三十六話 大事な話をしよう
ここはイルジュア。
「……」
の皇城の庭園にあるガゼボにて、私は顔を俯かせていた。
「で、なにか申し開きは?」
「……ありません」
はあああ、と大きな溜息をつく金髪童顔王子、ラディの反応にビクッと肩が揺れる。
「僕はお前と友達だと思っていた。いや、今でも思っている」
「……」
「それなのに、一番知っておかなければならなかったことを、まさか卒業時に知ることになった僕の気持ちが分かるか?しかもそれから何の説明もなく連絡が取れなくなるし!」
私が彼の憧れるギルフォード様の運命の伴侶であることを知られた日から久しぶりに会うラディの怒りを、私は甘んじて受け入れなければならない。
「それについては本当に申し訳なく、」
「羨ましい」
「……はい?」
「なんて羨ましいんだ」
思わず頭を上げるとそこには目を潤ませたラディの姿があって、これから起こることが安易に予想できた私は口元に笑みを浮かべ、そっと目を伏せた。
「あの!聖様の!運命の伴侶!?フーリン、お前は前世どんな善行を積んだんだ!!魔王を倒したのか!?世界を浄化したのか!?それとも生贄となって死んだのか!?」
「どれも違うと思います」
「くっ、なんてことだ。僕の友達が聖様の伴侶……近い、関係性が近すぎる!恐れ多いのは分かっているが、これを最高と言わず何と言うっ。僕はフーリンの友達、だったら聖様に御目通りすることも叶う……?ハッ、な、ならば聖様に握手して貰えたりするかもしれない!っ、も、もももしかしたらサイン、なんてことも……っ!そ、そんな奇跡が起こる前にイメージトレーニングなるものをしておかなければならないんじゃ……!フーリンはどう思う!?」
「まず私を通さなくても王子であるラディは普通に会えますね」
「会える、だと!ッッ、ヤバイぞこれは。想像するだけで心臓が破裂しそうだっ。フーリン、僕は、僕はどうしたらいいんだ!?」
「落ち着けばいいと思います」
興奮したラディを止める術がないことは十分に理解しているので、自ら落ち着いてくれるまで根気よく話に付き合う、……正しくは適当に受け流すのがコツだ。
「なんでフーリンはそんなに冷静でいられるんだ」
ムッとしながら言われたラディの言葉に、私は聞き捨てならないと声を上げる。
「皇城に来て二週間、全く冷静でいられなかった私にそれを言います……!?今はラディがいるからまだ落ち着いていられているだけですから!」
卒業式のあの日、早々にギルフォード様に捕まった私はそのまま豪奢な馬車に乗せられ、レストアとの離別を余儀なくされた。
馬車の中ではギルフォード様と特に会話をするわけでもなく、緊張と恐怖でガチガチに固まった私は早く馬車から解放されることを祈った。
そして着いた先はイルジュアの皇都の中心にある皇城で、心臓が止まるかと思ったのは記憶に新しい。
ギルフォード様はすぐに話をつけたいのだろうと考えていたからこそ、当初は自分の場違いさに目を瞑っていられた。しかしその考えは早々に裏切られ、それから二週間ギルフォード様とはまともに話せず、それどころか顔を合わせることさえ片手で数えるほどだったなんて誰が予想できるだろうか。
ギルフォード様はどうやら仕事が立て込んでいるらしく、なぜか実家へも帰して貰えなかった私は、結局城への滞在を余儀なくされたのである。
自分がどうなるかも分からないまま不安な二週間を送っていたところに、ラディと面会できるという報せを聞いた時は本当に、心の底から嬉しかった。
「……ああ、そういうことか」
「なんですか?」
「いや、別に」
なにかを納得した様子のラディは私の何とも言えない表情を読み取ると、組んでいた足を組み替えた。
「なんだ、なにか言いたいことでもあるのか?」
「……ラディは、私がギルフォード様の運命の伴侶だったこと、その、怒ってたりしますか?」
「怒る?なぜだ?」
きょとんと首を傾げるラディと同様、私も首を傾げる。
