四十七話 変わった人
「うー、夜食、夜食……なに作ろう……」
約束したのはいいものの肝心のメニューが全く思い浮かばない。
夜遅いのだから消化が良いものにしたほうがいいのはわかっているけれど、いかんせんレパートリーが少ないためこのまま悩み続けるだけではあっという間に夜を迎えてしまう。
少しだけ簡易厨房というものを覗かせてもらった際、ギルフォード様の言うとおり一通りの食材は揃っていることがわかった。奇をてらったものでなければなんでも作れそうだ。
メニューに関してはラディに尋ねるのが一番確実な方法だけど、さすがに速達で出しても今日一日で返事が返ってくるかは確信が持てないし、忙しいと知っているのに手紙を書いてもらうのも気が引ける。
「あ、そっか、本!」
書庫に行けばあれだけの蔵書数なのだから料理に関する本だってなにかしらあるに違いない。
そう思い至った私は書庫へ向かおうと思ったけれど、以前リフェイディール様にお勧めされた本を返していなかったことに気付いた。
ベッドサイドに置いておいた本を手に取り、なんとなくページを捲る。
皇族の運命の伴侶について詳しく書かれているこの本は図や絵で説明されていて、とても分かりやすかった。
歴代の運命の伴侶の絵姿、花紋、生い立ち、皇族との出会いから死ぬまでのこと等々。
内容を思い出すと自然と苦虫を噛み潰したような顔になり、溜め息を吐きながら本を閉じる。
「うん、それより今は本探しの方が大事」
気を取り直し書庫へと向かい役に立ちそうな本を見つけ出した後、いい天気なこともあって外で読むことに決めた。
しかし。
ベンチがある場所へ向かうその道に人がいると気付いた瞬間心臓が飛び跳ね、外に出た後悔が一気に襲って来た。
蹲み込んでいる壮年の黒髪の男性がこちらを見ていた。
当然私の知らない人で、どうしようという焦りばかりが生まれる。
「ここの区域に立ち入れる人間は限られているはずだが……お名前をお伺いしても?お嬢さん」
「私はフー……あ、えっと、フー、です」
思考がまとまらない中話しかけられてバカ素直に本名を名乗りそうになり、咄嗟にフーと名乗る。
男性は私の狼狽る様子を見て緑の瞳を細めながら立ち上がり、額に流れる汗を拭った。
「ではフーさんとお呼びしようか。私のことはディーと呼んでもらえたら」
「ディーさん、ですか」
早くこの場を離れた方がいいんだろうけれど、逃してくれそうな雰囲気ではない。
「フーさんはお勉強でもされているのかな?」
「え?」
「たくさんの本を抱えているからそうなのかと思いましてね」
「あ、これは料理の本です」
「ほう、すると貴女は厨房で働いてらっしゃる?」
「いえ、これは趣味といいますか……」
ドクドクと心拍が早くなっていく。
会話が誘導されている現状に、背中に冷や汗が伝うのが分かった。
「ああ、分かった。大切な人のために作ってあげるんだね」
「!?」
「題名がそれらしき物ばかりだから」
『重たくない夜食』、『貴族の食事』、『栄養バランス入門』、『彩りの極意』等の題名を見ただけで自分のために作らないとすぐに推測できるものなのだろうか。
警戒心がどんどん膨れ上がっていく私に対し、ディーさんはどこかおっとりした空気を醸し出したままだ。
「そっ、それよりディーさんはなにをされていたんですか?」
「ふふふ、見ての通り庭を弄っているよ」
露骨に話を逸らしたことに笑われはしたが、本についてそれ以上言及されなかったことに内心安堵の息を吐く。
ディーさんは造園業をするのにぴったりな作業服を着ていて、既に所々泥で汚れている。右手には剪定鋏、左手には草が握られていた。
「もしかしてディーさんは庭師なんですか?」
「のようなものかな」
断定はしなかったことに首を傾げたものの、これ以上踏み込んではいけないと思い、「そうなんですね」と言って曖昧に微笑み返す。
「フーさんはよくここを通るのかな?」
「たまに、ですね」
