四十六話 無理です
「フーリン様」
「んー?」
実家に帰った翌日、いつものように暇つぶしに裁縫をしていると、お茶を運んできたラプサが話しかけてきた。
「殿下との熱い夜はいかがでしたか?」
「ごほっ!?……っ!?へ?え!?ごほっごぼっ」
予想もしていなかった言葉に虚をつかれ、気管に紅茶が入り込んでしまい盛大に咽せてしまった。
「大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫。ちょっと驚いただけ……で、えーと、その熱い夜……っていうのはなんのこと?」
「またまた、誤魔化されなくてもちゃんと分かっておりますよ。昨夜殿下がこの部屋に入室されたのをこの目で見ておりますから」
昨夜と言えば疲れが出てすぐに寝てしまったはずだし、そもそもギルフォード様が来た覚えなんて──。
「え」
とんでもないことに思い当たり、ピシリと体が固まる。
そんな、まさか。あれは、夢じゃ。
「フーリン様?」
「……なんでもない。うん、昨夜はなにもないよ。なにか用事があって来られたのかなあ?私は疲れて寝ちゃってたから申し訳ないことをしちゃった」
考えれば考えるほど坩堝にハマりそうなので一旦思考を放棄することにし、極力冷静なフリをして適当に喋ると、ラプサはにこりと笑って「そうでしたか」と答えた。
「私とギルフォード様はそんな仲じゃないし、邪推しないでね!?」
「フーリン様は、殿下のことをお好きではないのですか?」
「す、好きとかまだそういうんじゃ……」
ごにょごにょと誤魔化すように下を向くと、ラプサがなにかつぶやいたように思えた。
なんだろうと顔を上げてもラプサはただ笑っているだけで、これ以上は特にこの話題に触れるつもりはないようだった。
「そうだ、実は皇妃陛下からお菓子を頂戴しているんです。フーリン様にと」
「皇妃様から?」
皇妃様の名前を聞いただけで肩を揺らしてしまう。
初対面が怖かったからという理由に加え、昨夜のギルフォード様の忠告も思い出したからだ。
「日持ちしないものだから早く食べてほしいとのことでしたので、午前中のティータイムはこちらにさせていただいても大丈夫ですか?フーリン様はいつも甘いものを召し上がりませんし、今日くらいはいかがですか」
「……うん、お願いします」
「かしこまりました!」
建前とはいえ皇妃様の好意に否と唱えられるはずがなく、着々と準備が進められて行くのを眺めるしかできなかった。
あっという間に目の前に用意されたパウンドケーキはとても美味しそうなのに、どうしてか食指が動かない。
「どうぞ、お召し上がりください。皇族御用達のお店の物で、陛下ご自身もお気に入りの逸品なんです」
「……そうなんだ」
これは食べるのをやめるべきだろうか。
けれど今更やっぱりいりません、なんて言える勇気もなく。
こんなことでギルフォード様を呼んでも迷惑になるだけだし。
とぐるぐる悩んだ結果、『ええい、女は度胸!』とフォークを手に取り勢いよくケーキを口に含もうとしたその時だった。
「そのケーキ、俺も貰おうか」
いつの間にそこにいたのだろうか。
扉に寄りかかりこちらを見ている麗人が一人。
みっともなく開けていた口を慌てて閉じ、ケーキを突き刺したままフォークを置いて立ち上がる。
「殿下、どうしてこちらに?」
お仕事中では、と続けた私の方にギルフォード様は歩いてくると、私をもう一度座り直すよう促しながら自身も私の横に腰掛けた。
「休憩」
「そうなんですね」
「というのは体の良い言い訳で、フーリンに会いたくなったから来た」
「そう、なんですか」
こんな口説き文句を息を吐くように言えてしまうのだからやっぱり皇子様って凄い。
昨日の実家訪問によって少しだけギルフォード様との距離が縮まったからか、横に座られても不思議とパニックになることもなく……、いや、うん、こちらをめちゃくちゃ見つめてくるのはさすがに勘弁してほしいけれど。
「……」
ほら、やっぱりみっともなく顔が赤くなってしまう。
「ふ、……可愛い」
揶揄われているとは分かっていても、耐性の無い甘い言葉に早々に撃沈してしまって、そばにあったクッションを引き寄せ顔を埋めた。
「顔見せて、フーリン」
ふるふると顔を横に振れば、なぜか耳元に人が近付いてくる気配を感じ──。
「ひっ」
ガバリと起き上がり、耳を押さえながらソファの端まで逃げる。
「いいい、今、み、みみっ」
「フーリンが俺を見てくれないのだから仕方ないだろう?」
「仕方なくないですっ」
未だに耳を食まれた感覚が残っていて、ドクドクと心臓が面白いくらいに暴れている。
