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【連載版】まだ早い!!  作者: 平野あお
第二章 ひだまりの怨嗟編
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五十五話 絶望の底

 

 どうしてこんなことになったのだろう。

 冷たい床に座り込み、呆然と天井を見上げた。

 カビ臭さが鼻につくこの部屋は、薄っぺらい布が一枚あるだけで、体が芯から冷えるような感覚を覚える。


 ──皇太子妃殺害未遂の疑い。


 突然自室に入ってきた騎士たちに、こう叫ばれ、私は瞬く間に牢へと入れられてしまった。

 ギルフォード様の言う通り、部屋から一歩も出なかった私にとって寝耳に水の話で、なぜ私が犯人と疑われているのか見当さえついていない。


 リフェイディール様は大丈夫なのだろうか。

 殺害未遂と言われるぐらいなのだから危険な状態である可能性も考えられる。


「……寒い」


 このまま私は疑われたまま処刑され、二度とギルフォード様に会えなくなってしまうのだろうか。

 運命の伴侶であったとしても、殺害未遂の汚名を被った人間など助ける余地もないと見捨てられてしまうかもしれない。


 そんなことを考えた瞬間、目が眩み呼吸が浅くなったのが分かった。

 このままでは過呼吸になってしまうと、胸を押さえてゆっくり呼吸を繰り返すも、自分の荒い息しか聞こえないためか余計に酷くなる。


「ギルフォード様……」


 意識を失う前に呟いたのは、お父様でも、ラディでも、ローズでもない、たった一人の人。



「やあ、フーリンちゃん」

「皇太子、殿下……?」


 目を覚ました時に感じたのはふかふかのなにかで、今自分がいる場所が地下牢などではないことが分かる。

 視界がハッキリしてくると、自室のベッドに寝かされていることを把握した。


「とある御方が尽力してくれてね、君を牢から出すことは叶った。が、依然として容疑は晴れていない状況だ」


 エルズワース様にいつもの朗らかな空気はなく、冷ややかな視線が私を射抜く。

 当然だ。今もなお、私はリフェイディール様を殺そうとしたの容疑者なのだから。


「妃殿下の状態は……」

「最悪だよ。遅効性の毒を飲んだんだ。助からないかもしれない、もちろん子どももね」

「そんな」


 エルズワース様は苛立ちを抑えることができないのか、腕を組み指を小刻みに動かしている。


「今日の夕方、エイダが部屋で倒れているのを発見した。鍵がかかった部屋の中にはエイダ以外いなかった」

「私はなぜ、犯人に疑われているのでしょうか」

「君は、解錠ができるんだってね」

「……え?」

「君の侍女から聞いたよ」


 その言葉で全てを悟ってしまった。


「……ラプサの言う通りです」

「その部屋に出入りできるのは専用の鍵を持っている僕と専属侍女の二人のみ。その侍女のアリバイは既に取れている。じゃあ解錠能力があると言う君は今日の夕方あたりどこでなにをしていた?」

「そ、れは……ずっと部屋にいたので……」


 ラプサも三時の作業休憩以降呼んでいないので、私のアリバイを証明してくれる人はいないということになる。


「まあ解錠できるというその事実のみを以って君を疑うことは信義に反するし、普通の者ならばそれだけで君を牢に連れて行ったりなどしないよ」

「ではどうしてですか」


 エルズワース様は悩ましげに眉を寄せ、溜息を吐いた。


「君の侍女がね、解錠能力以外にもこんなことを周囲に言いふらしているんだ」


 皇太子妃を殺そうとしたのはフーリン・トゥニーチェだ。

 そのトゥニーチェの娘は父に強請り、ギルフォード皇子を脅して無理やり彼の伴侶になろうとしている。

 あまつさえ皇太子夫妻の命を狙い、トゥニーチェ家が国を乗っ取ろうとしている。


「とね」


 言葉を失い、ただ嫌な汗が溢れ出るのを感じた。


「さすがにこれは僕もやばいと思って止めたんだけど、思った以上にその噂は早く城中に広まってしまってね。一部の過激派が動いてしまったようだ。……運命の伴侶が本物か偽物かなんてギルの態度を見れば一目瞭然だし、君の父上にそんなつもりがないことなんて僕がよく分かっている」


