六十話 正直になる ※ギルフォード視点
床を蹴り、たかが知れている攻撃魔法は剣を振るえばすぐに消えた。
「手癖の悪い奴がいたものだな」
「全くだ」
俺の剣が女の右肩を、──レオが作り出した光の剣が左肩を貫く。
突然現れた男に口角が上がりこそすれ驚きはしなかったが、助けられた母上は違うようだった。
「其方、は」
「……あんた、そろそろ歳なんだから無茶すんなよな」
その口ぶりから二人の間に、決して短くはないであろう期間で築かれた親しい関係が窺え、片眉が動く。
この二人がどういった関係なのか分からないが、二人の髪色が全く同じ色合いであることに今さらながら気付き、思わず兄上の方に視線だけを動かす。
しかし兄上も知らなかったようで小さく首を横に振った。
「おい、お前」
「ぐっ、っ、なっ、大魔導師の、レオ……!?」
レオは肩から血を流す女のもとに歩み寄ると、険しい顔のまま光の剣を消し、先ほどの女のものとは比べものにならないほど威力のある攻撃魔法を掌上に浮かべた。
「魔導師の風上にもおけない屑が。死ね」
その言葉はさすがに聞き捨てならず止めようとしたが、その前に俺の横をすり抜けていく存在に気付き、意識がそちらへと向く。
「待って待って待って!レオ、ストップ!」
「おい、危ねえだろうが!お前は皇子の後ろにでもいろ」
「や、殺すのは早計だってっ」
「どうせコイツは死刑だ。なら今殺すのも変わりはねえだろ」
「そうじゃなくて!」
レオの服の裾を摑むフーリンを見ているだけなど当然我慢できるはずもなく、足を踏み出したのはいいものの。
「──私はまだラプサになにも言ってない!」
フーリンの一言で再度体の動きが止まる。
どうやらレオも同じことを思ったようで、大人しく手を下ろして溜息を吐いた。
「……お前も大概だよな」
「え?」
「んでもねぇ」
俺は静かに近付いて女の肩から剣を引き抜き、振って血を取る。
そして女がフーリンに危害を加えられないようレオとともに横に控えた。
「ラプサ」
「ぅ、ごほっ、なによっ」
ギッとフーリンを睨み付ける女に殺意が湧くも、剣を握っていない方の拳を握りしめ耐える。
「ごめんね」
罵られると思っていた女は、フーリンの短い一言に呆気に取られ、言葉の意味を理解した瞬間面白いくらいに顔を醜く歪ませた。
「ギルフォード様が私のものでごめんね」
いつもの愛らしさは鳴りを潜めた、美しく気高いフーリンの横顔に、自分でも驚くほどの動揺を覚えた。
そんな顔をさせたのは紛れもなく、この俺で。
ああ、ついに、ついに、ついに!
フーリンが俺のものになった……ッ!
俺に対するフーリンの愛を強く実感したことで、全身が歓喜に打ち震え、心臓がバクバクと異常なくらいに音を立て始める。そして誰にも見られないよう、誰にも取られないようにと、彼女を今すぐにでも隠したいという衝動が俺を駆り立てた。
しかし女の目が濁ったことで咄嗟に頭を切り替え、フーリンの腰を抱き、剣を突き出す。
「なによ、なによなによなによっ!無能なくせに、美人でもないくせに、ただ花紋があっただけの存在に過ぎないくせに!あんたがいるからわたしはギルフォード様と結ばれない!ギルフォード様の本当の運命はわたしなのにっ!──あんたが生まれたこと自体が間違いなのよ!!」
それなりの手順を踏んで逝かせてやろうと思っていたが、もう我慢ならなかった。
斬ろう、と無意識に腕が動いたその時。
「ぱあん」
子どもの無邪気な声が聞こえ、直後女の額から血飛沫が上がった。
「……え?」
なにが起きたのか分からないまま崩れ落ちていく女を一瞥し、女に攻撃を加えた人物を見遣る。
「あは、ちょっとうるさかったからやっちゃった」
口調こそ軽いが、そこに怒りの感情が含まれていることに気付き、俺はフーリンを背に隠した。
ノアが得体の知れない危険人物であることを忘れたわけではなかったが、警戒を怠っていたことは否定できなかった。
「だいじょーぶだいじょーぶ。ちゃーんといきてるよ〜」
危険な状況であるにもかかわらず、なぜかレオはノアに対して構える様子はなく、むしろ呆れた表情で状況を静観していた。
緊迫した空気の中、動いたのは今まで傍観していたウルリヒで、空気を変えるかのように手を叩く。
