六十二話 歩き出す時 ※ナージュ視点
それからも陛下とはお互い打ち解けようと努力することもなく、ギルフォードを産んだ後は疎遠になった。
体が弱いという設定をつけ城の外になるべく出ないようにしたのは他でもない、このあたしの発案だ。
独りで過ごす毎日は辛くはなかったと言えば嘘になるが、誰にも頼ることはできない以上、仕方ないと諦めていた。
そんな生活の中でも、あたしにとって唯一の楽しみがあった。たまの公務である孤児院への訪問だ。
その日もいつものように国立の孤児院に足を踏み入れた。のはいいものの、孤児院の空気がどこかソワソワしていることに気付いた。
「なにかあったのか?」
「いえ、それがですね……」
「魔法を使える子どもがいる?」
「はい、実は昨日判明したばかりでして、皇妃様とお話しさせていただけるのならあの子もきっと喜びましょう」
促されるままに小部屋に入れば、そこにはあたしを睨む少年が座っていた。
「……少し、彼と二人にしてくれないか」
「は、しかし」
「頼む」
「御意」
護衛を下がらせ二人きりになったことで、改めて目の前の少年を上から下まで視線を滑らせる。
「其方の名は?」
「……レオ」
やはり、と確信する。
彼の名はレオナルド・グレー。
間違いなく、あたしの妹が産んだ子どもだった。
陛下を自分のものにできなかった妹は年頃になると両親の勧めた人と結婚し、レオナルドを産んだ。
しかし相手の男は暴力を良く振るうような男だったらしく、妹の生活は酷いものだったらしい。離婚したいと両親に訴えても、夫は外面だけは良かったらしく、取り合ってくれなかったそうだ。
夫から逃げられないことで、段々と頭が狂っていった妹はレオナルドを捨て、魔法で夫に重傷を負わせるという事件を起こした。
両親もようやくことの大きさに気付いたようだったが時既に遅く、赤ん坊も見つからなければ夫も瀕死の状態となっていた。
事件自体は両親がなんとか内密にさせたようだが、それ以来両親の妹に対する態度は冷たくなる一方だった。
そうして溜まっていった妹の鬱憤は幸せそうに暮らすアデラインに向かい、悲劇を起こすこととなった。
アデラインは妹の事情を知らされていなかったみたいだったから、それも妹の癇に触ったのだろう。
「何歳だ?」
「……七さい」
濃い紫色の髪はグレー家の血筋が流れていることを証明しており、当然私たち姉妹と同じ色だ。
吊り上がった目は妹というより、あたしたちのものとよく似ていて、あたしが彼の母親であると言っても疑われはしない。
「あんまジロジロみんなよ」
膝をつき、震える手で七歳にしては小さな彼の手を握り、外にいる者に聞こえないよう声量を落として話しかける。
「な、なんなんだよ」
「我の名はアデライン。其方の伯母だ」
「……は?」
「其方の実の母に代わり、保護者となりたい」
レオナルドは状況についていけないのか、ちょっと待てと手を突き出して静止する。
「おれのおば?……おれのかあさんは?」
「死んだ」
「──そうかよ」
平気なフリをしているが動揺を隠し切れていない人間くささがなんとも愛おしかった。
たとえ憎い妹の子であるとしても、子どもに罪はない。
「かあさんは、おれがいらなくなったからここにすてたんだろ。今さらほごしゃなんていらない。おれのことはほうっておけ」
「其方には魔法の才があると聞いている」
「ッ」
「これから其方には大勢の汚い大人たちが群がってくるだろう。我はその盾となりたいんだ、レオナルド」
「レオ、ナルド……?それがおれのほんとうの名まえなのか?」
「そうだ、其方の名はレオナルド・グレー。このイルジュア帝国を建国時より支えてきた歴史ある家、グレー家の正統なる血筋を引く者だ」
あたしの言葉をゆっくりと噛み砕くと、レオナルドは拳を強く握りしめあたしを見据えた。
「かりに、あんたがおれをほごするとして、おれはどこに行くことになるんだ」
「レストアに知り合いの魔導師がいる。我は一応皇妃であるからな、其方の面倒を直接見ることはできん」
「レストア……」
途端に顔を暗くするレオナルドに、わたしは焦る。
「レストアに行くのは嫌か?」
「……いや、べつにいい。行く」
レオナルドは静かにわたしの言葉を受け入れた。
そんな受け入れの早さにわたしは心配になってレオナルドの顔を覗き込むも、そこにはおよそ子どもらしくない、諦めた表情があるだけだった。
「レオナルド」
「……」
「我は、……あたしは、君と家族になりたい」
「なってどうするんだ」
「君を見守らせてくれ。君が無事であることを祈る権利をくれ」
「ッ、あんたにはほんとのかぞくがいるんだろ!」
「──いないの。あたしはずっと一人ぼっちだから」
突然顔をクシャリと歪めたあたしに、レオナルドは驚きに身を強張らせた。
「嘘をついてごめんね。あたしの本当の名前はナージュ。理由があっていろいろ隠してるけど、血縁関係なくよかったらあたしと仲良くしてくれると嬉しいわ」
「……しょうがねえおばさんだな」
レオナルドは泣きそうになっているあたしの頭を撫でると、初めて笑みのようなものを見せた。
その後あたしが陰で融通した結果、レオナルドはレストアへ飛びその魔導師のもとで魔法を学ぶこととなった。
レオナルドがレストアに行って以来、唯一の肉親ともあってか、催促したわけでもないのに時折手紙が送られて来るようになった。
大した文量ではなかったけれど、子どものくせにあたしを心配するような内容が書かれていることが多く、なら顔もたまには見せにきてねと冗談を書けば、本当にあたしの部屋に現れるものだから、心の底から驚いたこともある。