 ガンガンと頭が殴られているように痛い。

 ここがベッドでなければ、私は確実に床に座り込んでいただろう。


「私、お父様にまで迷惑を」

「まあその辺に関しては心配せずとも本人がどうにかするよ。それより、未だに君が容疑者であることに変わりはない。自分はやってないという証拠があるなら話は別だけど、無いことの証明は限りなく不可能だ」

「……はい」

「つまりは別の人間がやったという証拠さえあればいいわけだけど、……なにか心当たりは?」


 黙り込む私にエルズワース様は「そう」とだけ言って私に背を向けた。

 その後姿を見てハッとわずかな理性を取り戻した私は、身を乗り出して呼び止める。


「お待ちください、殿下!」

「なに、これ以上話をする時間は」

「これを、妃殿下にお渡しください」


 いつものように付けていた腕輪を外し、まだ温もりが残ったそれを差し出す。

 腕輪を外した瞬間、体が重くなった気がしたが今はそんなことを気にしている場合では無い。

 訝しげに私を伺うエルズワース様を強く見返した。


「これには多くの魔法が付与されているので、おそらく妃殿下の容態回復に役立つと思います」

「へえ……、氏の娘ならあり得るか」

「それと、運命の伴侶である殿下なら妃殿下を助けられる唯一の方法を私は知っています」

「……そんな方法が実際にあったとして、なぜ君がそれを知っている?」

「私が物知りだからです!」


 エルズワース様は私の言葉に瞠目すると、ふっと小さく笑った。


「分かった、物知りな君の知識を信じよう。なるべく手短に教えて」

「はい、最初は──」


 震える体を叱咤して、私は過去の記憶を掘り返しながら懸命に方法を伝えた。



 エルズワース様が部屋を去った後、ベッドに倒れ込む。

 体が熱くて仕方ない。

 生き物が全身を這っているような、そんな感覚があった。


「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 誰宛のものでもない謝罪は、ただ虚しく私の耳に木霊するだけだった。


 どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 ドタバタと騒がしい足音が聞こえたかと思うと、勢いよく扉が開かれた。