涼しい顔をしている目の前の人の唇を呆然と眺めていると、それに気付いたギルフォード様は楽しげに口角を上げた。
「続きをしたいのは分かるがまだ人払いをしてないからな」
「──!!」
ギギギと顔を正面に向けると、驚愕の瞳でこちらを見ているラプサが立っているのが分かった。
羞恥で口をパクパクとさせるしかできない私に代わってギルフォード様が口を開く。
「なにを突っ立っている。早く用意しろ」
「っ、失礼いたしました。すぐに!」
我に帰ったラプサは慌てて準備すると、ギルフォード様の命通りに部屋を出て行ってしまった。
「アレは母上の元侍女だからな、警戒しておくに越したことはない」
「殿下もご存知でしたんですね」
「フーリンも知っていたのか?」
「本人が教えてくれました」
「……アレをフーリンの侍女にしたのは兄上だが、兄上もなにを考えているのか分からないのが頭が痛い」
兄弟の中でも色々あるんだなあ、と頭の悪そうな感想をもったその時、はたと気付いたことがあった。
「あ、殿下は警戒していたからラプサに対して少し冷たかったんですね?」
ギルフォード様のラプサに対する態度が私に対するものと違いすぎて違和感を感じていたけれど、理由が分かれば納得できる。
しかしなぜかギルフォード様は私の言葉に肯定することはなく私をジッと見つめてくる。
「俺が『氷の皇子』と呼ばれているのは知っているか?」
「はい。でもそれって正しくない呼び名ですよね。こんなにも殿下はお優しいし、笑われるのに氷の皇子なんて……ひゃっ」
腕を引っ張られたかと思うと気付いた時にはギルフォード様に抱き締められていて。
「俺は決して優しくないし、人に笑いかけたりしない」
「でも」
「フーリン以外にはな」
腕の中から上を見上げると、想像通り優しい顔をしたギルフォード様が私を見下ろしている。
とろりとした美しい瞳からなぜか目を離せなくてそのまま見つめ合っていると、
「キスしたい」
爆弾発言が落ちてくるものだから、思い切りギルフォード様を突き離した。
「け、けーき、そうケーキ!殿下も召し上がるんですよね!?」
「……ああ」
横から聞こえてくる忍びきれていない笑い声は無視して、熱い顔を手で仰ぎながらケーキの皿を手に取る。
するとフォークが取られたかと思うと、刺されていたケーキはそのままギルフォード様の口に消えてしまった。
「毒は、無さそうだな。遅効性のものでもなさそうだ」
「な!なんで先に食べちゃうんですか!?なにかあったらどうするんですか!」
「フーリンは毒の耐性が無いだろうしな。俺が食べた方が安全だろう」
「でも……!」
『もしも』を考えた時、とてつもない恐怖に襲われた。
顔を青ざめさせる私になにを思ったのか、私の顎を指でなぞる。
「フーリンが覚悟を決めた顔で食べようとするのを見て俺のほうが肝を冷やした」
「それは、んぐ」
唐突にギルフォード様の手によってケーキを口の中に突っ込まれ、思わず固まる。
「お互い様、というやつだな。まあ母上もこんなあからさまな手は使ってこないだろうが、次なにか贈られてきても手をつけないようにしてほしい」
ギルフォード様が困ったように笑うものだから、私はただ頷くだけに留め、後は舌に残る甘さを味わうことにした。
同じフォークを使ってしまったことはこの際置いておこう。
それからは二人でケーキを食べながら他愛もない話をした。
なんとなくではあるけれど、ギルフォード様の私に対する態度が変わったのが分かる穏やかな時間だったように思う。
改めて私のことを知っていきたいというギルフォード様の申し出によって改めて自己紹介、という形になっている。
「苦手な食べ物はあるか?」
「特にはないですね。ここのお食事もとても美味しいですし、とても気に入ってます。最初は私一人で食べていいのかと不安になるくらいのご馳走に慣れないくらいでした」
ギルフォード様は私の言葉に苦笑すると、自身の太ももに両肘をつき両手を組みながら話し始めた。
「……今まで一緒に食事を取れなくて申し訳ないと思っている」
「そんな、殿下が謝られることでは」
「忙しさにかまけてフーリンを独りにさせてしまったことは俺の責任に他ならない」
「いえいえ、本当に大丈夫ですよ。詳しいことはなにも知りませんが魔物の件とかレストアかテスルミアの問題が沢山あるんですよね?それこそ食事も睡眠も取る時間がないほどだと」
つい最近ローズから初めて手紙がきたけれど、やはりテスルミアもテスルミアで大変そうだった。
