四十三話 紫髪の男の子
人生で初めて孤児院という場所を訪問した日、私は一人の男の子と出会った。
「こっちみんな、くそぶす」
とにかく第一印象は最悪だった、私より背の低い、紫髪の男の子。
「!? ふーりん、ぶすじゃないもん!」
「どんだけじぶんにじしんあんだよ。きも」
「っ、う、うわあああん!おかあさま〜っ!」
生まれて初めて受ける暴言に大きな衝撃を受けた私は、一緒に来ていたお母様の脚に抱きついて泣き声を上げる。
「どうしたの、フーちゃん」
「あのこが、ふーりんのこと、グスッ、ぶ、ぶすって〜!!」
「ありゃりゃ」
よしよし、と頭を撫でてくれる手の暖かさに少し落ち着きを取り戻すも、すぐ近くにいる男の子の存在が怖くてお母様から離れることができない。
そんな私の様子を男の子は一瞥し、すぐに興味を失ったかのように他所を向いてしまった。
「おーい、少年。良かったらこの子と遊んであげてくれない?」
「!?」
ここで遊ぶにしてもこの子とだけは遊びたくないと思った私は涙目で勢いよく頭を横に振る。
「少年、無視はさすがに悲しいぞー?」
「うるせぇ、ババア」
「バッ……! こらこらこら、これは聞き捨てならないなあ?まだまだピチピチの年齢ですけど〜!?」
「……はっ」
憤るお母様の全身に視線を走らせ、鼻で笑った男の子は、私たちの存在など邪魔だとでも言うように近くの窓を飛び越え姿を消してしまった。
「おかあさま、もうかえろうよ!」
「……」
「おかあさま?」
反応が返ってこないことを不思議に思って顔を上げると、……そこにはとても悪い顔をしたお母様がいて、私はビクリと肩を揺らす。
「く、くくく」
「お、おかあさま?」
「くはははは!!」
高笑いまで上げたお母様は、男の子の消えた窓を見据え、口の端を吊り上げた。
「面白い。いいだろう、今日のところは見逃してやるさ。だがな、少年。このエテルノ様から逃げられると思うなよ……!!」
覚悟しておけ!と声を張り上げるお母様は、絵本の中に出てくるキャラクターに負けないほどの悪役ぶりだった。
*
「フー……」
私の頬を誰かが優しく撫でている。
お母様だろうか。今日は孤児院に行くからフーちゃん早く!なんて起こしに来たのかもしれない。その後に続く言葉はきっとあの男の子に向けられたものだ。
「まだ……む…か?」
お母様にしては手が骨張っている気がする。
それにお母様の声はもっと高いはずだ。
「そろそろ……くぞ」
ゆっくりと意識が浮上してきたところで、
「フーリン」
耳に甘ったるい声が吹き込まれ、
「起きないとキスするぞ」
完全に目が覚めた。
飛び起きるように姿勢を正し、起きたアピールをする私を少し残念そうに見つめるギルフォード様を目の前に、私は羞恥と焦りで顔を思い切り背ける。
久しぶりに城の外に出られることに興奮していた昨晩はなかなか寝付けず、結局ほとんど寝れないまま今日を迎えてしまったのだ。
ああ、ギルフォード様と二人きり馬車の中で寝てしまうなんてなんて失態。
失礼なことをしてしまったうえに寝顔まで見られてしまった。これを馬鹿と言わずなんと言うのだろう。
「すみません、寝てしまっていました」
「大丈夫だ。昨晩はあまり眠れなかったんだろう?ここで少しでも体を休められたのなら良い」
ギルフォード様の懐の深さに勝手に感動するも、
「それに……」
「それに?」
「可愛い寝顔も見れたことだしな」
「──!!」
思わぬ言葉の襲撃を受けた私は、馬車が止まるまで真っ赤になった顔を上げることが出来なかった。
「おかえり、私の天使」
「お父様、ただいま!」
お母様の命日である今日はお父様も家にいることが分かっていたから、私ははしたないことを承知で全力でその胸に飛び込む。
「元気にしてたかい?」
「うん!殿下にも良くしていただいてるの」
「それは良かった」
お父様は私の背後に視線を移し、目を細めた。
「ようこそ我が家へいらっしゃいました。娘のためにこのような待遇……、殿下の慈悲の深さに感謝するばかりです」
「よせ、むしろ俺の方が感謝するところだろう」
頭上で交わされる会話になぜか背筋が冷たくなるのを感じ、私はそっとお父様から離れる。
するとお父様が私と視線の高さを合わせ、にこりと微笑んで私の頭を撫でた。
「少し殿下とお話があるから、フーリンは先に会いに行っておいで」
「え、でも」
一人になるのはさすがによくないんじゃないかと後ろを振り向くと、ギルフォード様もお父様の言葉に同意するように頷く。
「騎士が付いていくから構わない。また後で俺もそちらに行こう」
「わ、分かりました」
なんとなく早くこの場を離れた方がいいと察した私は、足早にお母様のお墓がある場所へ向かった。
裏庭、花が一面に咲き誇る場所にお母様は眠る。
今年も綺麗に花が咲いていることに癒されながら歩いていると、裏庭の中心、お母様がいる場所に誰かが立っているのが見えた。
あの見覚えのある後ろ姿は──。
「レオ!」