「フーリン!!」


 汗を垂らし息を荒くするギルフォード様が走り寄ってきたかと思うと、ベッドに蹲る私を強く抱きしめた。


「怪我は?無事か!?」

「……ぐ、ぐるじいです」

「っ、すまない」


 ギルフォード様はそう言って腕の拘束を外しはしたが、頰をペタペタと触りながら私から視線を外すことはない。


「大丈夫です、特に危害は、加えられていません」

「……そうか。だが怖かっただろう?俺がそばにいてあげられなくてすまなかった」

「いえ、こうして急いで戻って来ていただいただけで嬉しい、です。ほんとに、嬉しかった……です」


 治ったと思っていた震えが再度体に走り、血の気が引いていく。


「大丈夫だ、フーリン。俺はここにいる」


 襲って来た恐怖は私の思考を奪ってしまい、私はただギルフォード様に縋り付く。


「どうして、こんなことに……っ」

「……俺がいなかった時になにがあったか、話してもらえるか?ゆっくりでいい」


 首を縦に振り、自分の身に起きたことを語る。

 話し終えた後のギルフォード様の顔は、忌々しげに歪んだ。


「あの侍女、なにが目的だ?いや、母上の目的だというべきか」

「あの、……たぶんですが、今回のことは皇妃陛下の意図したものではないと思うんです」

「そう考える根拠は?」

「すみません、根拠と聞かれると答えられないんですが、……勘です」

「勘」


 静まり返った部屋に私はいたたまれなくなって、私はもう一度謝罪をしようとした。けれど、ギルフォード様は口元に弧を描いて、私の手を取る。


「分かった、フーリンの勘を信じよう」

「えっ、いや勘ですよ?ただの勘ですよ!」

「勘であろうと、俺はフーリンの言葉だけは信じる」

「私が……犯人かもしれないんですよ……」


 ギルフォード様は私の言葉に小さく吹き出し、目を細めた。


「そうだな。フーリンが犯人ならば、いっそのこと二人でここから逃げるか?」


 愛おしげな顔をして、なんてことを言うのだろう。


「ダメですよ、そんなこと。殿下は、この国の皇子様なんですから」


 私の言葉に晴れやかな顔付きになったギルフォード様は、私の手の甲にゆっくりと口付けを落とす。


「たとえ女神を敵に回そうとも、俺は永遠にフーリンの味方だ。俺だけは絶対に君を裏切りはしない」


 ぽろぽろといつの間にか涙が落ちていた。

 心臓がうるさくて、苦しい。

 女神を信じて生きていた人が、私のために女神を捨てようとしている。


「……それは、私が運命の伴侶だからですか」


 きょとん、と子どもみたいに目を丸くしたギルフォード様は、再び破顔して私の手を握り締めた。


「俺がフーリンを愛してるから」


 それ以外に理由は無いな、と言い切ったところで、私の涙は堰を切ったように流れ落ちた。


「バカじゃ、な゛いでずか……っ」

「そうだな、親馬鹿ならぬフーリン馬鹿と言ったところか?」


 そう言ってギルフォード様はもう一度、今度は優しく、私を抱きしめた。



 ようやく落ち着いてきた私に、ギルフォード様はまだ入ってないのだろうと入浴を勧めてくれる。

 牢屋に入っていたせいか体が埃っぽく、嫌な汗が纏わりついているのを感じ、早々に浴室へと向かう。


 しかしそこで私は地獄を見た。


「──なに、これ」


 全身黒い痣に覆われた自分の肌。

 擦っても擦ってもそれは落ちず、肌がヒリヒリと痛むだけ。


「うそ、やだ、なんで」


 なにより私を絶望に叩き落としたのは、お腹にあるはずの花紋が消えているという事実だった。

 大輪の花が、黒い痣によってほとんど覆われ尽くされている。痣の進行が進めばそこに花紋があったこと自体分からなくなるのは簡単に予想がついた。

 ドクンドクンと全身が心臓になったかのように、鼓動が耳に響く。


『これを、妃殿下にお渡しください』


 もしかして──腕輪を外したから?

 へなっと床に座り込み、力の入らない手で花紋があった辺りの場所に触れる。


「花紋……ない」


 確かに花紋を消したいと思うことはあった。それでもあの時と今では状況が違う。


「は、はは……」


 こんな形であの時の願いが叶うなんて、女神は随分と皮肉が好きなようだった。

 花紋がなければギルフォード様の伴侶だと証明することもできず、ラプサがばら撒いているという噂を本当にしてしまう。


「どうした」


 私の顔色が入浴前よりもさらに悪くなっていることに気付いたのか、ギルフォード様が気遣わしげに私の顔を覗き込んでくる。


「少し、疲れが出たのかもしれません」

「……そうか。もう寝よう」


 私の背を押そうとしてくれようとしたのだろう、背中にギルフォード様の手が触れたのを感じた。

 しかしその瞬間、私はギルフォード様から勢いよく距離を取る。


「……フーリン?」

「あっ、やっ、その」


 ギルフォード様が私に触れることで、あの黒い痣が移るのではないかと恐れたのだ。


「今日は、少し、離れて寝てもらえますか」

「…………分かった」


 ギルフォード様もなにか思うところがあったのか、長い沈黙はあったものの最終的には頷いてくれたことにホッとする。

 広いベッドの端と端に身を寄せ布団を被ると、再び涙が溢れ出し、私はしばらく眠りにつくことができなかった。

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