三十九話 知る必要性
花紋を消す方法を探すとは言っても、その方法が分かるならギルフォード様はとうの昔にそれをしているのでは、という致命的なミスに気付いた時、私は頭を抱えた。
「私ってほんと馬鹿」
周囲の空気に流されやすいところがあるという自身の性格は、留学の最中から薄々自覚してきてはいた。
たぶんそれは引きこもっていたことが起因していて、外の常識を知らなくても周囲に合わせておけばなんとかなる、という考えが私の根本にあるからだと思われる。
「だからって噂話に流されるのはよくないよね……」
冷静になろうと、ふーっと溜息吐く。
皇城に来てからなにも進んでない状況に少し焦っていたのだろう。花紋消す云々よりもそもそも母国のことをほとんど知らない私は、まずイルジュア皇族というもの自体を理解する必要があるのではないだろうか。
そう考えるに至った私は城内にある書庫の使用許可を貰い、イルジュア皇族についての知識を得ることから始める。その際どうせ暇になるだろうから、ラプサは付き合わなくていいよ、と言っておいた。
ズラリと並ぶ書籍の中から適当に選定し、パラパラと捲って目で文字を追っていく。
イルジュア帝国の今上皇帝は三代目で、運命の伴侶である皇妃様の元に息子を二人もうけている。その二人の息子が、現在の皇太子様とその十歳歳下のギルフォード様だ。
二人の母である皇妃様はギルフォード様を産んで体を壊してしまい、それ以来外に出ることが不可能になったと聞いている。
現在の皇族の数は両手で数えられるほど少ないため、公務も必然と直系血族である息子二人に分散されることとなり、仕事も大変なのだそうだ。
「……ん?んんー?」
羅列された硬い文章と、私の知る皇族事情を照らし合わせた私はかすかな違和感を抱いた。
しかし肝心の違和感の正体が分からず首を傾げたその時。
『イルジュアのおうじかあ。ノア、あそこはおすすめしないな〜』
唐突にかつてのノアの言葉を思い出し、私はその場で固まった。
なぜあの時ノアがあんなことを言ったのか、結局理由は聞けずじまいでいるけれど、意味深なあの言葉を今思い出すなんて嫌な予感しかしない。
不安を払拭するためにも、他になにか良い本はないだろうかと棚を見ていると、隣からすっと腕が伸びてきて、私の頭上の本を取った。
え、と思い横を見るとそこには美しい女性が優雅に微笑んでいて、いつの間にそばにいたのだろうかと目を丸くする私に、彼女は、はい、とその本を渡してきた。
「イルジュアのことお勉強中なのよね?これ読んでみて。イルジュア皇族歴代の運命の伴侶について書かれているわ」
「あ、ありがとうございます」
「いいえ。お役に立てればいいのだけれど」
アッシュブロンドに黒い瞳、垂れ目が印象的な美女はとても嬉しそうに私を見つめた。
彼女が誰だか分からなかった私は、失礼ながら、と切り出そうとすると。
「エイダ!こんなところにいた!」
突然色素の薄い髪が視界に入り、驚いた私は一歩背後に後ずさる。
女性の腰にすかさず腕を回したその人は、蕩けそうな顔をして彼女の頰にキスをした。
「もう、エルったら」
「部屋にいないから焦ったよ。こんなところでなにをしてたの?」
「ちょうどお会いしてたところだったの」
「お会い?」
ギルフォード様と同じ青い瞳を私に向けたこれまた美しい男性は、私の存在に今初めて気付いたようにわずかに瞠目する。
しかしすぐに姿勢を正した男性は、顔に万人受けしそうな笑みを浮かべた。
「はじめまして、僕の名前はエルズワース」
「わたくしはリフェイディールと申します」
聞き覚えしかない二人の名前に一瞬思考が停止しそうになるも、なんとか頭を下げて今言わなけらばならない言葉を頭の中で必死に探す。
「もっ、申し遅れました。私はフーリン・トゥニーチェと申します!お二人におかれましては、ご機嫌麗しく……」
「ふふ、そんな堅苦しい挨拶、公式の場だけで充分だよ。こんな場所で挨拶するのもなんだけれど、今後とも弟を、ギルフォードをよろしくね」
一人の兄としてそう言ったエルズワース様に同意するように、リフェイディール様も頷く。
「先ほどは不躾に話しかけてしまってごめんなさい。ようやく会えて嬉しくなっちゃったの。どうぞ、わたくしとも末長くよろしくしてね」
二人の言葉に私は黙ってもう一度頭を下げるだけに留めた。
「それじゃあエイダ、部屋に戻ろう。ようやく僕は解放されたんだ!」
「あら、それはお疲れ様」
「さっ、行こ!じゃあまたね、フーリンちゃん!ほら早く!」
「はいはい。じゃあフーリンちゃん、また時間がある時にでもわたくしのお喋りに付き合ってくれると嬉しいわ」
我が国の皇太子と皇太子妃はそう言って仲睦まじく寄り添い、部屋を去っていってしまった。
「あ、はは」
突然の嵐の遭遇に思わず気が抜けた私は、部屋の端に据え付けられていたソファに腰掛ける。
まさかこんな場所で会うことになるとは思わず、まだ心臓がバクバクしていた。
考えてみれば皇城に来てから私の心臓の負担が凄いことになっている気がする……。
心を落ち着かせようと、先ほどリフェイディール様から手渡された本に目を通すことにした。
「……ん、あれ。寝ちゃって……」
いつの間にかソファーに横になり意識を飛ばしてしまっていたらしい。
目を擦りながらゆっくり体を起こそうとした、けれど。
「──ッ!?」
私をすぐそばで見つめているギルフォード様の存在に気付いた瞬間、頭が覚醒し文字通り飛び起きた。
「で、殿下」
「体は痛くないか?ソファーでは寝辛かっただろう」
「あ、それは大丈夫、です」
だらしない格好を見せてしまったことに猛烈に焦ったけれど、体を労られたことで怒られることはないと分かり、小さく胸を撫で下ろす。
しかし安堵したのも束の間、「寝癖、ついてる」とギルフォード様が私の髪をゆっくりと撫でるものだから、途端に湯気が出そうになるくらいに真っ赤になった。
「はしたないところを、その、申し訳ありません」
「いや……」
縮こまる私の頭から手を離したかと思うと、そのまま私の手を取ったギルフォード様は真剣な眼差しで私を射貫いた。
「ようやく仕事にキリがついた。ここに連れてきておきながら今まで一人にさせてすまなかった」
「っ、大丈夫です!侍女が相手をしてくれていましたし、お城で生活するという貴重な体験までさせてもらって感謝しているくらいです」
「……貴重な体験」
ギルフォード様がなにか小さく呟いたので聞き返そうとする前にギュッと手を握り込まれる。
「フーリン」
「ひ、は、はいっ」
「明日、俺とデートしよう」
色気を含んだ唐突な言葉に、
「……はい?」
脳が瞬時に処理できず聞き返してしまった私は悪くないはずだ。




