四十八話 皇太子夫妻
「というわけで、これからはギルと一緒に寝てあげてね!」
どういうわけで?
「あれ、嫌だった?」
反応を見せない私に気付いた美形男性は、心底不思議そうに首を傾げる。私が喜んで受けるとでも思ったのだろうか。
そんな男性を嗜める声が私の斜め横から投げられた。
「もう、エルったら。そんな捲し立てるように話したらフーリンちゃんも驚きますよ」
「そう?ごめんねエイダ」
「わたくしに謝るのは違うでしょう」
「えー、ごめんねフーリンちゃん」
「はあ」
皇太子エルズワース様と皇太子妃リフェイディール様がなぜ私の部屋にいるのか未だに理解できないまま、二人が醸し出す独特な雰囲気に呑まれ呆けていると、リフェイディール様が私の手を握り微笑みかけてきた。
「でもエルの言う通り今日のギルフォード様の顔色は見違えるほど良くなってるの。理由なんてフーリンちゃんと一緒に夜を過ごしたこと以外考えられないわ」
「っ、それは誤解です!」
「誤解?ギルも認めてるけど」
「いえ、一緒に寝たのは事実なのですが、その、変なことは一切なくてですね……」
目を開けたらあった女神の微笑みはあまりにも鮮烈で。
朝から見るには眩しすぎるご尊顔が近付いてきたかと思えばおはよう、と額にキスされて、私はとうとう天に召されたのかと思った。
状況を読み込めずぽかんとする私に向かって『つい長居してしまったな』なんて楽しそうに言ってくるギルフォード様は、今思えば昨夜と比べ肌艶がとても良くなっていたように思う。
名残惜しそうに(見えた)ギルフォード様が部屋を去っていた直後、ようやく私は寝起きのだらしない顔を見せてしまったことに気付いた。
それだけでも地面に埋まりたいくらいなのに、シーツに残るギルフォード様の残り香に惹かれ、しばらく堪能してしまった私は万死に値するのではないだろうか。
等々、今朝の記憶を思い出してしまい、密かに悶える私にエルズワース様は衝撃的な発言を浴びさせてきた。
「んー?別に『変なこと』があってもいいんじゃないの?二人は運命の伴侶なんだし。むしろ僕はいけいけいけいけもっといけって感じだけどね!」
なにを言っているのだろうか、このお方は。
「フーリンちゃんだって、ギルの魅力にくらってきたでしょ?そんなこと言うってことは実は危なかったんじゃないのー?」
本当に皇太子なのかと問いたくなるくらいの悪い笑みを浮かべられ、半分図星だった私は動揺して声を上げる。
「その、昨日はお話ししてたら寝入っちゃっただけで。誓って私はギルフォード様に手は出しておりません!」
「ぶっ、ははっ!!手を出してないって!どっちかといえばギルが言うセリフでしょ、それ!はははっ!!」
お腹を押さえて爆笑するエルズワース様を呆然と眺めていると、リフェイディール様が「見てはダメよ」と私の視線の向きを変えさせる。
「愛する弟の伴侶がようやく見つかったものだからちょっとおかしくなってるの。無視していいわ」
「……妃殿下」
「あら、妃殿下なんて他人行儀に呼ばないで。お義姉様ってよんでちょうだい」
「そ、それは恐れ多いといいますか」
ダメだ、リフェイディール様もギルフォード様とはまた違う良い匂いがする。言うことなすこと全て肯定したくなるような高貴な香りだ。
「ギルフォード様はわたくしの義弟なのだから、その伴侶であるフーリンちゃんがそう呼ぶのは全くおかしいことではないわ」
「……ですが、その」
「まあまあ、エイダ。フーリンちゃんもまだ緊張してるんだろうし、もう少しここに慣れてからもう一度お願いしよう?」
予想外の援護に驚いていると、エルズワース様の言葉に納得したのかリフェイディール様はそうね、と頷いた。
「それよりさ、来た時から気になってたんだけどこれなに?」
エルズワース様は私の目の前にある紫の包装がされた箱を指差した。
今朝ラプサが持って来た物で、どうしようと困っていたところにお二方がやって来たのだ。
「これは皇妃様からいただいたものです」
「へえ、皇妃からねえ」
エルズワース様は箱を持ち上げてひとしきり眺めた後、勝手に包装を解き始めた。
「エル!」
「まあ待ってよ、エイダ。あの人がフーリンちゃんになにを贈ったか気になるんだ」
「だからと言って持ち主の断りなく開けてはいけません」
「別にいいよね?フーリンちゃん」
「もちろんです」
有無を言わさない空気に間髪入れず返答すると、エルズワース様は楽しそうに口角を上げた。
その横顔はギルフォード様によく似ていた。
「ごめんなさいね、フーリンちゃん」
「いえ、大丈夫です」