そんな風に、レオナルドという可愛い甥が時たまあたしの相手をしてくれるようになってはくれたものの、たまに会う実の息子であるギルフォードには嫌われる一方で。
意気消沈しながらも、なるべくギルフォードの邪魔をしないよう気を付けた。
そんな折、この城に新しい侍女が入ってくるということを耳にした。
ラプサという新人の侍女を一目見てあたしはすぐに気付いた。この女は妹と同類の人間だと。
ギルフォードのそばにいさせるのは危険だと、ラプサがあたしのもとへくるよう配属を変更させたにもかかわらず、ギルフォードの運命の伴侶が見つかったと聞いた翌日、ラプサが異動になることになった。
「どういうことだ」
「なに、皇妃陛下のお気に入りであるという彼女なら、フーリン嬢を任せられそうだと思いまして」
城内の最終的な人事権を握る目の前の男は、底の読めない目をしながら語る。
ふざけるなと思った。ギルフォードのみならず、息子の伴侶まで危険な目に遭わせてしまうかもしれないというのに。
それを分かっていてこの男はこんな言葉を吐くのだ。
「自分のお気に入りを運命の伴侶に仕えさせるのは嫌ですか?」
「其方は我が運命の伴侶というものを嫌っていると思っているのか?」
「違うのですか?」
「まさか、むしろその逆さ」
「……へえ。なら話は早いですね」
男は仮面を貼り付けたような笑顔で一歩、あたしに近付く。
「協力をね、していただきたいんですよ」
あたしごときが目の前の男の言葉を拒否できる力はなく、黙ってその申し出を受け入れるしかなかった。
フーリン・トゥニーチェの第一印象は、アデラインと同じ、だった。
周りに流されがちな、我のない女の子。
弱かった姉と同じであるならば、彼女もいつかはギルフォードを置いていってしまうのではという不安が頭を過ったことは記憶に新しい。
*
「すまなかったな、フーリン嬢。其方を無闇に怖がらせてしまった」
「い、いえ」
死の危機に遭ったのは他ならぬあたしのせいなのだからもっと怒ってもいいと思うのに、それどころか彼女は安堵したように頰を緩める。
「皇妃陛下のことを、それとレオのことも知ることができてよかったです」
「知ってもなお、我に笑いかけられるのか」
あたしの問いかけに彼女は物怖じせず、力強く頷く。
「ずっと、思っていたんです。皇妃陛下は、実はギルフォード様のことを嫌ってないんじゃないか、って」
「……なぜ?」
「私の知っているひだまりみたいな人と、よく似ていると思ったからです」
「ひだまり……?」
「皇妃陛下がギルフォード様に向ける瞳は慈愛に満ち溢れていました。それは私の母がよくしていたものと同じなんです」
ああ、そうか、とあたしは悟らざるを得なかった。
「子どもを嫌いな母親ってそんなにいないと思います。ましてや、話を聞いた後では確信せざるをえません」
視界の隅でギルフォードが驚いたようにあたしを見る。
「だから、少し怖かったですけど、なにか理由があっての言動なんだろうなと思っていたので、私は気にしてません」
「それでも、其方を利用したことに変わりはない」
「いいんです。皇妃陛下のおかげで、私はギルフォード様の横に立つ覚悟を持つことができましたから」
あたしはなんという勘違いをしていたのだろうか。
ずっと姉と同じ弱い部類の人間であると思い込んでいたあたしが恥ずかしい。
フーリン・トゥニーチェはアデラインとは比べものにならないくらい、強い人間だった。
「し、しかし、ギルフォードは我のことを嫌っているし、許されるはずが」
「──嫌っていません」
「え?」
「嫌うわけ、ないじゃないですか」
いつもの能面のような顔が少しだけ歪み、今度はあたしが驚く番だった。
彼女のことだけでなく、実の息子のことですら認識が間違っていたとは夢にも思わず、戸惑いに言葉を失う。
「君たちはもう少し言葉を交わすべきだと思うよ。義息子としても義兄としてもね」
エルズワースの言葉になにかが吹っ切れたあたしは、肩の力を抜いてギルフォードの方へ体を向ける。
「ギルフォード」
「はい」
「いつか、落ち着いた時にでも我……いや、あたしと話をしてくれたら嬉しい」
「……はい」
名前のつけ難い複雑な表情をする息子に、あたしはつい笑みが漏れる。
この子はこんなにも表情が豊かな子だっただろうか。人を人とも思わないような顔をしていたはずなのに。
と、そこであたしはようやく気付いた。
全ては息子の隣にいる彼女、フーリン・トゥニーチェが息子を変えたのだということに。
「まだ、言ってなかったわね。おめでとう、ギルフォード。素敵な伴侶を見つけたわね」
「…………ありがとうございます。母上」
その日、あたしは、生まれて初めて息子の笑顔を見た。
夜空を眺めていると、人の訪れを知らせる音が耳に届いた。
来訪者はなんとなく来るだろうと思っていたまさにその人で、あたしは目を細める。
「陛下、あたし気付いたんです」
「うん」
「恨み続けても、嘆き続けても、世界はなにも変わらないと」
「……うん」
頰に温かいものが伝う。
何十年ぶりともなるそれに気付いた時、もう笑顔を保つことはできなくなっていた。
近くのテーブルに綺麗に折りたたんでおいたハンカチを手に取り、震える口元を覆う。
「ここで謝るのは筋違いだということは分かっている」
「……」
「だから、代わりにこの言葉を言わせておくれ」
ハンカチに施されたミモザの刺繍から目を離し、陛下を見つめる。
「ありがとう、ナージュ」
「……ッ!」
「もう、幸せになろう」
あたしは声を出す代わりに、震える体で陛下に抱きつき、小さく頷いた。
※次話、ギルフォード視点




