五十七話 馬鹿と馬鹿 ※レオ視点
「ありがと、レオ。助かったよ……」
「ほんと馬鹿じゃねえの」
息も絶え絶えにお礼を言うフーリンの姿に顔を顰め悪態を吐く。
こんな時ですら相手を労う言葉をかけてやれないのなら、俺の性格の矯正も諦めるべきなのかもしれない。
「ここ、どこ」
「俺の家」
「へ、え、いい部屋、だね」
「あんま喋んな」
ほとんど使っていないベッドに寝かせ、汗で張りついた髪を払ってやると、首元から覗く黒い影が目についた。
その視線に気付いたのか、フーリンは震える手で胸元を少し寛げる。
視界に映る場所だけでも、元の肌色など一つも見受けられない、黒一色の肌。
絶句する俺に、フーリンは乾いた笑いを漏らす。
「あはは、今結構、キツい、かも」
「……どうやったらこんなことになんだよ」
「いっぱい、毒を取り込んだら?……いて」
「喋んなっつってんだろ」
額を指で軽く弾くと不満顔で俺を睨んできた。
「……治せそ?」
「やってみるしかねえだろ。そのために俺を呼んだんだろうが」
「ごほっ、やっぱり、バレてた?」
「バレバレ、とりあえず心当たりは」
「う、ん、いつも飲んでた、紅茶、みたい」
フーリンの言葉を聞きながら解析魔法をかけていく。
全身に手をかざしていきながら痣の原因となっているものを探るも、靄がかったものを感じるばかりで苛立ちが募っていく。
原因が分かったほうが治癒しやすいが、時間がないことは分かっているため、解析魔法から治癒魔法に切り替える。
「ねえ、レオ、聞いて欲しいん、だけどさ」
「んだよ」
フーリンは俺の顔を見て目尻を垂らした。
「私ね、ギルフォード様のことが、好きなの」
「──っ、だからなんだよ!」
つい声を荒げてしまった俺を気にした様子はなさそうだったが、フーリンはふ、と笑顔を消した。
「……このまま、もう、会えなくなっちゃうの、かな」
恐らく俺に言っている言葉ではないのだろう。
フーリンは一人の人間に想いを馳せた顔をしていた。
「残酷だな、お前は」
「ん、なに……?」
「んでもねえ」
じわじわと治癒魔法をかけていくが、なかなか手応えが掴めない。それどころか治る気配が一向になかった。
毒がフーリンの身に侵入してから時間が経ち過ぎているということも加味すれば、治癒魔法での回復は……難しい。
治癒魔法は万能ではない。
致命的な傷や病気だったりすると全く効果がないうえに、魔導師の中でも一握りの者しか使えない繊細で集中力のいる魔法だ。
数少ない使い手の、しかも大魔導師と持て囃されるこの俺が上手く展開できない現状に焦ったのか、俺は言うべきではない言葉をフーリンに投げかけた。
「お前をこんな体にした奴のところに戻ったところで辛い思いをするだけだろ」
「ふふ……そうかもね」
そんなことはあり得ないと分かっていた。
それでも俺の口は言ってしまわなければ気が済まないようだった。
「それにっ、あの皇子が本当にお前を好きだとは限らないだろ!」
フーリンは切なげに瞳を揺らした。
違う、俺はお前にそんな顔をさせたいんじゃない。
「分かってる。ギルフォード様が、私のそばにいてくれるのは、好意を持ってくれるのは、結局私が、『運命の伴侶』っていう肩書きを、持っているから、に、過ぎないなんて、ずっと前から、分かってる」
「だったら……!」
でもね、と。
「諦められ、なかった」
くしゃくしゃになった顔を上げ、今にも涙が溢れる瞳で俺を見つめる。
「……あの方が私のことを、本当の意味で、私を好きじゃなく、ても、あの方の、横に立つことが、相応しく、なくても、わたし、は、……私は、ギルフォード様を、諦めきれない……だって、私は、ギルフォード様のことを!愛してるから……!」
「──ッ」
「だから、早く元気に、なって、帰るの……だって、ギルフォード様は、わた、し……の……」