「さて、そろそろ私はお暇させていただきましょうか。やるべきことがまだ残っているのでね。よろしいですよね、皇太子殿下」
「勿論。よろしく頼むよ」
「このようなことは今回限りでお願いいたします」
「あはは、手厳しいなあ。了解〜」
兄上がへらりと笑って手を振ると、ウルリヒはデイヴィットのもとへ歩み寄る。
「なっ、ななな、なんだっ」
「いえ、最期にご挨拶をと思いまして」
自分の目の前で女が倒れたことに凄まじい恐怖を覚えたのか、デイヴィットは失禁寸前の状態だった。
全身を小刻みに震わせ、瞳孔を開き、脂汗を滲ませている。
「貴方が今までに行ってきたこと全て、嘘偽りなく報告させていただきますので、どうかご案じなさいますな」
「そ、れは!」
「それでは、どうかお元気で」
ウルリヒは死刑が確定している者に向かって最高の煽り文句を吐き捨てると、デイヴィットは白目を剥いて気絶してしまった。
床に転がっている人間を一瞥したウルリヒは、俺に向かって頷く。
「連れて行け」
再度命を下せば騎士たちが動き出し、女とデイヴィット、ならびに名指しした貴族たちを連行し始めた。
その間を縫うように俺たちのもとに来たウルリヒは、フーリンの頭を撫で、微笑みかける。
「もう大丈夫。なにも心配はいらないよ」
先ほどの声色とは一転して甘い声を出すウルリヒに、連行されていく人間が息を呑んだ。
これだけで溺愛具合が窺えるのだから、トゥニーチェの珠玉と謳われるフーリンを貶めた者が、ウルリヒによる報復を免れないことは確かだった。
「私も、もう大丈夫だよ」
「──そう、大きくなったね」
「今まで心配かけてごめんなさい。それと、……ありがとう、お父様。今までも、これからも大好きだよ」
二人の間にあったしがらみが、今、確かに消えた瞬間だった。
そっとウルリヒに抱き着くフーリンに複雑な心境を抱きはしたが、ウルリヒの顔に浮んだ哀惜の情に溜飲を下げた。
フーリンが自分の庇護下から出て行くことをウルリヒが認めたことが分かったからだ。
涙ぐむフーリンを後でどう甘やかそうかと考えていると、いつの間に近寄ってきたのかノアがウルリヒの腕を摑んだ。
「じゃあ、ノアたんはかりたものをかえしにいかなきゃいけないので!こーひさまはおいていくから、あとはごゆっくり〜!あ、おーじ!せいきゅうはまたこんどね!ばいばーい!」
罪人とはいえ人に害を為したことに言及されないようにするためか、ノアは半ば慌ただしくウルリヒとともに姿を消した。
時間がなかったため『情報屋』としての箔が付いているノアを頼る結果となってしまったが、後々のことも考えると小さくない後悔が俺を襲う。
こめかみを押さえながら部屋に残った残りの貴族たちに謹慎処分を言い渡し下がらせると、身内だけが残った部屋は水を打ったような静けさだけが残った。
フーリン、俺、兄上、義姉上、父上、母上、そしてレオ、それぞれがそれぞれの顔色を窺う中、沈黙を破ったのは兄上だ。
「皇妃陛下と大魔導師レオは一体どういった関係なのですか」
密かに視界の隅で父上の表情の変化を見ていたが特に変わる様子はなかった。
レオと母上はお互いに視線を交わらせ、仕方がないとでも言いたげな表情を浮かべた。
「……叔母と甥の関係だ」
「叔母と甥?おかしいな、少なくとも僕にとっては初耳だね」
返ってきたレオの淡白な答えに、兄上は生き生きとした顔をして切り込んでいく。
レオの言葉が正しければ皇族とも親戚関係にあるということで、それならば俺たちが把握していないはずがなかった。
「エルズワース、其方は知っているであろう。我々の妹のことを。レオナ……レオはその息子だ」
「えー、あー、そういうこと?」
「……どういうことですか」
なにかを納得した兄上の一方で、持ち合わせる情報と上手く擦り合わせることができない俺はただ困惑する。
母上は二人姉妹であり、双子の妹にあたるが、そうであっても『我々の妹』という言い方はおかしいはずだ。
「全てを話すべき時が来たのであろう。──ナージュ」
ほとんどの時間を黙したままでいた父上が口を開いたかと思うと、母上の本当の名前を呼んだ。
「……承知いたしました、陛下」
静かに頷き扇子を閉じた母上は、どうしてかいつもより小さく見えた。
※次話、ナージュ視点