五十四話 思われ人 ※ギルフォード視点
「帰りたい……」
「本当に今すぐ帰りそうな顔をなさらないでください」
書記官は呆れた顔をしながら周囲に指示を飛ばしている。
「陛下もおられることですし、お願いいたしますよ」
「分かってる」
フーリンと三日間も離れているということですら耐え難いのに、父上と公務をこなさなければならないと考えるだけで頭が痛い。
「父上はどこにおられる」
「知己の方とお話しされているようです」
「案内しろ」
正直父上などどうでもいいが、式前に新国王に挨拶をしておかなければならない以上探し出す必要があった。
「父上」
「……ギルフォードか」
知人との話は終わったのか、バルコニーで外を眺めている父上の姿があった。
そこに皇帝の威厳などなく、最早兄上の方がそれらしい。
「国王に挨拶に行きましょう」
「分かった」
今では執務のほとんどを俺と兄上でこなし、こうして重要な公務の時にのみ父上が表に出ているため、事実上父上は隠居状態となっている。
自分と同じ黒髪を見ているとなんとも言えない気持ちになってくるため、目を逸らし新国王が控える面会室へと足を運んだ。
父上とともに面会を済ませ、その部屋を後にしようとした時のことだった。
「ギルフォード様、少しよろしいでしょうか」
「分かりました。父上は先に控室へお戻りください」
「そうかい。ではメロディアさん、私はここで失礼いたしますよ」
「はい、ごゆっくりなさってくださいね」
女王は改めて先に座り直し、俺を座るよう促した。
「それで、なんの話でしょう」
「ギルフォード様の運命の伴侶についてです。まずはフーリン様にお会いできたこと、改めてお祝い申し上げます」
「ありがとうございます」
「フーリン様はお元気にしておられますか?」
卒業式の騒動に箝口令を敷く際、協力をしてもらったのが当時は王女であった彼女である。そのため女王はフーリンが俺の伴侶であることを既に知っていた。
「ラドニークにフーリンさまについて時々尋ねてみるのですが、あの子ったらなかなか教えてくれないんです」
「本当に仲が良いからこそ無闇に相手の情報を漏らしたくないとでも思っているんでしょう」
「ふふ、そうかもしれませんね。……そうだ、ギルフォード様は知っていますか?ラドニークの態度についてなのですが」
「態度?」
「あの子、どうやらフーリン様に対してだけ性格を変えてるみたいなんです」
そう言えば、と魔物を倒す前のラドニークの性格を思い出す。
本当のところは分からないにしても、なんとなくではあるが、ラドニークがそうする理由を思いつくことができた。
「ラドニークは頭の良い人物であると、俺は彼を信用していますよ」
「今のギルフォード様の言葉をラドニークが聞いたら失神しそうですね」
「……そろそろその辺の耐性を付けるよう指導した方がいいかと思いますが」
「それこそぜひギルフォード様にお願いしたいことですね」
思わず苦虫を噛み潰したような表情をすると、女王は物珍しげな視線をよこした後、小さく笑った。
「フーリン様のこと、大切にして差し上げてくださいね」
「言われなくとも」
こうして会話は終わり、その後の即位式も滞りなく粛々と行われた。
その日の夜には新国王の誕生を祝うパーティが王宮で開かれる。父上は参加しないことにしているため、イルジュアの代表として顔を出さなければならなかった。
群がる他国の貴族や各界の要人たちを捌きつつ時間を過ごしていると、二人の男女が俺に近付いてくるのを視界に捉えた。
「ラドニーク」
「んんっ、ぎ、ギルフォード様、ご無沙汰しております!」
「忙しくしていると聞いているが大丈夫か」
「それについては問題ありません」
一言二言交わすと、ラドニークがなにか言いたげな顔をしていることに気づいた。
「なにか言いたいことでもあるのか?」
「……フーリンは元気か、お聞きしたかったのです」
目の前の男の顔付きが変わった。
俺は発言の意図を理解しようと見返せば、ラドニークは拳を握り締め、こう言った。
「……あり得ないとは思いますが、もし、貴方がフーリンを傷付けるようなことがあれば、いくらギルフォード様といえども僕は貴方を許すことはできません」