申し訳なさそうにするリフェイディール様に、大変そうだな、とわずかに同情したのは私だけの秘密だ。
「これは……クッキーか」
エルズワース様はひとかけら摘み匂いを嗅ぐと、ぽいと口の中に放り込み咀嚼する。
「うん、大丈夫そうだね。はい、残りはフーリンちゃんどうぞ」
ギルフォード様だけでなく、エルズワース様でさえ皇妃様を警戒しているのがこの一連の流れだけでよく分かる。
恐る恐る箱を受け取り、美味しそうなクッキーたちを眺める。
その時、扉がノックされ、一人の男性が申し訳なさそうに入ってきた。
「皇太子殿下、そろそろ」
「やば」
時計に視線をやったエルズワース様は顔を青くした。
「そろそろ行かないとギルが煩いから僕は行くね。じゃあね、エイダ。無理しないでなにかあったらすぐ呼んで。あ、フーリンちゃんはギルと寝る件よろしく〜!」
エルズワース様はリフェイディール様の唇に自身のそれを重ねると、慌ただしく部屋を去っていった。
キスまでの流れがあまりにも自然すぎて気まずい思いをする暇すらなかった。
部屋に残された私とリフェイディール様はお互いの顔を見合い、苦笑する。
「急に来たうえに煩くしてごめんなさいね。私がフーリンちゃんとお話したかったものだから来たのだけど、エルが付いてくるのは予想外だったの」
「いえ、大丈夫ですよ。むしろ来ていただいたのになんのお構いもなくすみません!すぐになにか用意を」
「それこそ大丈夫よ。すぐに帰るから」
にこりと微笑むリフェイディール様だけれど、さすがに皇太子妃をおもてなししないわけにはいかないのではないだろうか。
こうした時の対応方法が分からずおろおろしていると、リフェイディール様は私のそばに来て、クッキーを一枚食べた。
「はい、フーリンちゃんも」
「あ、むぐ、ありがとうございます」
「とっても美味しいわね、このクッキー。さすがお義母様だわ」
「へ?」
リフェイディール様はソファに座り直すと、頰に手を当て困ったように眉を垂らした。
「実はね、お義母様、わたくしにもこうしてよく物を贈ってくださるの。どれも素敵な物ばかりで本当に嬉しいのだけど、エルがどうにも警戒してしまってね」
「ギルフォード様も皇妃様に気を付けろと仰っていました」
「そう……あの方にとっては特にそうでしょうね」
「……どういうことでしょうか」
なにかを知っていそうな口ぶりに途端に心臓が逸る。
「フーリンちゃんはイルジュア皇族のことについて教えてもらってはない?」
「そう、ですね」
「だったらわたくしから言うことではないわね。ギルフォード様に直接聞いたほうがいいわ」
私の不安そうな表情を見て、リフェイディール様は一息を置いた。
「怖がらせるようで申し訳ないけれど、わたくしたち皇族の話を聞いたら間違いなくフーリンちゃんはわたくしたちを信じられなくなると思うの」
「信じられなく、なる」
復唱する私を見て、寂しそうに笑ったリフェイディール様は私の手を取った。
「でもここにいる以上避けられない話だから、フーリンちゃんの決心がついたら聞いてほしいの」
「……分かりました」
フーリンちゃん、とリフェイディール様は真剣な顔をして私を見据える。
「なにがあったとしても、ギルフォード様だけは信じてあげて。あの方はフーリンちゃんだけの味方よ」
その言葉に私は頭が真っ白になって肯定も否定もできずにいると、リフェイディール様が私の手を離し口を押さえ、苦しみ始めた。
「ど、どうされました!?」
「ちょっと気分が……」
「え!だ、誰かを呼んで……!」
「大丈夫、よ。原因は分かってる……から」
立ち上がる私の腕の裾を握り引き止めると、リフェイディール様は自分のお腹に私の手を当てさせて。
「え……も、もしかして」
「ふふ、そうなの」
青白い顔をするリフェイディール様は握っていた小袋から魔道具を取り出し震える手でボタンを押した。
「これでエルが来るから、もう、大丈夫よ。心配をかけさせて、ごめんなさい」
「いえ、あの、おめでとうございます。お大事になさってください」
「ありがとう……。このことはまだ身内の人にしか知らせてないから、内緒に、ね」
「はいっ」
「最近はこんな調子だから、今度はわたくしの部屋に来てお話ししてくれると嬉しいわ」
「もちろんです!」
元気よく返事をしてから数分もしないうちにエルズワース様がやって来たかと思うと、大慌ててでリフェイディール様を横抱きにし去って行った。
その時のエルズワース様の切羽詰った表情からリフェイディール様に対する愛が伝わってきて、なぜか、ふと、お母様が亡くなった時のことを思い出した。