ラディの忙しさも言わずもがなだけど、あの人に限っては手紙の返信だけはなぜかとても早いので、私の情報収集は基本的にラディを頼っている。
「間もなくレストア新国王の即位式が行われる。それが終わったらフーリンとゆっくり食事を取る時間が取れそうなんだ」
「……はい」
明確な言葉はなかったけれど私との食事を望んでくれるギルフォード様の言葉に照れ臭くて頬を掻くと、ギルフォード様は私には分からない程度に少しだけ切なそうな表情を浮かべた。
「じゃあ話は戻るが好きな料理はあるか?」
その問いに、私は視線を上に向け脳内にある記憶を手繰り寄せる。
太っている頃好きだったものから今日まで食べたもの。その中で私の好きな料理と言えば──やっぱり。
「ラドニーク様の手料理が好きです」
「ラドニーク……?」
その名が出てくるのは予想外だったのか、ギルフォード様は僅かに目を見開いて首を傾げた。
「ラドニーク様の趣味は料理なんですが、機会があって食べさせてもらえることになって、そこからずっとあの方の料理の虜ですね」
「……へえ、本当に仲が良いんだな」
「料理を教えていただくこともあったんですが、やっぱりラドニーク様の味はなかなか出せなくて……」
「フーリンも料理ができるのか?」
相槌の声が低くなったことに気付かず、昔というにはまだ新しい思い出を振り返っていると、ギルフォード様が変なところに食いついてきた。
「大したものは作れませんが少しなら」
「食べたい」
「へ」
「フーリンが作ったものを食べたい」
ギルフォード様が、私の作ったものを、食べる?
「え、無理です」
「なぜだ」
間を開けずして断った私を恨めしそうに見てくるけれど、無理なものは無理だ。
「皇子様の口に入れられるようなものなんて作れるわけないですよ!」
「ラドニークは食べたんだろう?」
「う、ら、ラディはあくまで私の先生として」
「……羨ましい。俺だってフーリンの手料理を食べたいし、愛称で呼ばれたい」
ラディの呼び方を間違えてしまって余計にお願いが増えてしまった。ギルフォード様を愛称で呼ぶなんて、恐れ多くてそれこそ一生無理な気がする。
「俺はフーリンの伴侶なのにダメなのか?」
なぜ、そんな悲しそうな目で私を見るのか。
それに今さらではあるけれど、俺の伴侶、なんて言われるとギルフォード様が私の旦那様のように思えてきてしまう。
「なあ、フーリン」
「〜〜っ、分かりました!料理作ります!作りますから少し離れてください!」
限界を超え肩で息をする私を眺めるギルフォード様はなんとも嬉しそうな顔をしている。
「昼食が楽しみだな。さすがにフーリンが作ったものならちゃんと時間をとって食べる」
「えっ、さすがに今日は無理ですよ?材料もないですし、厨房の方に許可を取っていませんし……というかそもそも私は厨房に行けませんね」
「いやこの近くに使用人用の簡易厨房がある。いつでも使えるようにと材料もある程度は揃っているはずだ」
それなら大丈夫かなと思いつつも、やっぱり厨房の方の仕事を私が取ってしまうのはいけないのではないだろうか。私の存在がそこでバレてしまう可能性もあるわけだし。
そう思い立ち、そのことをギルフォード様に伝える。
そしてなにかを言いそうなギルフォード様の言葉に被せるように私は言葉を続けた。
「三食のお食事のどれかを作らせてもらうのは遠慮させていただきますが、夜食を作るのはどうですか?」
「夜食」
「いつも遅くまでお仕事されてるって聞いてるのでお腹も空くと思いますし……どうでしょうか」
恐れ多いのを承知で提案してみると「それでもいい」と承諾を貰えたので安堵の息を小さく吐く。
「本当に大したことないですから期待しないでくださいね」
「そう言われると逆に期待が膨らむな。分かった、でも楽しみに待つことは許してくれ」
「……はい」
期待も楽しみも正直変わらない気がするけれど、あまりにも嬉しそうな様子のギルフォード様に水を差すことはできなかった。
「あの、お仕事もあまり無理しないでくださいね。お忙しいのは分かってるんですが、やっぱり、その、心配なので……」
「……フーリン」
「いやっ、あの、すみません。私ごときが心配なんておこがましいですよね!今のは聞かなかったことにしてくださいっ」
ギルフォード様が優しいことを理由に調子に乗りすぎたことに気付き、焦りながら手を振って誤魔化そうとすると、なぜかその手を掴まれ引き寄せられる。
「嫌だ、って言ったら?」
「…………ちゃんと、寝てくださいね」
「仰せのままに、我が伴侶」
私の手の甲に落ちた柔らかい感触と耳慣れない言葉は、私の羞恥を高めるには充分な威力を発揮していた。




