二話 秘密基地へようこそ
ラドニーク様に連れられてぐるぐる歩き回り、下へ下がって右に左、そしてまた下に下がったかと思えば今度は上へ。そこからまたぐるぐる回って下に下がって、気付いた時には辺りは真っ暗になっていた。
完全なる闇に囲まれた今更逃げようなんて考えも思い浮かばない。
どうやってここまで来たんだっけと全く役に立ちそうにない脳に聞いていると、殿下は懐をゴソゴソと探り始める。
そして鍵を取り出したかと思えば、目の前にあるドアの鍵穴に差し込んだ。
どうやら殿下の言う秘密基地というのは軍関係の施設のことではなく、私的な隠れ部屋、という意味で使っているらしい。
「よし、入れ」
「お、お邪魔します」
殿下に続いて恐々とその部屋に足を踏み入れた。
そして殿下が灯りをつけた瞬間、──ギルフォード様と目が合った。
何を言っているのか分からないだろうが、本当だ。
固まってその場から動けなくなった私を見て何を勘違いしたのか、ラドニーク様は恍惚とした笑みを浮かべて両手を勢いよく広げた。
「素晴らしいであろう!とくと見よ、この麗しき御姿を!!」
眼前に広がるのはイルジュア帝国第二皇子──ギルフォード殿下の肖像画。
見上げるほどの大きなそれにさえ圧倒されるというのに、よくよく見れば四方八方の壁に彼の肖像画が所狭しと飾られており、いっそのこと狂気を感じる。
どこを向いても彼と目が合ってしまい、正直叫びたい。
「どうだ、ここがボクの秘密基地だ」
さあ褒めろと言わんばかりの表情に私はこの場から直ぐにでも逃げ去りたくなった。
顔を歪ませた私を目敏く見つけたラドニーク様は機嫌を急降下させる。
「なんだ、文句でもあるのか!」
「勿論ないです!……えーと、殿下はこの肖像画の方のことを尊敬されているのですか?」
柔らかく包み込んだ私の言葉に殿下はよくぞ聞いたとでも言うように再び表情を煌めかせる。
「そうだ!聖様はボクの神様なのだ!」
色々突っ込みたいところはあるが、とりあえず一番気になるところに手をつけてみることにする。
「ひじりさま?」
「この御方のお名前をボクごときが気軽に呼べるはずもなかろう!だからこの方の称号である聖騎士から取り、そう呼ばせていただいているのだ!」
「へえ」
聖騎士──女神の加護を受けた騎士のことを言い、剣一本で魔物を退治できる強さを誇る。
騎士の中でも最上位の階級であり、この世に片手で数えるほどしか存在しないため聖騎士は世界中から尊ばれる。
そんな聖騎士の一人が私の運命の伴侶であるギルフォード様だ。
なるほど、ラドニーク様はギルフォード様の熱狂的支持者なのだ。熱狂的という言葉でおさめていいものか疑問は残るけれど。
「もしかしてお前この御方を知らないのか!?」
呆けた私の表情に何を思ったか殿下は大きな声で詰め寄ってくる。
「私の母国の皇子様なので知ってますよ」
「何ィ!?聖様と同国だと!?なんて羨ましいんだっ」
「……そうですかね」
「おまっ、聖様と同じ土地を踏めるだけでも有難いと思え!」
なにやら興奮し始めたラドニーク様の口は止まらない。
「よし、お前そこに座れ。ボクが今から聖様の尊い話をしてやろう」
「いや、結構で」
「ボクが初めて聖様に出会ったのは、ボクが十歳の時だった──」
「……」
話を要約すると、ラドニーク様が魔獣に襲われそうになったのをギルフォード様に助けてもらい、その凛々しい姿にすっかり惚れ込んでしまったそうだ。
それからはギルフォード様の後を追いかけ回すようになったという。
「ふん、まあ聖様に迷惑をかけるなどボクの本望じゃないからな。本人にお会いするのは公式以外は控えたさ」
「……変なところで遠慮するんですね」
口が滑った私に殿下は怒りを見せるかと思ったが、そんなことよりギルフォード様を語る熱意の方が勝ったのだろう、身振り手振りは激しさを増していく。
「とりあえず聖様の赴かれた場所は全て回った。聖様が戦闘の際残したとされる岩の傷にもバッチリ触ってきたんだ!どうだ、凄いだろう!?」
「ソウデスネ」
「聖様の趣味、特技、好きな食べ物、嫌いな食べ物もボクは知っている!」
殿下の興奮ぶりがここまでくると私は一つの疑問を持たざるを得ない。
「殿下はギルフォード様のことを恋愛的に好きということですか?」
「馬鹿者ー!聖様をそんな目で見ることなど口にするのも恐ろしい!聖様は神聖にして不可侵!」
「……ギルフォード様に近づくものがいたら?」
「処す!!」
「……」
なるほど、過激派。
「……まあそれも今や破られようとしているがな」
「え?」
「運命の伴侶だ。花紋の公開から半年経っても現れていないみたいだが」
ドキリと急に心臓が跳ねる。
突然真剣な顔になって手を組むので何を言われるのかと心配になる。
「正直──一生現れないでほしい」
そうだ、ラドニーク様は欲望に忠実な方だった。
「イルジュアの皇族に必ず運命の伴侶が現れることは分かっている!分かってはいるがこれからもずっと独り身でいてほしい……っ」
切実な願い過ぎて私は冷や汗を流すしかない。
「でももし、もし!その伴侶が現れるというのならば、ボクが認められるような相手じゃないとイヤだ」
「……それはどんな人でしょうか」
「聖様を立て、頭が良く、教養があり、嫋やかで品があって、民にも広く慕われるような絶世の美人がいい」
無理だ!!!!
