四十一話 痛感する
「──は?」
ギルフォード様から放たれた低い声に、馬車の中が一気に凍りついた。
「帰るって、どういうことだ?」
ギルフォード様が顔を強張らせているのが分かり、なにかおかしなことを言ったのか心配になり首を捻る。
「帰る」に私の考える以外の意味があったかな?、と焦りながら。
「……ひぇっ」
ギュッと手を握られたかと思うとそのまま甲を親指でなぞられ、途端に全身が熱くなった。
「城を出るなんて、二度と言わないでくれ」
吐息を感じるくらい近くにいるギルフォード様の切実そうな表情に、そこで私はようやく気付いた。
ギルフォード様は私の意図とは違う捉え方をしたのだと。
「あっ、違います!そういう意味ではないんです!」
「……ではどういう意味だ」
手を離してほしいのにそんなことを言い出せる空気ではなく、なんとか麗しい顔から可能な限り距離を取ってから口を開く。
「──母の、命日なんです」
ふ、と握られていた手から少しだけ力が抜けたのが分かった。
「フーリンの母……」
「はい、殿下もご存知だとは思いますが、母は私が小さかった頃に亡くなりました」
「ああ」
お母様の命日は、私にとって特別な日だ。
お城にいるようになったとしても、今年の命日も変わらずお母様に会いに行きたかった。
「勝手な願いですが、どうか、母に会いにいかせてください。お願いします……!」
ギルフォード様が私という運命の伴侶を外敵の有象無象から守るためには、私が城から出ないのが一番都合がいいのは理解している。
それでもお母様に会いに行くことだけは譲れなかった。
目を強く瞑った私の耳に、「構わない」という返事が聞こえ、思わずギルフォード様と目を合わせる。
「いいん、ですか?」
「ああ」
「あ、ありがとうございます。本当にありがとうございます……!」
心の底から湧いてくる歓喜で作られた笑みとともに感謝の言葉を伝えると、なぜかギルフォード様は私の顔を凝視してきた。
そこでハッとなった私は、すぐに顔を引き締めてそのまま顔を逸らす。
「なぜ、笑うのをやめるんだ」
「えっと、お、お見苦しいと思いまして」
そう漏らした私の言葉にギルフォード様は顔を顰めたかと思うと、私の顎を掴んでさらに顔を近づけてきたではないか。
あまりの近さになにも反応できなくなった私は、ただ息を止めた。
「前から思っていたが、なぜフーリンは俺を見ない。なぜ俺を避ける。それほど、俺がそばにいることが嫌なのか?」
息を止めていた私は咄嗟に言葉が出ず、ふるふると首を横に振る。
「ではなぜだ。……フーリン、教えてくれ」
手の甲と同様に、次は頬を指でなぞられ顔が真っ赤になる。
この御方、いちいち仕草や声に色気が含まれていて、そろそろ私の頭が混乱と羞恥で爆発しそうだ。
女性に対して無意識にこんなことをしていればモテるのも無理はないよね、と現実逃避のように考えていると、美形が一段と近づいてきたので私は慌てて顎にあった手を引き離す。
「……から」
「え?」
「殿下があまりにも美しすぎるから!直視できないし、近寄れないんです!!」
開き直って叫ぶと、ギルフォード様は唖然とした顔をして、それから口元を手で押さえた。
「……殿下?」
黙ってしまったギルフォード様が心配になり、愚かにも顔を近づけると、ギルフォード様によって今度は両手で顔を固定されてしまった。
これでは次こそ顔を逸らせないじゃないかと焦りが止まらない。
「フーリンは、俺の顔は好きか?」
「っ、き、嫌いな人なんていないと思います」
「そうか、好きか」
「え、なん、ヒッ、だから近いんですっ。お願いですから少し離れてください……!」
「そうか」
「え!?言葉が通じてない!?」
「そうだな」
あれ、これってまさかからかわれているのでは。
今までのギルフォード様のイメージのままならばそんなことをする人ではないとすぐに否定できるけれど、今日一日でそれは難しくなってしまった。
