五十八話 貴方が欲しい
ギルフォード様に惹かれるようになったのはいつだっただろうか。
屈託のない笑顔を見た日?
違う。
一緒に料理をした時?
違う。
私の不安を包み込んでくれた時?
──違う。
始まりはきっと、聖杯の会場で見たあの時から。
一瞬にして目を奪われ、心臓が脈打ち、花紋が、全身がこの人だと叫んだ。
あの日、あの瞬間、私は確かに恋に落ちた。
そして城に来てからは優しさに溢れた言動だったり、ちょっとお茶目なところだったり、男らしいとこだったりと、いろんなギルフォード様を見て、無意識のうちにさらに恋の深みにハマっていった。
しかし恋心を自覚した後はギルフォード様の好意と優しさを勘違いしないように、自惚れないようにと、思い込むのに精一杯で。
女神によって運命の伴侶に選ばれた以上、女神を信仰しているギルフォード様は私の存在を拒むことができないから。強制的に私を好きにならざるを得なかったから。
この方には私なんかよりもっと相応しい人がいる。
運命の伴侶という呪縛から解放されて、本当に好きな人と結ばれてほしいと、そんなことばかり考えていた。
なのにギルフォード様は愛おしげな目で私を見つめてくるものだから、次第に本当に愛されているように感じ始め、もしかしたらこのまま彼の隣に居続けてもいいのかな、なんて思ったりするようになっていったのだ。
ギルフォード様の優しさにつけ込んでそばにい続ける私に向かって『愛してるから』なんて、どれだけ罪作りな人なんだろう。
それが彼の本心ではないにせよ、私があの時救われたのは確かだった。
誰にも渡したくなかった。
私のものだけでいてほしかった。
だから私は『運命の伴侶』という地位を利用して、ギルフォード様に初めての我儘を言うことを決めた。
自信がなく、全て流されるままだった今までの私を捨て、自分が望んだものを自ら捕まえにいく。それがディーさんと約束を交わした時に胸に刻んだ、私なりの決意だった。
年相応に楽しそうに笑う姿が好き。
他の人に向ける冷たい顔が好き。
眠る前に引っ付いてくる体温が好き。
私を見つめる甘い瞳が好き。
フーリン、と私の名を呼ぶ低い声が好き。
ああ、早く、早く会いたい。
ギルフォード様に会いたくて仕方なかった。
「……でん、か」
「フーリン!」
目を覚ました私のそばには、夢で望んだその人がいた。
「私、生きてますか」
「生きてる」
「花紋、ちゃんとありますか?」
「ちゃんとある」
この世で一番美しいのではないかと思う御顔に安堵が滲んでいる。
その表情を見るだけでどうしようもなく愛しい気持ちが湧いた。
「──好きです」
息を呑む音が聞こえた。
伝えたくて、でも勇気がなくて伝えられなかった言葉を、今、ようやく言えた。
「ギルフォード様のことが、好きです。これからもずっと、貴方のそばにいさせてください」
「ふー、りん」
「……これが、殿下が帰ってきたら、言いたかったことです」
私の告白もこの人なら余裕な顔で受け流してしまうのだろうと思っていた、のに。なぜギルフォード様は真っ赤になっているのだろうか。
あまりにも予想外の反応に、私は驚きに身を起こす。
「ずるく、ないか」
手の甲で口を隠しわずかに動揺しているギルフォード様が可愛く見えたものだから、私は無意識に手を伸ばしその滑らかな頰に触れた。
「殿下が嫌だと言っても私は諦めません。運命の伴侶の地位を利用してでも、お父様に頼み込んででも、私は貴方のそばにいてみせます」
見栄も恥も掻き捨ててでも、悪女になってでも、目の前の人が本気で欲しい。
「……その必要はない」
「え?」
ギルフォード様はスッと片膝をつくと、胸に手を当て私に向かって頭を下げた。
私でさえ知っている、この国における騎士の最敬礼だ。
唇を震わす私を見つめたギルフォード様は、この上なく幸せそうな微笑みを浮かべる。
「愛してる」
一度は聞いているはずなのに、雷に打たれたような衝撃を受けた。
「俺はフーリンを愛している。そして君を一生、否、死んでも愛し続けることを誓おう。フーリン・トゥニーチェの名のもとに」
「……私に誓ってどうするんですか」
そこは女神様じゃないのかと照れ隠しに口を開けば、至って真面目な顔で首を傾げられる。
「愛の言葉を告げるのに、なぜ他の女の名を言う必要がある?」
「──」
自分の限界を感じ、顔を手で覆い隠して目の前の人を視界から消すも、それを許してくれるようなギルフォード様ではないらしい。
ギルフォード様は私の手を強制的に下ろし、両肩を摑んで見つめてきた。
「フーリン……」
瞳はそこで蜂蜜を煮詰めているのかと疑いたくなるほど甘くて、少しだけ仄暗い。
ゆっくりと顔が近付いてきたことで無意識に目を瞑ったその時。
「おたのしみのところざんねんだけどノアもいるんだな〜」
間延びした声が部屋の甘ったるい空気を壊した。
私は慌ててギルフォード様から距離を取り、声の出所を探した。
「の、ノア!?」