「だってラディ言っていたじゃないですか。私みたいな人が伴侶だったら絶対認めないって」
初めて会った時に聞いたラディの言葉は真実彼の本音であろうから、間違いなくラディは私がギルフォード様の運命の伴侶であるという事実を受け入れられないはずだ。
この考えは間違っていない筈、なのに。
「……別に、フーリンなら認めてやらないこともない」
「え?」
耳を疑うような言葉が聞こえてきて、一瞬思考が停止した。
「だ!か!ら!フーリンなら良いと言っているんだ!」
「……熱でもあるんですか?」
「なんだと!」
「わあ、ごめんなさい!」
咄嗟に頭を下げると、呆れたような溜息が聞こえた。
「確かに知った時は複雑に思ったさ。……でも、聖様の横にいるフーリンを想像してみたら案外しっくりきたんだ。不思議なことにな」
「……」
「結局僕は聖様が幸せであるならば誰でも良いんだということに気付いた。現時点でフーリンは聖様の毒にはならないことは分かっているからな」
眩しいほどの聖様に対する愛に感服する。
「それに、僕は聖様だけじゃなくフーリンの幸せだって願っている。イルジュアの運命の伴侶の仕組みはよく分からないことも多いが、……何かあったら僕に言うんだぞ。力になれることはなんでも手を貸す」
「……ありがとう、ございます」
うるっと来たところでラディはお茶に口をつけた。
品のある所作に、ラディが王族であることを改めて実感する。
「卒業するとラディにあまり会えなくなってしまうのは寂しいですね」
何気なく漏らした言葉にラディは少し眉を顰めてカップを置いた。
「……そもそも僕がお前と今こうして会えるだけでも凄いということ、理解しているのか?」
「え?」
「え?じゃない。いいかフーリン、お前は聖様の運命の伴侶だ。お前に花紋とやらがあるならば、それは紛れもない事実だ」
「は、はい」
真剣な表情のラディにごくりと息を呑む。
「客観的に考えれば運命の伴侶というのはイルジュアの皇族の弱点となる」
「──」
「運命によって定められた相手というのは、皇族を厭う者にとって人質の目標にしやすいんだ。もちろん、フーリンだって例外じゃない」
「……そんな」
「だから聖様は伴侶であるお前を保護しようと動く。フーリンが城にいることになったのも至極当然の話だな」
ラディの話に私はサアアアと顔が青くなっていくのが分かった。
ギルフォード様が私を探していたのは私という存在を保護しなければならなかったからだ。
それなのに私は自分勝手な理由で留学して、逃げ続けて。
「私、なんてことを」
「まあ、いいんじゃないのか。結果論に過ぎないと言われればそれまでだが、フーリンに大事があったわけではないし、……それに僕もお前が聖様の伴侶だと知っていたら、こうして話すことは絶対になかっただろうからな」
ラディの優しい言葉に少しだけ救われる思いがした。
「というかなんでフーリンは聖様から逃げていたんだ?」
「……ダイエットのため、です」
「……この贅沢者め」
「返す言葉もありません……」
機会があったときにギルフォード様に謝罪しようと心に決めた。
それからラディと他愛もない話をし、ようやく頰に赤みが戻ってきた頃、思うところがあった私は手を上げる。
「なんだ」
「私、実はギルフォード様との距離の取り方が分からないんです。なのでラディに心の持ち方とか、接し方を教えてほしいです……!」
私の切実な願いにラディは神妙な顔になったかと思うと深く頷いた。
「お前が悩むのはもっともだ。相手はあの聖様だからな。良いだろう、この僕がファンとしての心得を特別に教えてやろうではないか!大事な話だからよく聞いておくんだぞ!」
はい!と背筋を伸ばして答えると、ラディはニッと笑って指を一本立て、私の目の前に差し出した。
「一つ!聖様が生きていることに感謝すること!ほら、復唱しろ!」
「は、はい。ひ、一つ!ギルフォード様が生きていることに感謝すること!」