ギルフォード様の考えていることがまったく分からなくなった私は、ポツリと無意識に言葉を溢す。
「嫌いっておっしゃるんでしたら、殿下のほうこそそうだと思います……」
「なんの話だ?」
「あ、と、なんでも、ないです」
「なんでもなくは無いだろう。俺のほうこそ嫌い?……まさか」
目を見開いて私を見てくるものだから、私は居た堪れなくなって顔を俯かせる。
「どうして、そう思った?根拠は?」
「私のことを、公表しないって聞いて……それって殿下が私を、じゃ、邪魔に思っているってことでは……」
馬鹿正直に答えた私の言葉に、ギルフォード様は瞠目したままサーッと顔を青くした。
「なぜ、それを」
ギルフォード様の表情の変化に、やはり使用人たちが話していたことは正しかったのだと分かりやすく落ち込んだ。
分かっていたことだったのに胸が痛い。
「服を作るお手伝いをしている時に、です」
険しい顔になってしまった御方を目の前に、私は申し訳なさに身を竦める。
「私みたいなものに色々と気遣っていただいて本当に感謝しています。今は殿下にお世話になることしかできませんが、なるべくお邪魔にならないようにするので……」
「──違う」
「え?」
顔を上げると、真剣な顔をしたギルフォード様が私を見据えていた。
「邪魔などと、一度も思ったことがない。思うはずがない。それは誤解だ」
「誤解、ですか」
慣例通りに公表しないのは、私が城の生活に慣れてからにしようと考えていたからで。世間に知られたら最後、様々な場所に駆り出され休む暇もないままになってしまう、と沈鬱な面持ちでギルフォード様は息を吐いた。
「フーリンの気持ちが蔑ろにされてしまうことは避けたかったんだ。公表しない理由はただそれだけだ」
馬鹿なことを考えていたのが申し訳なくなるほど、ギルフォード様が私のことを慮ってくれていたことを痛感し、鼻がツンとなった。
「どうして、……殿下はそんなに私に優しくしてくれるんですか……」
「どうして?──そんなの、決まってる」
暗くなった空気を払拭するように、ギルフォード様は小さく笑ってこう言った。
「フーリンが俺の運命の伴侶だからだ」
*
「ギルフォード殿下とのお出かけはいかがでしたか?」
「あ、うん。楽しかったよ」
「はー、運命の伴侶って凄く憧れます!フーリン様は自分がギルフォード殿下の運命の伴侶って分かった時、どうでしたか?」
「とりあえず驚いたかな。あんな素敵な方の伴侶が私のはずがないとも思ったなあ」
うんうんとラプサは私の言葉に賛同するように頷いた。
「自分なんか釣り合うはずがないって思っちゃいますよね!」
「分かってくれる!?」
「勿論ですよー!平民ならなおさらですよね。……でもフーリン様は花紋がありますし、ギルフォード殿下の伴侶ってことは確実ですもんね!」
明るく言い放たれた言葉に、私は一瞬動きを止める。
そういえば、と気がかりなことがあったのだ。
「実は私、まだ自分の花紋を確認されてないんだよね」
「へ?」
「確認されないまま普通にそういう立場として扱われてるから少し不安で……」
「うーん、それは殿下に確認したほうがいいかもしれませんね」
「そうだね、今度聞いてみるよ」
話を聞いてもらって気持ちが少し楽になった途端、ドッと疲れが襲ってきて瞼が重くなってきた。
「もうお休みになりますか?」
「うん……」
目を擦りながらベッドに入り込むと、ラプサが布団を丁寧にかけ直してくれた。
「一つお伝えし忘れてたのですが、また後日皇妃陛下がフーリン様にお会いしたいとの伝言を承りましたので、よろしくお願いいたします」
「え」
「それでは、お休みなさいませ」
もの凄く大切なことを言い残していった侍女を引き止めることもできず、私は呆然と天井を見上げることしかできなかった。
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