟に肩を竦めた。
「今回の目的は、僕の即位前に『掃除』をすることだった。少し前のレストアのように、ウルリヒにイルジュアも綺麗にしてもらいたかったんだよね」
「そんなこと、兄上なら別の方法でもできたでしょう」
「僕が動くよりウルリヒに頼ったほうが成果は確実でしょ。だって彼は皇族でも貴族でもない、ただの平民なんだから。──僕が望むものは根本的な変革、それだけさ」
淡々と語る兄上の瞳はまさしく統治者のそれだった。
「フーリンちゃんが窮地に追い込まれればウルリヒは必ず動く。その中で面倒くさい連中を片付けてくれると踏んでいたよ」
「随分と大きな賭けだったのでは」
「ハイリスクハイリターンだよ、ギル。まあ、ウルリヒも早々に僕の考えに勘付いていたみたいだけどね」
どこまで計算していたのか、兄上の豪傑肌には頭が痛くなる。
兄上がよく言う、投資なくしてリターンなし精神がまさかここでも発揮されるとは思いもしなかった。
「ウルリヒにはイルジュアにいてほしいのでは?」
「そりゃあ勿論」
今やトゥニーチェの権威は皇族にも勝るとも言われている。
皇族の存在意義を脅かされないようにするためにも、イルジュアを財政難に陥れさせないためにも、そして、ウルリヒを手放すことで他国に付け入れられないためにも、トゥニーチェはこの国にとって無くてはならない存在となっていた。
なのに奴が大事にする一人娘を危険な目に合わせれば、兄上自身どんな目に合うかも分からない上に、トゥニーチェがイルジュアを出て行く可能性は大いに考えられたはずだ。
「今回兄上が行ったことは逆効果、いや、……まさか」
「ご明察。ウルリヒがイルジュアを出ていくことはないと確信していたよ。──ギル、君がいたからね」
「別に俺はフーリンがいれば国を捨てることに一ミリの迷いもないですが」
「うわ、恐ろしいこと言わないでよ。まあそれはそうだと思うけど、フーリンちゃんの性格上絶対気に病むし、普通に考えれば無理でしょ」
フーリンがいれば、彼女を溺愛するウルリヒはほぼ確実にこの地にいる。
この確実とは言い切れない推測を前提として動くものだから、本当にこの兄はたちが悪い。
国のためなら全てを利用することを厭わないところもまたそうだった。
「心の底からフーリンちゃんが君の伴侶で良かったと思ってるよ。これこそまさに『運命』だよね」
「勝手に兄上の運命にしないでください」
それは失礼、と詫びの意味を込めて俺に一つ菓子を手渡してくる。
それを俺は手を払って拒否した。
「フーリンちゃんが自らギルのもとへ来なかったのも全てはウルリヒの思惑でしょ?よく考えたら当然のことだったよ。彼女自身は平凡だけど、その気になれば世界を変えてしまえる人脈を持ってるんだから」
「……」
「にもかかわらずフーリンちゃんを城に連れてきたギルは本当凄いや」
フーリンがなぜ直ぐに俺に会いに来なかったのかについての真実は、結局のところ兄上には話していない。
彼女が頑張って話してくれたその勇気を無下にしたくなかったし、なにより二人だけの秘密にしておきたかったからだ。
だからこそ俺は兄上の勘違いを敢えて訂正はしなかった。
「世界を変える人脈の筆頭はウルリヒなわけだけど、まさかノアとも繋がりがあったとはなあ」
「……気付いてたんですか」
「気付いたっていうか強制的に気付かされたよ。ノアの殺意ってあんなに恐ろしいものなんだね。久しぶりに鳥肌が立った」
「兄上が殺されても俺は驚きません」
「その時はギルに玉座が回ってくるね」
「面倒くさいので遠慮します。頑張って生き返ってください」
軽口を叩けば兄上はおかしそうに肩を震わせた後、ああそうだ、と兄上は少しだけ纏う空気を変え微笑んだ。
「実は今回僕にはもう一つの目的があってね」
「……は?」
「これを機にギルフォードと皇妃の拗れた関係も直そうと思ってたんだ」
「は?」
「やだなあ、そんな怖い顔しないでよ。だって君たちお互いのこと気にしてるくせに全く歩み寄ろうとしないから。みかねて、ね。まさかレオが僕たちの従兄弟だとは思わなかったけど」
余計なお世話、この一言に尽きるが、このことに関しては上手く収まった部分もあるため反論するのはやめた。
「……兄上の考えはよく分かりました。母上との仲を取り持ってくれたことには感謝します。おかげでフーリンもより安心して城で暮らせることになるでしょう」
「それならよかったよ」
「以上で兄上の話は終わりですか」
「まあ、そうだね」
全てが終わったかのように、いつもの緩み切った笑みを口元浮かべた兄上に、ゆらりと一歩近付く。
「最後に俺から良いですか」
「ん、なに──ッう!!」
突如襲った衝撃にソファから崩れ落ちた兄上は、左頰を押さえながら呆然と俺を見上げた。
なにが起きたのかさすがの兄上でも理解できないのか、瞳を揺らしている。
「ギ、ギルフォードくん……?」
「フーリンを傷つけたこと、万死に値する」
握りしめた右の拳にギリッと力が入る。
今回の件において兄上がいくらそれらしい理由を述べようとも、フーリンが被害に遭ったことは紛れもない事実。
自分の大切な大切な宝物を傷つけられて腹が立たない者などいるはずがなかった。
「ま、待って、ね、ちょっと落ち着こう!?それに関しては本当にごめんって。さすがに顔は……!!」
振り上げた拳を兄上の顔面スレスレで止めると、兄上がおそるおそる目を開いて怯えたように俺を見上げた。
「今回の件において、一つだけ兄上に感謝してることがあります」
「え、なに?」
「フーリンは『俺が』選んだ伴侶だと気付かせてくれたことにな」
俺が浮かべた笑みを見た兄上は、頰を引き攣らせた。
そして後ろにゆっくりと後退りする兄上の胸ぐらを逃がさないように摑み、改めて拳を構え直す。
「感謝してるなら止めてくれてもよくない!?」
「問答無用。剣じゃないだけマシだと思え」
「あっちょ、まって、おねが、──!!」
その日の夜、城内に自身の伴侶に助けを求める皇太子の情けない声が響き渡ったという。
※次話、レオナルド視点