「えへへー、フーリンなおってよかったねー!もーすぐでしぬとこだったんだよ〜」
「あ、そっか……ありがとう、ノア」
「どういたしまして〜」
「殿下も、ありがとうございます」
恐らくギルフォード様はノアからあの方法を教えてもらった筈で、頰が熱くなるのを感じながら頭を下げる。
「……いや、治って本当に良かった」
「あれれー、ノアがじゃましたからおこっちゃった?」
ギルフォード様はノアを睨むと、私の腰に手を回した。
あれ、と私はそこで首を傾げる。
ノアとギルフォード様は知り合いだったっけ?と。
「あの、殿下はノアと知り合いなのですか?」
「依頼し、依頼されるだけの関係だ。フーリンこそノアとはどんな関係なんだ?」
「どんな関係、どんな関係、どんな関係……?」
説明しようにも名前がつくような関係を持っていないため、困った私はノアに縋るような視線を送る。
「ノアがフーリンのひざまくらすきだからおせわになってたかんけー!」
「膝枕、だと?」
雑すぎるノアの説明と、食いつくとこはそこなのかとギルフォード様の着眼点に脱力する。
ギルフォード様もさすがにこれ以上話を広げても意味がないと思ったのか、表情を切り替えた。
「レオはどうした?」
「どっかいっちゃった〜」
そういえばここはレオの部屋であったのだと今更になって思い出す。
ギルフォード様に告白しているところを見られなくて良かったと言うべきか、御礼を言えなくて残念というべきか。
「……とりあえず、これからどうすべきかを考えなければ」
「おーじはもうはんにん、わかってるの?」
「ああ」
思わず見上げると、私の視線に気付いたギルフォード様がふっと笑った。
ドキッとして顔を下に向けると、ノアがクスクスと笑い出した。
「じゃあフーリンのおひろめといきますかー!」
「お披露目?」
「それはいいな。こうして想いが通じ合った以上、懸念すべき点はなにもない。今すぐ休ませてやりたい気持ちがあるがこればかりは仕方ないな」
ギルフォード様までなにを言っているのかと混乱していれば、ノアが人差し指を立て私に向ける。
ギルフォード様はなにかを察して私から離れた。
「え──」
眩い光に包まれた私は次の瞬間、真新しいドレスに包まれていた。
ビジューモチーフ、スパンコールチュール、ラメチュールを素材にした、空色の美しいドレスだ。おまけに頭まで綺麗にセットしてくれてるのか、うなじがスースーしている。
「なに、これ」
「うふふー、かわいいでしょー?」
「いや、可愛いんだけど、さ。あの、これは……お腹の露出が激しすぎないかな……」
コルセットが付けられている感覚はあるのに、なぜかくびれがある部分だけオーガンジー素材になっていて、お腹が丸見えの状態になっている。これはとんでもなく恥ずかしい。
「かもん、みせなきゃだからね。まほうでちょっといじったよん」
「へっ」
確かに透け感があるからそこに花紋があることは分かるけれど、と、私の視線はお腹に咲き誇る花に縫い止められた。
「……」
本当に治ったんだと実感した瞬間じわりと涙が溢れてくるものだから慌てて拭っていると、その手をギルフォード様に取られた。
そして流れるように手の甲に口付けられる。
「綺麗だ。誰にも見せたくない」
ストレートなお世辞に、カッと顔が熱くなる。
どうして恥ずかしげもなくこんな言葉を言えるのか心底不思議で仕方ない。
「見せたくはないが、周囲を納得させるには花紋を見せつけるのが手っ取り早い」
「見せつけるというのは、あの方々に、ということですか?」
「そうなる。あれらは国の重鎮だ。あの者たちを納得させないと後々が面倒くさいからな。城で暮らすという選択をするなら、の話だが」
ギルフォード様の試すような視線に、私はゆっくりと頷く。
「行きます。私は殿下の伴侶であると認められたい」
「……分かった。必ず守る」
私が本当にギルフォード様の運命の伴侶なのかという問題はこの花紋を見ればすぐに終わる話だろう。
しかし私自身が皇城の人たちに認められるかどうかというのはまた別の話だ。
嫌な想像をしてしまいわずかに体に震えを走らせると、小さな生き物に横から抱き締められた。
ふわりと香るひだまりの匂いに私は目を見開く。
「だいじょーぶだよ、フーリン。じしんをもって」
「ノア……?」
「あなたはちゃんときれいになった」
そう囁いたノアはすぐに離れてしまい、私はなぜか喪失感に襲われる。
「どうした?」
「いえ、なんでもないです」
ギルフォード様に心配かけないようにすぐに首を振ると、ノアが意気揚々と声を上げた。
「よーし、じゃあいこっか!ちゃんとつかまっててね〜」
転移しようとする直前、衝動に駆られるままに口を開く。
「の、ノア!」
「なあに」
「あ、……ありがとう」
「どういたしまして!」
にっこりとフードから見える口が弧を描いたと同時に周囲の空間が歪む。
その瞬間私が思い出したのは、幼い頃に何度も嗅いだ、大好きなお母様の香りだった。
※次話、ギルフォード視点