紫髪の男の人はゆっくりこちらを振り返り、思い切り顔を顰めた。
「なにその顔」
「なんでお前がここにいるんだよ」
「お母様の命日だからここに来るに決まってるよ。レオだってそうでしょ?」
「そういうことじゃない。お前、今城にいるんだろ」
卒業以来で久しぶりの再会だというのに、相変わらず私に対する態度が悪いレオにムッとしつつも、レオの言わんとしていることを理解し、ああ、と家がある方に視線を向ける。
「私がギルフォード様にお願いしたの。本当はダメみたいなんだけど、どうしても譲れなくて」
「ふーん」
「興味ないなら聞かないでよ」
「興味ないと言ってない」
「じゃあ興味あるんだ」
「ふん、思い上がんな」
「むかつく〜ッ!」
ムカつくことはムカつくのに、どうしたことか。小さな時から決して変わることのない私たちの間にある空気が、不安定な場所にいる今の私を酷く安心させた。
レオは卒業式の話題を出そうとする気配も無かったのだ。
「てか肝心のその皇子はどうした」
「家でお父様とお話してる」
「お前を一人にしてか?」
「近くに騎士の方がいてくれてるよ、ほら」
「ふーん」
「やっぱり返し方が雑!」
「お前にはこれぐらいで丁度いい」
「はー!?」
「うるさい」
私の相手をするのに飽きたのか、レオはお母様の墓標を見つめ黙ってしまう。
その姿を見た私も口を閉ざし、持ってきた花を置き、お母様に向かって手を組み目を瞑る。
エテルノ・トゥニーチェここに眠る、と刻まれた文字を見つめながら、しばらくお母様に話しかけていると、突如強い風が吹き抜け、花弁が一斉に空に舞い上がった。
「この人はさ」
急に口を開いた幼馴染の方へ、顔を向ける。
「死んだ気がしないんだよな。今にでも俺らの背後からドッキリだったとかなんとかいって現れそうだ」
レオの言葉が簡単に想像できてしまった私は、涙腺を緩ませながら思わず笑ってしまう。
「……そう、だね。無駄に魔道具使って私たちを驚かせそう」
「間違いない」
ふわり、ふわり、と花弁が私たちの間を縫うように落ちている。
その中で静かに、悲しそうに笑ったレオの横顔に、私は静かに息を呑んだ。
「……あのさ、レオって」
無意識のうちにそこまで喋って慌てて口を閉ざすも、先ほどの幻想的な空間など早々にどこかへやってしまっていたレオが聞き逃す筈もなく。不遜な態度で私を見下ろてくる。
「俺が、なんだよ」
「あ、えっと、なんでも、」
「言え」
「……レオって、施設を出た後なにをしてたの?」
突拍子もない私の質問に、レオは「今さらすぎねえ?」と訝しげに眉根を寄せた。
「いやあ、そういえばちゃんと聞いたことがなかったなあと思って」
えへへ、と誤魔化すように笑えば、レオは呆れた顔をして視線を遠くへやってしまう。
「魔法の勉強してた」
「それは分かってるよ。ほら、もっと誰と一緒にいたのかとか、どこで勉強してたのかとかさ」
「……なに企んでやがる」
「えっ、私ってそんな認識!?」
私の素で驚いた様子を見たレオは片眉を上げると、再び沈黙を選んでしまった。
先日初めてお会いした皇妃様の姿を思い出す度に、私の喉は渇きを訴える。いや、そんな、まさか、とあれから何度自分の考えを否定しただろうか。
それでも否定しきれないなにかがあったからこそ、私は今こうしてレオの笑った姿に「やっぱり」と思い、動揺しているのだ。
皇妃様の瞳は美しい、ギルフォード様と同じ、空色の瞳だった。そこから血の繋がりは確かに感じたし、仲はあまり良くなさそうだったけれど二人が醸し出す空気も親子だと思わせるようなものだった。
なのに。それなのに。
皇妃様を一目見た瞬間、私の脳裏に浮かんだのはギルフォード様でも皇太子様でもない、
──幼馴染の姿で。
レオと皇妃様が本当の親子、なんてそんな馬鹿げた考えを口に出してはいけないことなんて、この私ですら分かってる。
人には言えないことだからこそ、私は──。
「おい、どうした」
「っ、え、あー、レオって私と同い年なのに、私と大違いで凄いなあって思って」
だからどんな努力してきたんだろうって気になっただけだよ、と弁解する言葉を続けようとするも。
「は?」
「え?」
私の言葉を遮るように上がったレオの声に思わず顔を上げると、今にも溜息を吐きそうな顔をした男の人は、いきなり私との距離を一歩縮めた。
「俺と、お前が、同い年?」
「え、レオって私と同い年……だよね?」
露骨に動揺が表れてしまった私の問いかけを聞いたレオは、私のおでこを指を軽く弾き、べ、と舌を小さく出した。
「バーカ、俺はお前の三つ上だ」
「……」
ああ、そうだ。そろそろラディに手紙の返事を書かなきゃいけないんだった。
次はなんて書こうかな。
同い年だと思っていた幼馴染が、十年の時を経て三つも年上であることが判明した時の対処方法、なんてことを聞くのもいいかもしれない。
なんて現実逃避をする私の耳に、わざとらしい大きな溜息が届いたことは……言うまでもないだろう。