「ち、ちなみにその伴侶が私だったりしたら──」
「処す」
目が本気だった。
「そもそもデブな時点でボクは許せない。デブなんて自分が怠慢です、なんて公言しているようなものだろ」
「仰る通りです……」
肩を落として落ち込んでいるとラドニーク様は話を止める気になったのか、立ち上がってどこからか箱を持ってくる。
「王室御用達のケーキだぞ。お前のような平民が食べれないような代物を今から食べさせてやる。感謝しろ」
「ありが、あ、いえ、私は遠慮させていただきます……」
「……ボクの出したものが食べれないとでもいうのか?」
「いえ、そういうことでは」
箱から取り出されたそれは彩り美しく宝石のような果実が飾られていて、縦横無尽にかけられたシロップが光を放つ。
美味しそう。とっても美味しそう。
「その、私実はダイエットをしてまして……」
「ダイエットお?」
ラドニーク様は目を丸くしたかと思えば突然肩を震わせて笑い声を上げ始めた。
「アーッハッハッハッ!!なんと面白い!そんなもの、今からしても無駄であろう!?」
その言葉に私はグッと黙るしかない。
その通りなのだけれど、直で言われるのは思いの外堪えた。
顔を俯け手で顔を覆った私の耳にラドニーク様の焦った声が届く。
「おっ、おい。泣くな!泣くなよ!?」
「……泣いて、いません」
「嘘だ!」
困惑した空気に私はすぐに気が抜けてしまって、少しの悪戯心が湧き上がる。
「どどどうしたらお前は泣き止むんだっ」
「名前を」
「え?」
「私の名前を呼んでください……お前とかデブは嫌です」
これでも割と傷付いていた。
悪意のない言葉こそ人を傷つけるのだということを、ここに来て学んだ。
「良いだろう!ではお前の名前を申してみよ!」
「フーリンです」
「フーリンだな!よし、フーリン!これでもう泣き止んだだろう?」
童顔の殿下が心配そうにしていると、本気で小さな子どものように見えてしまう。
そういう意味では殿下はとても純粋な瞳を持っていた。
正直に言えば同級生とは思えない落ち着きのなさだけれど、そういうものだと割り切ってしまえばなんだか楽しくなってくる。
「まあせいぜいダイエットをやってみればいい。だがこのケーキは食べろ!食べなきゃ後悔するぞ」
ギルフォード様が此方を見ている中、ダイエット宣言したにもかかわらずカロリーたっぷりのケーキを持つ私。罪悪感に押しつぶされそうだ。
押しつぶされて痩せれるものなら押しつぶされたい。
「さあ食べろ、フーリン!」
殿下の期待のこもった瞳を裏切る勇気が私にあるはずもなく、柔らかいソファに腰掛け、私はごめんなさい!と一つ謝ってケーキを口に放り込んだ。
その味は言葉にもできないくらいに最高だったと言っておこう。
そしてその後もラドニーク様によるギルフォード様の話が再開され、私は延々と聞かされるハメになったことをここに記しておく。
ラドニーク様から解放された後、当然私はローズに心配された。
秘密基地のことは口外するなと言われたので、その話題を避けて殿下に付き合った話をすればローズは眦を釣り上げた。明日が怖い。
放課後、昼休み以降の授業をサボった私は担任に呼び出され、案の定サボった理由を聞かれた。
なのでローズに話した同じ内容を話すと担任は仕方なさそうにため息をついて早々に私を帰した。
もしかしたら殿下は常習犯なのかもしれない。
こうして怒涛の一日が終わり、お父様が用意してくれた家へ早く帰ろうと疲れた体を引きずって歩いていると、誰かが私の方へ近寄ってくるのを視界に入れた。
「あの、もし」
「はい?」
そこには高貴な雰囲気を隠さない美しい女の人がいた。
周りの空気が一気に澄んだ気がする。
「わたくしはラドニークの姉、メロディアと申します」
はあ、と気の抜けた声を漏らしそうになって慌てて口をつぐむ。
待って、姉?姉って言った!?