真っ直ぐな視線はどこまでも熱く、その熱を受けた俺は僅かに目を見開く。
俺のことを慕うというラドニークがそう宣言するのに、どれだけの勇気がいっただろうか。
「ラドニーク」
「っ、生意気を申し上げました。しかし、これが僕の本心です」
堅く結ばれた二人の絆があまりにも羨ましく、思わず笑みが溢れる。
「ヒジリサマガワラッタ……」
呆然と俺を見上げるラドニークがなにかを呟いた。聞き取れなかったため顔を近付けると、ラドニークは目に見えて固まった。
「お、おおい、ねえ、おいっ、ねえってば、ローズマリー!」
「口調が乱れてるぞ、ラドニーク」
ラドニークの横にいた赤髪の女性は苦笑しながら俺に視線を移した。
テスルミア帝国火の部族における、次期部族長筆頭候補と言われているローズマリー・メラーだ。
「一応初めまして、になるな」
「フーリンの友人であったな」
「そうだ。個人的には少し前の事件の際も世話になっている」
理知的な目はラドニークとよく似ていて、俺を見定めるような視線を送ってくる。
「仕事上仲良くしてもらえればと思っているが、フーリンのことに関してはあたしも譲る気がないのでそのつもりでいてくれ」
「……承知した」
「ほら、ラドニーク、しっかりしろ」
「むり、ひじりさま、わらった、むり」
「これは元に戻るまで時間がかかるか。すまない、ギルフォード殿、我々はこれで失礼する」
「ああ」
ラドニークを脇に抱えると、ローズマリー・メラーは人混みの中に消えていった。
一旦休憩しようとバルコニーにまで足を運び、月を見上げる。
「フーリン……」
離れてまだ一日しか経っていないというのに会いたくて会いたくて仕方がなかった。
フーリンが俺に対し警戒心を解いているのは確実で、それ自体はとても嬉しいことなのだが……それに伴ってどんどん無防備になっていくフーリンが可愛すぎて、俗っぽい言葉で言えば──ヤバい。
絶対に俺を試しているだろうと問い詰めたくなる時が何度もあり、そろそろ俺自身我慢できるか自信がなくなってきている。
一緒に料理をして食事ができることに、風呂上がりの色っぽい彼女を見ることに、花紋に触れながら共寝できることに、彼女の好きなことを聞きながら会話をすることに、言葉では言い尽くせないほどの幸せを感じている。
かつて祈りに祈り続けたあの日を思い出してはフーリンの存在に感謝していた。
正直に言えば俺にとって最早女神などどうでも良い存在となっていた。祈るならフーリンに向かって祈りたいし、フーリンこそが俺の女神だと本気で思っている。
つまりは女神ロティファーネさえ入り込む余地がないほど、俺の中はフーリン一色で満たされていた。
フーリンが心を開いてくれたからこそ話してくれた彼女の過去の話を思い出す。
あれだけ親馬鹿なウルリヒの愛情が信じられなくなるくらいなのだから、相当のトラウマだったのだろう。
親でさえそうなるならば、俺が一度でも失敗しようものなら、どれだけ頑張ろうとも二度と彼女の信頼を得られないであろうことは簡単に想像がついた。
俺の愛は深くて重い。
そもそもそれをフーリンが受け入れてくれるかどうかが分からないのだから、慎重に関係を進めることが重要であることには違いない。
と言いつつ、キスしたりお腹を触ったりと際どいことをしている自覚はある。
でもあれはフーリンが可愛いすぎるせいだから仕方ない。
むしろ唇にキスしてないことを褒めて欲しいぐらいだ。
「……はあ」
帰城すれば普通の仕事も溜まっているうえに、母上の件もデイヴットの件もそろそろ片付けなければならない。
自分の立場を捨ててフーリンと城を出たい気持ちでいっぱいだが、そんなことをすればフーリンが気に病むことは目に見えているため実行に移すことはおそらくないだろう。
俺が帰ったら話があると言っていたフーリンのことも気になるな、と頭に考えを巡らせていると、顔を強張らせた書記官が俺のもとに足早に近寄ってきた。
「殿下、落ち着いて聞いてください」
「なんだ」
その口から伝えられたのは、想定だにしていなかった最悪の事態だった。
「フーリン様が皇太子妃殺害未遂の疑いで地下牢に収監されました」




