四話 従えてはいません
「あれ?」
資料室と書かれた部屋の前まで来たのはいいものの、扉が開かない。
「鍵かけられちゃってる。もう一回カウンター行かないとダメみたい」
別に私が弄って開けてもいいんだけど、立派な犯罪な行為をローズの前でやるのは流石に躊躇われる。
「いや待て。……これは、魔法がかけられているな」
「魔法?」
「大方中に魔導師がいて人が入ってこないようにしているのだろう」
それでは鍵を取りに行ったところで無駄足ということだ。
どうする?という表情を向ければ、ローズは一つ頷きドンドンドンドンッ!と扉を強く叩き始めた。
突然のローズの行動に目が飛び出しそうになった私は悪くない。
すると何もしていないのにスッと扉が開く。
魔法だ、と理解した時には扉が全開になり、部屋から紙の匂いが流れてきた。
「何の用だ」
薄暗い部屋に足を踏み入れた瞬間、部屋の奥から聞こえる明らかに不機嫌であることを知らしめる低い声が私の鼓膜を震わす。
そこにはソファに腰掛け足を組む一人の男の人がいて、その美しい顔を歪めたままこちらを睨んでいる。
普段ならその睥睨に怯えるところであったが、なぜか既視感を感じ、不躾にその男の人を眺める。
無造作にくくった濃い紫の髪に、吊り上がった金の目。
そして何より不機嫌そうに歪める口元がそっくりだ。
そっくり?誰と?
自分に問いかけて、頭が弾き出したのは一人の少年に関する過去の記憶。
「もしかして……レオ?」
半信半疑の言葉だったが、彼がさらに顔を顰めたのを見た瞬間確信した。
「やっぱりレオだ!覚えてる?私フーリンだよ!」
「……んな原型も留めてないようなデブり方をした奴のことなんて覚えてねえよ」
「あー!その言い方は絶対覚えてるやつだ!」
その口の悪さはあの頃から全く変わっていなくて、私はつい笑ってしまう。
すると横からローズが不思議そうに問いかけてくる。
「知り合いなのか?」
「うん!十年前くらいによく遊んでたんだー。幼馴染ってことになるのかな」
「へえ」
興味津々なローズの視線を受けたレオは当然のように眉間の皺を濃くする。
「まさかあの大魔導師レオがフーリンの幼馴染だとはな。世間は案外狭いのかもしれないな」
「狭くてたまるか。……てかてめえ」
二人の間に漂う剣呑な空気を微塵も感じ取れなかった私は呑気にレオに話しかける。
「レオはやっぱり魔導師になってたんだ!しかも大魔導師なの?凄いなあ、頑張ったんだねえ!」
大魔導師とは普通の魔導師とは次元が違うほどの魔力量を保持する者のことで、使える魔法も桁違いに多い。
聖騎士と並んでよく畏敬の対象となる立場だ。
私の言葉に呆気にとられたのか、僅かに口を開けたレオは次の瞬間勢いよく後ろに向いてしまった。何故。
その様子を見ていたローズはクスクスと笑い出す。何故。
「大魔導師を凄いの一言で片付けるとは……フーリンらしい」
「え!?何かダメだった?昔からレオは魔法を使うのが上手だったから純粋に凄いなあと思っ、て、あ……語彙力の問題か……」
留学中に頭の勉強も頑張ろうと決意した瞬間だった。
「まあフーリンはそれでいい。なあ、大魔導師レオよ」
「チッ、大魔導師は止めろ。体がむず痒くて仕方ねえ」
「名前を呼ばせてもらえるとは光栄だ」
「心にも思ってねえことを」
「ほう、其方に私の何が分かると?」
「さあな」
軽快なやりとりが目の前で行われる中、レオを見つめていた私の意識はしばし過去へと飛ぶ。
お母様が生きていた、あの頃に。
レオとはお母様に連れられて行った孤児院で出会った。彼は常に嫌そうな顔をして悪態を吐くような子どもで、周囲の者から敬遠されていた。
私も最初はその性格の悪さに話すことさえ嫌だったが、お母様が間に入って遊んでいるうちに気にならなくなっていったんだっけ。