「よかったらまたここにおいでなさい。ここら辺りは私が担当してるからぜひ景観を楽しんでほしくてね」
「……機会があれば」
暗に拒否したことで不快にさせてしまったかもしれないとディーさんを見ても彼はただ笑っているだけで、その事実がさらに不安を助長させた。
「あの、私はこれで」
「用事はいいの?」
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
そっか、じゃあまた、と手を振られたので作った笑みを浮かべ遠慮がちに振り返しながら別れ建物の陰に入ると、改めてディーさんがいる方向を振り向く。
ディーさんは庭師のようなものだとは言っていたけれど、あれはどう見ても貴族のそれだ。
泥に塗れようと洗練された所作や空気は隠せるようなものではなく、特に私のような平民には違いがよく分かった。
「……変わった人」
*
卒業以来となる料理はとても緊張した。
ギルフォード様が召し上がる物を、ど素人の私が作るという事実だけでも失神しそうなのに、なにより当の本人が後ろで作業を見守っているのだからそれはもう下手なことはできないというプレッシャーがすごかった。
実際にギルフォード様が厨房にやって来たのは下ごしらえが終わった後くらいだったけれど、何も言わずに優しげな瞳で見つめ続けられるのは本当に心臓に悪い。
「あの、あまり見られると緊張してしまうので……」
「ああ、すまない。そもそも料理という行為自体見るのが初めてだから興味深くてな」
「普通は見る機会がないですもんね」
魚由来のもので作り上げたスープが沸騰したのを確認すると麺を投入し、くっつかないようゆっくりと混ぜる。
「今のはなにを入れたんだ?」
「芋麺というものです。テスルミアの土部族地域の特産品らしいですよ。まさかこんなものまであるとは思わなくて驚きました」
名前の通り麺は芋から作られたもので、食感はもっちりとしていて噛み応えがある。胃もたれはしないけれど適度な満腹感を得るためにちょうどよさそうだったため選んでみた。
いい感じに茹で上がってきたのを見計らい、塩その他諸々を入れて味を調整した後、琥珀色のスープと麺をお皿に移す。
この後は茹でておいた鶏胸肉を食べやすい大きさにスライスし、スープの上にバランスよく乗せる工程に移るのだけれど。
「俺もやってみたい」
「……殿下がこのお肉を切りたいということですか?」
コクリと頷かれ、まさかの申し出に驚きこそしたけれど、まあギルフォード様ならできるだろうと代わってみれば。
「わあああ!待っ、ストップ!」
「ん?」
「ダメです、そんな左手を伸ばしたままじゃ。指切っちゃいますよ!」
ギルフォード様に怪我をさせてしまうという最悪の事態が頭をかすめ、バクバクと心臓が嫌な音を立てた。
「ふむ、ではどうしたらいいんだ?」
「こう、グーにするんです。……そうです、で包丁はこう……」
いつの間にか私はギルフォード様の手に自分の手を重ね、背後から抱きつくような姿勢で指導していた。
殿下に怪我をさせないように!という一心だった私は、ギルフォード様の視線が私の手から顔に移動してきたことでようやく気付くという失態を犯した。
「ももも申し訳ありません!」
「……むしろもう少しそのままでも良かったけどな」
プシューと赤くなる私にギルフォード様は悪戯気な笑みを見せると、料理中ということもあってか再び作業に戻った。
偉そうに指導してしまったことに反省しながら、それからは私も一つ咳払いをして横から見守ることに努めた。
「こんな感じでいいか?」
「はい!綺麗に切れていますね。初めてなのにとてもお上手です!」
「……そうか」
一瞬固まったように見えたギルフォード様を見て、私はまた自分がやらかしてしまったことを理解した。
「すみません、何度も偉そうに!最後に緑を乗せたらこれは完成ですので……」
