四十九話 花紋の在処
入浴後、熱に浮かされたまま私は自室の中央に立ち尽くす。
「……どうしたらいいの」
本当に来るのかも怪しいギルフォード様を待ち続けるのは精神的にキツい。来るなら早く来てほしい。
そんなことを思ったと同時に扉を叩く音が聞こえ、肩が飛び跳ねる。
「入ってもいいか」
「ど、どうぞ!」
来た。
本当に来た。
胸元が開いた寝衣姿のギルフォード様が不思議そうにこちらを見ている。
同じく湯浴み後なのか髪がしっとりとしていて、いつもかき上げられている前髪が下ろされていた。
なんと言っても放たれる色気がヤバい。
垣間見える疲労がさらにそれを助長していた。
「そんなところに立ってどうした?風邪をひくだろう」
「そ、そうですね、ははは。あ、あの、お仕事お疲れ様でした!」
「ああ、ありがとう」
挙動不審な私の背を押しベッドへと促すギルフォード様はあまりにも無防備で、どぎまぎしてしまう。
「兄上の言葉を馬鹿正直に聞いて君の元に来てしまった愚かな俺を笑うか?」
「……ひっ、一人で寝た方が疲れがとれると思います!」
「つれないことを言わないでくれ」
私と共にベッドに腰掛けたギルフォード様は、私の髪を一房手に取りそこにキスを落とした。
ギョッと目を丸くした私は間違いなく間抜けに見えたはずなのに、ギルフォード様の言動は止まらない。
「良い匂いだな」
「私も気に入っています!」
うんうん、良い匂いですよね。どれも高級な物ばかり使わせて貰ってるからむしろ良い匂いじゃなければ詐欺だ。
ふ、と笑みをこぼしたギルフォード様は私の頭を撫でると、布団を捲り「寝よう」と促した。
頷いてゆっくりと布団に入り込み、適度な距離を開けてギュッと目を瞑ると、明かりが落ちたのが分かった。
「おやすみ」
「ぉ、おやすみなさい……」
ギルフォード様も空いた距離を詰めてくることはなく、残念なようなホッとしたような複雑な気持ちになりながら、早く寝ようと頭を振る。
しかし、──寝れない。
ギシリ、とベッドの軋む音が嫌に大きく聞こえる。
心臓は逸り、目は完全に冴えてしまった。
そっとギルフォード様の方を見てみると、彼は私に背を向けて寝ているのが分かった。
汗が滲む掌が気持ち悪くてシーツを握り締め、慎重に息を吐く。
「あ、の」
「ん、どうした?」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さい声だったにもかかわらず、ギルフォード様はすぐに反応してこちらに体を向けてきた。
起こしてしまったという罪悪感は緊張の渦に飲まれ、私の頭は爆発寸前だった。
寝れるはずがなかった。
「眠れないか?」
こくりと頷くとギルフォード様の動く音がした。
「疲れが溜まったか」
ああ、部屋が暗くて良かった。
ギルフォード様を意識しすぎて真っ赤になっている顔を見られてなくてすむ。
上半身を起こしてこちらに近寄り手の平で私の頬を撫で始めるギルフォード様に、これでは頬の熱さがバレてしまうと焦ったけれど、どうしてかその手から離れることができなくて、むしろその手に身を委ねるように目を瞑った。
「……フーリン」
私の名を呼ぶ掠れた声があまりにも甘くて、私は目を再び開き息を呑む。
暗闇に目が慣れてきたのか、ギルフォード様の表情が明確になってきている。見てはいけないレベルの蕩けそうな笑みなんて私は見えてない。見えてないったら。
それに寝衣がはだけてさらに胸元が露わになっているのも大変よろしくない。くっきりと浮かび上がった喉仏や鎖骨が無防備に晒されていれば、私とて思うところは──。
「──」
目を見開き固まってしまった私を不思議に思ったのか、ギルフォードがさらに顔を近付けて顔を覗き込んでくる。
しかし今の私はギルフォード様の鎖骨のそこから視線を外すことができなくて。
「フーリ、……っ」
無意識に腕を伸ばしそこにそっと触れると、ギルフォード様は物凄い速さで私の腕を掴んだ。
「あ、も、申し訳ございませんっ。勝手に触れたりして……」
「いや、驚いただけだから大丈夫だ」
その一言で済ませてくれたギルフォード様の優しさに甘えてしまったけれど、普通に考えれば私のしていることは痴女のそれと変わりない。
私は何度彼に無体を働けば済むのだろうかと自分を殴ってやりたくなった。
『聖様は魅力の塊だ。どんな人間も惹き寄せてしまう、そんな存在だ』
あの時のラディの言葉は正しかった。
私は確かに、着実に、ギルフォード様に惹き寄せられているのだから。
「フーリン」
「えっと、もう寝られますか?すみません、用もないのに起こしてしまっ……」
掴まれたままだった腕が引かれたかと思うと、私の手は再びギルフォード様の鎖骨に触れていた。
「!?」
無意識に触れた時と違ってギルフォード様の肌に直接触れている感覚が生々しく伝わってきて、羞恥に耐えられなくなった私は思い切り手を引くために腕に力を込めた。
しかしなぜかびくともせず、思わずギルフォード様を見上げると、彼は悪戯げに口の端を吊り上げている。
「花紋、ちゃんと同じだったか?」