言葉を言い切る前にフーリンは意識を失ってしまい、俺は呆然と立ち竦むことしかできなかった。
しかし頰にまで侵食する黒い痣に気付いた俺は慌てて魔法の送り込みを再開する。
早く治れ。でも早く治るな。そんな矛盾した気持ちが魔法にも現れていたのだろう──フーリンが治る気配はやはり、ない。
『いいか、もしお前が──』
もしお前が、あの城から出たいと願うなら、右手首を握って俺を強く思い浮かべろ。その時は必ずそこから連れ出してやる。
俺なりの精一杯の告白は、フーリンにとっては都合の良い手段でしかなかった。
コイツが俺を利用しようとする意図なんて微塵もないことなんて分かっている。
それでも。
「……クソッ、クソクソクソッ!クソォ!!」
自分の惨めさ、臆病さ、そして無力さを痛感した俺は、魔法を送るのを止め、拳を壁に打ち付ける。
殴り続けた拳には血が滲んでいくも、自らの意思で止まることができなかった。
どれぐらい壁を殴り続けただろうか、手の感覚が無くなってきた時。
「もーそのくらいでやめといたらー?」
「誰だ」
気の抜けるような子どもの声が聞こえ、そこでようやく体が止まる。
窓の桟に立つ白いローブを纏った人物が俺を見下ろしていた。
「しらないとはいわせないぞー!」
「知らねえ」
「なんだって!これはききずてならないな〜!」
「チッ、変な喋り方してんじゃねえぞ、──ババア」
子どもの姿をしたその人物は刹那の沈黙を作った後、フードから覗き見える口を大きく開いた。
「なーんだ!なんだなんだ!気付いていたのか、少年よ!」
舌ったらずの喋り方を止めたソイツを睨みつける。
「は?雰囲気が全く同じじゃねえか。隠してるつもりだったのかよ。だとしたら随分とお粗末な変装だな」
「むむ、それは聞き捨てならないな。実の娘にさえバレなかったんだぞ!少年が鋭いだけだ!」
「この馬鹿を基準にするな」
「相変わらずだなー、君は」
まあいいや、とノア、もといエテルノ・トゥニーチェは窓から飛び降りた。
そしてフーリンのもとに一瞬で転移し、わずかに震えた声で娘の名を呼ぶも、フーリンの返事は当然ない。
風前の灯となっている娘に思うところがあったのか、エテルノはフーリンの手を取った。
「フーちゃんのおバカ。ちゃんと腕輪しなさいって言ったのに。……でも貴女は昔から優しい子だったから、仕方ないか」
フーリンに向かって話す声音は、子どもの姿からは想像もできない大人びたもので、その母親然とした後ろ姿に懐かしい記憶が蘇ってくる。
「ババアは、治せんのか」
「……あのね、そろそろそのババアって言うのやめない?こんな可愛い子どもに向かってそれはないでしょ〜」
「ババアはババアだろうが。御託はいいからさっさと治せ」
エテルノはゆっくりと首を振って、それはできないと断言した。
「なっ、に言ってやがる!テメェはなんでも知ってんだろうが!」
「しってるよ〜。しってるけど、フーリンをなおせるのはただひとりだけなんだなー、これが」
「は……」
「なおせるのはノアじゃないし。……当然、少年、君も例外じゃない」
どいつもこいつも残酷なことばかり言いやがる。
ノアとエテルノで言い方を変えているのも癪に触った。
「治せるのはコイツの運命だけ、そう言いたいのかよ」
「そうだよ」
俺はどうあがいても、フーリンの運命じゃない。
その事実を突きつけられた俺は血に塗れた拳を握り、無意識に唇を噛みしめていた。
「あーあー、後で治せるとは言え痛いでしょ!ちゃんと言葉にする癖をつけなさいってあれほど言ったのに」
「うるせえ」
嫌いだ。
「後悔するぐらいなら、さっさと告白しちゃえばよかったんじゃないの」
「うるせえ!」
俺はこの女が嫌いだ。
「何度でも口煩く言うよ。少年……レオも、私の息子のようなものだからなあ」
いつも見透かしてくるような言葉ばかり言ってきやがって。
だから俺はアンタが昔から嫌いなんだ。