レオは施設の人に自分に魔力があることは隠していたけれど、仲良くなった私とお母様には魔法を見せてくれたのは良い思い出だ。
まあそのせいで施設の人に見られてレオは魔導師の元に連れて行かれてしまって今日まで会えなくなってしまったんだよね。
かつての面影を残しながらも大きく立派に成長したレオを見て、私が親にでもなったかのように嬉しくなった。
「というか何しに来た」
「ああ、ちょっと気になることを調べに来ただけだ。……そうか、フーリン」
「ん?」
「本をいちいち探すよりこの男に聞いた方が早いのではないか?」
「だから何の話だよ」
確かに大魔導師であるレオなら知っていることも多いだろう。
しかし呪いについての話をこれ以上他人に広めていいものかと迷ってしまう。
そこで思いついたのはラドニーク様の話を出さずに相談すればいいのでは、ということだった。
「レオは性格が変わってしまう魔法って知ってる?」
「性格が変わる?」
しばし考え込んだレオは溜息をついた。
精神干渉の類の魔法は魔導師でさえキツく禁止されている、というのもあるがそもそも精神魔法は使える者が少ないのだと言う。
となると、もし犯人がいるとするならばそれも限られてくるということだ。
「あの第四王子のことか」
引き攣った私の顔にレオはやはりなと呟く。
「ななな、何で分かったの?」
「んなもん少し考えれば誰でもわかる」
「そんな」
悩んだ私が馬鹿みたいじゃないか。
「……あまり首を突っ込まないことだな」
そう突っぱねたレオは何を考えているか分からない顔をしていて、底の見えない瞳に囚われた私はそれ以上何かを言うことを諦めた。
それから資料室を出た後、もう今日は帰ろうということになった。
するとしばらくの間黙っていたローズは私の顔を覗き込んだかと思うと口を開く。
「どうした、フーリン。顔色が悪い」
「そう?放っておけば治るよ」
「ダメだ、ここのベンチに座っていろ。何か飲み物を持ってくる」
私を強制的に座らせると、制止の声を上げる前にローズはその場を去って行ってしまった。
その行動力の早さに笑って、体の力を抜くと途端に心細さに襲われた。風が頰を優しく撫でていくだけで泣きそうになる。
「……思い出しちゃったからかな」
レオと再会してお母様のことまで思い出してしまったのは不可抗力だった。
お母様が亡くなった時のことを思い出すと、どうしても私は弱くなる。
センチメンタルな気分になって、目を閉じていたその時。
「どーん!」
「わっ!」
膝に衝撃がきたことに驚くも、私の膝に寝転がる人物を見た途端私の心が浮上するのが分かった。
「やっほー、フーリン」
「二週間ぶりくらいだね、ノア」
黒のローブを纏い大きなフードで顔を完全に隠してしまっているこの人物は、私が入学して初めて喋った相手だ。とは言ってもノアはこの学園の生徒ではないみたいだけど。
初めて会った時も今日と同じように突然現れて私に突進してきた。ある意味衝撃的な出会いだったと言える。
「あーやっぱりフーリンのひざだいすき〜きもちいい〜」
ノアは私の膝枕が好きなようで私の太ももを堪能するように腰に手を回してお腹に顔を埋めてくる。
腹の肉に埋もれて窒息してしまうのではないかとこちらとしては心配になる。
穏やかな空気を発するノアとは対照的な私の様子に気づいたのか、ノアはそっと私の頰に触れてくる。
「なにかあったの〜?かなしいかおしてる」
「……ううん、何にもないよ」
「そ〜?なんでもノアにそうだんしていいよ〜。ノアはフーリンのみかただから」
会ってまだ二回目だと言うのに何故そんなことが言えるのだろう。膝枕をそんなに気に入ったんだろうか。