「いや、違うんだ。なんというか、こうして人から褒められたことがなかったから新鮮……、違うな。ああそうだ、嬉しかった、だな」
そう言ってくしゃっと笑ったギルフォード様は少し照れたように右頬を擦った後、照れを誤魔化すように緑の葉をお肉の上に乗せ料理に彩りをつけた。
──可愛い。
ギルフォード様の一連の言動に、不敬なことにも私はそんなことを思ってしまった。それに加えて抱きしめたくなる衝動に駆られたものだから、口元を手で覆いなんとか気持ちを鎮める。
男性に対して、しかも国中の憧れであるギルフォード様を可愛いと思うだなんて私の頭は大概どうかしている。
冷静に、冷静に、と頭の中で唱えながらもう一つ用意していた、甘橙、甜瓜に生ハムを巻きつけただけの簡単なものを机に並べた。
使用人が使うものなだけあって机は小さく、向かい合って座るギルフォード様との距離が近い。
「美味しそうだな。匂いも良い」
「お口に合うかどうかが不安ですが……」
味自体は問題ないはずだ。完璧に計量し味見までしているのだから。
「フーリンは食べないのか?」
「はい、私は夕食でお腹がいっぱいなので」
「そうか……ではいただくとしよう」
ドキドキしながらスープがギルフォード様の口に運ばれていくのを見守る。
「……美味しい」
薄い唇から漏れたのは無意識だったらしく、ギルフォード様は呆けたようにスープを眺めた。
続けてフォークとスプーンを器用に使い麺を口に入れると見るからに表情が明るくなり、生ハム甜瓜を食べると満足そうに口角を上げた。
「凄く、身体に染み渡る美味しさだな。生ハムの品も面白い味でハマりそうだ」
「ふふっ、ラドニーク様直伝です!」
ラディに叩き込まれた知識をもとに作ったものだから、彼が褒められたような気がして気分が良くなる。
ニヤニヤしている私を見たギルフォード様はなにを思ったか、食べる手を止めた。
「ラドニークが本当に羨ましい。いつもフーリンが作ったものを食べていたんだろう?」
「確かにそうですが、いつも怒られてばかりでしたよ。お前は適当に作りすぎだ!って」
今となっては懐かしい過去を思い出すと、さらに顔がほころんだ。
「……やはり羨ましい。フーリンにそんな顔をさせるぐらい良い関係が築けていたということだろう」
「えっ、私変な顔してました?」
無意識のうちに変顔でも披露していたのだろうかと、顔をペタペタと触っているとクスリと笑い声が聞こえた。
そしてギルフォード様が手を伸ばしてきたかと思うと、私のものに手を重ね見つめてきた。
「……なんでしょう」
「なんでも」
なんの時間だったのか分からないままギルフォード様は私から手を離すと、再び残りの料理に手をつけ始め最後には綺麗に完食した。
厨房にやってきた頃と比べだいぶ顔色が良くなったことを確認し、ほっと肩の力が抜けた。
「フーリン、改めて俺のために食事を作ってくれたことに感謝する。食事がこんなにも美味しいと思ったのは生まれて初めてだ」
「ははは、そんな大袈裟ですよ」
「いや、これは大袈裟でもお世辞でもない。本当に、美味しかった」
「ありがとうございます……」
ギルフォード様が満足してくれたということがなによりも嬉しくて涙腺が少しだけ緩んだ。
「フーリンが作ってくれたから、……フーリンがそばにいてくれるから、最高の食事になったのだと思う」
どこまでも真っ直ぐな言葉に息が止まり、ギルフォード様から視線を逸らすことができない。
「また作ってくれないか」
「私で、よければ」
「次回は俺ももう少し料理に挑戦させてくれ。迷惑をかけるだろうが、フーリンと一緒に作りたいんだ」
「……ぜ、ひ」
ありがとう、フーリン。
そう言って私の後頭部に手を回したギルフォード様は、そのまま顔を近づけ──。
「お礼、にはならないか」
「……はひ」
頰の熱は時をおかず全身に巡り、私の思考は使い物にならなくなったことは言うまでもない。
その日の夜、私とギルフォード様はなぜか同じベッドで寝ていた。