「……言葉にしない選択だって、選ぶ奴がいてもいいだろ」
「それもまた愛か。深いねえ」
フードのせいで表情は分からないが、エテルノが喜んでいるということだけはなんとなく察することができた。
「おい、ノア。皇子を連れて来い」
「えー、それノアのやくめ?ノアだってフーリンにちゆまほうかけたーい」
「呑気なこと言ってんじゃねえ。早く行け、クソババア」
「もー、私は君をそんなふうに育てた覚えはありません!」
「俺だってお前に育てられた覚えはねえよ」
エテルノは俺の言葉に少しだけ驚いたように体を止め、微笑んだ。
「そういえばそうだったね〜!まーいいや、ほんじゃいっちょいってきまーす!」
窓から飛び降りると同時に姿を消すのを見届けて、再度フーリンと向き直る。
肩で息をするフーリンに効かないとは分かっていても、治癒魔法をかけながら顔を近付ける。
「お前が幸せなら、俺はそれで充分だ。ただ」
最後の俺の我儘くらいは受け入れてくれよな。
そう、心の中で祈るように言葉を紡ぎ、ゆっくりと唇を重ねた。
数秒もしないうちに離れフーリンの様子を眺めるも、勿論こいつは目を覚まさない。
「はっ、なにを期待してんだか。……お前も俺も、相当の馬鹿だよな」
グシャリと片手で前髪を掻き潰し自嘲の笑みを溢したその時、時空の歪みが背後にできたことを感知し、顔を無に戻す。
「おまたせ!おーじをつれてきたよ〜」
エテルノの後ろにいた困惑顔の第二皇子は、フーリンの姿を見つけるとサッと顔色を変え、ベッドに足早に近寄った。
全身に広がる黒い痣を認めた皇子は、顔を強張らせ唇を引き結ぶ。
澄ました顔しか見たことがなかったため人間らしい反応をする皇子が意外だったが、すぐに理解した。
この男を根本から変えたのは紛れもない、フーリンであると。
「──ノア」
怒りに満ちた声音は、部屋の空気を震わせる。
このままでは部屋を破壊されかねないほどの怒気だった。
「おい、皇子に早くやり方を教えろ」
「もーせっかちさんなんだから〜。だいじょーぶだいじょーぶ、まだだいじょーぶだからねー」
俺の内心の焦りすら見抜いていたのか、エテルノは宥めるような声を出しながら皇子のそばに近寄った。
「おぼえてる?おーじもフーリンにしてもらったことがあるでしょ〜」
「あれは……やはりノアの差し金だったか」
「あれあれ、フーリンとノアがつながってること、うすうすきづいてたかんじー?あ、もしかしてフーリンがノアにじょうほうもらすとでもおもってた?」
「それはないな」
エテルノの言葉に被せるように否定する皇子は、どうやフーリンのことを心の底から信用しているらしかった。
「フーリンが俺の元にいるのならば、俺にとって国家機密の漏洩も身内の死もどうだっていい。フーリンがどんな選択をしようと俺は味方であり続けるし、彼女がどこへ行こうと俺は彼女から離れはしない」
いや、違うな。
そう言って皇子は嗤う。
「永遠に離しはしない、そう言ったほうが正しいか」
敵わないと思った。
フーリンに対する気持ち悪いぐらいの執着心を見せつけられ、ガツンと頭を殴られた錯覚に陥った。
馬鹿じゃねえの、フーリン。
どう見てもこの男は女神によって強制的にフーリンを好きになったんじゃない。
この男自らお前を選んだんだ。
「それよりどういう手順でやればいいか教えろ」
俺は思い出す。フーリンと離れることが分かったあの日を。
幼かった俺はアイツと離れる選択をした。自立できた時に再び会いに行こうと、決めたあの日のことを。
今になって気付く。結局のところ俺は臆病だったのだと。
なにも言えず、辛い時にもそばにいてやれず、素直にもなれず。
こんな俺にフーリンの隣に立つ資格などはなから無かったのだと、心臓に痛みが走る。
フーリンの体に顔を近づける皇子の背中から目を逸らし、俺は部屋を去った。