「っ、暗くて、よく分からない、です」
「そうか」
嘘。ちゃんと見えていた。
何度も見た自分のものと寸分の違いもない、美しく咲き誇る花の紋様が。
私を貫く強い視線にいたたまれなくなった私は声を上げた。
「ああああの!そう言えばここに来て他の人に花紋を見せたことがないんですが、それは大丈夫なのでしょうか!」
「ん?ああ、問題ない。フーリンが俺の運命の伴侶だというこは、一目見た瞬間から分かっていたことだ。花紋は付随物にすぎない……とは言っても純粋に見てみたい気持ちはあるがな」
「!」
「なぜ離れる」
「その、びっくりしてしまって」
そう言いながらジリジリと距離を取っていく私を見て、ギルフォード様は片眉を上げたかと思うと。
「──!」
布団を剥ぎ取られたと思った次の瞬間にはギルフォード様が私の上に覆い被さっていて、私の顔の横にはこれ以上逃げられないように腕が檻のように突き立てられていた。
向けられる妖しい笑みから視線を逸らすことができない。
「花紋はどこにあるんだ?」
「……」
「教えて」
くらり、と。危うくギルフォード様の色香に迷わされそうになり、唾を飲み込みながらかすれた声で答える。
「おなか、です」
「お腹?」
ギルフォード様の視線が私の顔から下に移る。
それだけで自分のお腹のある場所が熱を持った。
妙に恥ずかしくなった私は上から降り注ぐ熱視線から自分のお腹を守るように手で隠す。
なのにギルフォード様はすぐさま私の手をベッドに縫い付けるものだから、私に対抗の術はなくなってしまった。
「見たい」
真っ直ぐな視線が私を射抜く。
あまりにも真摯な表情に頭がやられたのか、私は無意識のうちにこくりと頷いていた。
「ここか?」
「ここ、です」
左側のお腹を指差すと、私の花紋を包み込むように大きな手が当てられた。服越しから伝わってくる熱に、気付かないうちに私の涙腺は緩んでいて。
「……!!ッすまない、嫌だったか」
焦った声とともに離れていってしまった手が宙をさまよっているのをぼやける視界で見つけ、こめかみに涙が伝ったままその手を握り、再度私のお腹に当てた。
「……いいのか?」
「殿下の手、凄く安心します」
欠けていたピースが見つかった、そんな感覚だった。
言葉にできない感情が私を襲い、それに呼応するように唇がわなわなと震え出す。
落ち着くために一息吐きギルフォード様の手を離すけれど、解放された手はそこから動くことがない。
「見ても、いいか」
「やっぱり、いえ、ぅ、はい」
改めて確認されるとじわじわと現実に引き戻される感覚があって、頬に赤が散っていく。
怖気付きそうな自分を叱咤し、覚悟を決めた私は下半身を布団で隠した。そして寝衣の裾を、花紋が見えるギリギリのところまでゆっくり持ち上げる。
直接空気が触れているためお腹がスースーとして落ち着かない。
もういいだろうか、と服を戻そうとしたその時、花紋に甘い痺れが走った。
ギルフォード様の手が、私の肌に直接、触れていたのだ。
「ッ」
あまりの恥ずかしさに逃げ出したくなった私は声を上げようとした。けれど、私の花紋に触るその手がわずかに震えているのに気付き、私の動きが止まる。
不思議に思って見上げると。
「でん、か」
どうして、そんな泣きそうな顔をしているのか。
彼の頰に触れようと戸惑いながら伸ばしたその手は、ギルフォード様に摑まれたかと思うと、優しく口付けられた。
「ギル、と」
「へ」
「そう呼んでほしい」
突如投げかけられた要求に動揺した私は、クッションを手繰り寄せそれで顔を隠す。
「フーリン」
「……わ、私には難易度が高いです!」
「高くない。たったの二文字、口にすればいいだけだ」
「無理です、っあ!」
クッションを奪われ、私の手の届かないところに放り投げられる。
「呼んでほしいんだ。他でもない、フーリンに」
「……」
「ダメか?」
「〜〜ッ、分かりました!分かりましたよ!──ギル!これでどうで、んぎゃ!」
言い終わらないうちにギルフォード様は私をギューっと抱き締め、頰同士をくっつけ擦り合わせてきたではないか。
溜まりに溜まった疲労でとうとうご乱心になったのかと思った。
「なあ、フーリン」
「は、ぃ」
しばらくして満足したのかギルフォード様は私から少しだけ離れると、へろへろになって息も絶え絶えに返事をする私を見て、愛しげに目を細めた。
「フーリン」
「はい」
「……フーリン」
「はい……?」
私の名前を呼ぶだけで、それ以上なにも言おうとはしないギルフォード様に首を傾げると、なぜか私の目を手で塞いできて。
「もう休もう。明日に響く」
「あ、そうですね」
「おやすみ」
「へ、っお!?お、おやすみなさい」
寝衣が再び捲り上がったかと思えば骨張った手が侵入してきて、花紋がある位置で止まった。
このまま寝るの!?と内心抗議したい気持ちでいっぱいな私に気付いているはずなのに、ギルフォード様はなにも言わない。
このままでは寝られないと思ったけれど、与えられる熱があまりにも心地よく、たいした時間はおかずに私の意識は落ちた。