そうした疑問は思い浮かぶのに、ノアが纏う優しい空気がそれを打ち消して、素直に私の首を縦に振らせる。
ノアの声音は幼い時特有の高くて可愛らしい声だけど、はっきり言って年齢不詳、性別不詳という正体不明の人物だ。
ノアがどんな人なのか気になる気持ちは勿論あるけれど、何故かノアの存在に警戒心を抱くことがなくて、追求しないままでいる。
私が頷いたことに満足したノアは嬉しそうにころころと笑ってぎゅうっと回す腕の力を強めた。そして数秒そのまま固まったかと思うと、パッと体を起こし私の目の前に立つ。
「だれかにみられてるからノアはもういくね〜」
「見られてる?」
首を傾げるもノアは答える気はないのか私の頭を撫で、背を向けてしまった。
「まったね〜!」
「あっ、バイバイ!」
ノアの姿が見えなくなったと同時に帰って来たローズは酷く焦った顔をしていた。
「どうしたの?」
ノアが消えた方向を凝視しているローズの顔がとても険しくなっていて、思わずこちらまで身に力が入る。
「フーリン、先ほど話していた者の名は?」
「うん?ノア、だよ」
「……やはり」
目を細めたローズは不意に口角を上げて、それから何でもないような顔に戻った後私に飲み物を渡した。
「ありがとう。え、何。ノアに何かあるの?」
その意味深な笑みが気になって問い詰めるとローズは私の横に腰掛けた。
「流石にあの者と幼馴染とは言わないよな?」
「ノアと?ううん、入学して初めて会ったよ」
するとローズは一つ息を吐いて慎重な声音でこう言った。
「ノアは情報屋だ」
「情報屋?」
「自分の持つ情報を売っているんだ。ふらふらと地に足をつけないせいか奴と会いたくても会える機会は滅多にないがな」
想像力の乏しい私はいまいち情報屋のイメージが掴めない。
「じゃあノアに呪いのこと聞けばよかったかなあ。何か知ってたかも!」
「それはやめておいた方が良いだろう」
「どうして?」
「奴から情報を得るには対価がいる。それ相応の、な」
莫大な費用がかかるということだろうか。
相場が分からないと交渉は難しいのかもしれない。
「だからフーリンは奴にも気をつけたほうがいい。フーリンの家の情報を狙っているかもしれない」
「そうかな?あれ、ローズに私の家のこと言ったことあったかな?」
「……トゥニーチェの名は有名だろう」
そんなものかと納得すると、ローズはさらに続ける。
「ノアを警戒しておくことは間違いないんだ。奴は絶対的な記憶力と果てのない知識量からこう呼ばれている──『歩く兵器』と」
「歩く、兵器?」
物騒な名前とあのふわふわした掴み所のないノアが全く一致しなくて戸惑う。
「ノアは失われた古代魔法、兵器、聖地など人類が知り得ないことを知っていると言われている。つまりノア一人で世界を滅亡させる力を持っているということなんだ。各国の要人が喉から手が出る程に欲しがる相手だ」
だから歩く兵器。
現実味のないローズの言葉をゆっくり噛み締めてみても、結局ノアに対して恐ろしいとは微塵も思わなかった。
正直、ノアと会話した内容は他愛も無いことばかりで、私から情報を抜き取ろうとしているとは考えられないのだ。自分は私の味方だと言うノアの醸し出す空気感が私をそう思わせる一つの要因なのだろう。
ローズの言葉に納得していない私の様子にローズは苦笑して空を仰いだ。
「フーリンは一国の王子に大魔導師、果ては『歩く兵器』と仲が良い、か。凄いな」
口に出されると確かに錚々たるメンバーであることを理解せざるを得ない。勿論凄いのは彼らなのだけれども。
そして何かを閃いたローズは感心したように呟いた。
「つまり奴らはフーリンの手下、その一、その二、その三ということか……?」
違います。