と言うことはこの方はこの国の王女様……!
「不躾に呼び止めてしまい申し訳ありません」
「いっ、いえ!えっと、なんの御用でしょうか?」
「……ラドニークと仲良くしていただけているのをお見かけしまして、ついお声をかけたくなったのです」
どの場面を見られたのかが気になるところであるが、秘密基地のことではないようだ。
秘密基地からの帰りを見られたのだろうか。
「ラドニークがあんなにも楽しそうに喋っている姿を久しぶりに見ました。それだけ貴女様に心を許しているのが分かりました」
「そう、ですか?」
「はい、ラドニークはあんな様子ですから友人がおりません。だからこそとても嬉しかったのでしょう。ただ貴女様に迷惑をかけてしまっていたら申し訳ありません」
「いえいえ、ラドニーク殿下といると楽しいですよ」
この言葉は本心だ。
破天荒な彼だけど、この国にきて初めて寂しさを忘れることができた。
「それは……本当に良かったです」
メロディア様が安堵した様子を見せた時、私は自分の名前を名乗っていないことに気づいた。
「申し遅れましたっ、私はフーリン・トゥニーチェと申します!」
「存じておりますわ」
「えっ」
「あのトゥニーチェの珠玉が我が国にやって来た、と家族の中でも話題になっていますから」
たらりと額に汗が伝う。
メロディア様の家族、つまりレストア王家の皆様の話題に上っている。しかも珠玉なんていうとんでもない例え方で。
想像するのも恐ろしいので、私はそれ以上言及せず曖昧に微笑んだ。
「フーリン様も最初ラドニークの性格に驚かれたことでしょう」
肯定も否定もしない私を見てメロディア様は悲しそうに目を伏せた。
目元に影が落ち、夕日を浴びる姿はとても絵になる。私もこうなりたいと思わせる美しさだ。
震える唇を開いたメロディア様は、私の手をそっと握った。
「ラドニークは──呪いにかかっているのです」
「……呪い?」
「はい、ラドニークはほんの少し前まで高潔で思慮深い人でした。しかしある日突然、ラドニークは、ラディは、変わってしまったのです……っ」
深刻な雰囲気に私はハッと辺りを見渡す。
幸いなことに人一人おらず、廊下は閑散としている。
「呪いとは何かの魔法ですか?」
「……分かりません。王家の方でも原因解明のために動いてはいるのですが、一向に理由が分からないのです」
「それは、私に話して良かったことですか?」
これ、実は王家の秘密ですとか言われたら倒れる自信がある。
「フーリン様になら話して良いと判断いたしました。あのトゥニーチェ家の方という事実だけでも心強いのに、貴女様はラドニークと仲良くなってくれた。これは貴女様に助けていただきなさいという女神の啓示に違いありません」
突然の断言に私は目を白黒させる。
何か良くない方向に話が向かっているのを肌で感じた。
「お願いです、フーリン様。どうか、どうか貴女様にラドニークを救っていただきたいのです!」
「!!??」
驚きすぎて言葉も出なかった。
ギュウッとメロディア様の手に力が入り、これは何の冗談でもないことを暗に伝えてくる。
「私この国のこと何も分からないのですが……」
「それでもいいのです。呪いの原因は恐らくこの学園にあります。ここの生徒ならではの情報も掴めるかもしれません」
「情報収集ぐらいなら」
良いですよ、と言った瞬間メロディア様の顔が破顔し、ブンブンと握った手を振られる。
「本当にっ、本当にありがとうございます……!」
もしかしたら私は選択肢を間違ったのかもしれない、と思っているうちにメロディア様は私の手を離す。
「わたくしはもう行かなければなりません。また直ぐにでもお会いしましょう!それまでラドニークのこと、どうかよろしくお願いしますね」
「あっ、で、殿下!」
軽い一礼をしたメロディア様は急ぎ足でその場を去ってしまった。
私が呆然としていると、廊下を通る生徒が増え騒がしくなっていく。
夢でも見ていたのかもしれない、と頭を振っているとラドニーク様がこちらに走ってくるのが分かった。その顔にはテンションの高さを物語るほどの笑顔がのっている。
そして周りに多くの生徒がいるにもかかわらず、彼は叫ぶ。
「おーい!デブーリーン!良い物見つけたから見せてやるぞー!」
……本当に呪いなのでしょうか、メロディア様。