「二つ!聖様に不快な想いをさせないよう気を付けること!」
「二つ!ギルフォード様に不快な想いをさせないように気を付けること!」
「三つ!聖様にむやみやたらに触らないこと!」
「三つ!ギルフォード様にむやみやたらに触らない、……ん?」
三つ目のアドバイスに疑問を持った私は首を傾げる。
「なんだ」
「えっと、その三つめはどういうことなのかなと。私は別にギルフォード様に触れるつもりは全くないですが」
「フーリンは分かっていないな。僕があれだけ聖様について教えてやったというのに」
「と言いますと」
やれやれと首を振ったラディは、口の前で両手を組み私を見据える。
「聖様は魅力の塊だ。どんな人間も惹き寄せてしまう、そんな存在だ」
「?はい」
「そんな御方にお前が無意識に引き寄せられる可能性が無いわけではない。現にベタベタと聖様の意思を無視して触れようとする者があとを立たないからな。二つめと連動してはいるが、聖様のファンであるならばこの点は特に懸念されるべき事だ。僕だって危うい時があるからな」
ラディの言葉に思い当たる節があった私はハッとして口を抑える。
「心当たりがあるのか?」
「うっ、いや、その、はい」
「まあ敢えて言及はしないが、僕の言わんとすることは理解しただろう」
「はい」
つまり自身が運命の伴侶であったとしても身の程を弁えろ、ということだ。
「分かりました。私、ギルフォード様に絶対に触れないように気を付けます!」
「いや、これはファンの心得であって、なにも僕は絶対に触れるなとは、あ」
突然ラディが喋るのをやめたかと思うと、私の背後を見て震え始めた。
「ひ、ひひひひひ」
「ひひひ?」
さらには奇妙な声を上げ始めたので後ろを振り向こうとすると、私の背後に誰かが立ち止まったのが分かった。
ふわりと良い香りが鼻を通り抜ける。
「……少しは話せたか?」
耳に吹き込まれた低い声に、全身に緊張が走り心臓が暴れ始めた。
振り向かなくても分かる。ギルフォード様だ。
「ラドニーク、忙しいところわざわざ来てもらって悪いな」
「いいいいいえっ!貴方様のことより大事なものはありませんから!」
「そうか」
柔らかい声で応えるギルフォード様に、ラディは短い悲鳴を上げて思わずといった様子で天を仰いだ。
私を挟んで交わされるやり取りに、私は黙っていることしかできない。
「俺もここに参加しても良いか」
「えっ、は、はい!勿論で、……!?僕が、聖様と、お茶!?いいい、いえ!僕はもうお暇させていただくので!はい!そういうことで御前失礼しますっ!!じゃ、じゃあな、フーリン!!」
品のかけらもなく走り去っていったラディの後ろ姿を唖然と見つめ、思わずギルフォード様を見るとバッチリと目が合った。
驚くほど至近距離にいたギルフォード様に死ぬほど驚き、勢いよく目を逸らす。
「……では二人きりなってしまうが、構わないだろうか?」
「も、もももちろんです!」
私の不躾な態度に気にした様子は無いギルフォード様は、そばに控えていた侍従を促しラディの食器を片付け、新しいお茶を入れさせた。
その間私はただ全身を縮こまらせて視線をテーブルの中心を見つめることしかできない。
「話には聞いていたが、君は本当にラドニークと仲が良いんだな」
「は、はいっ。レストアへ留学していた時に仲良くさせていただいていました」
「また追々留学の話も俺に聞かせてくれたら嬉しい」
「ひゃいっ」
緊張しすぎて声が裏返ってしまったことにじわじわと羞恥心が湧き、視線を彷徨わせていると、視界にキラリと光るものが映り込んだ。
それが何か分かった瞬間、私は自分の物を凝視して再度ギルフォード様の左手首に視線を戻す。
「ん?……ああ、これか」
奇妙な私の視線の動きに気付いたギルフォード様は、腕を持ち上げ徐にそこに口付けを落としたかと思うと、流し目を私に送った。
「ッ」
それだけでも心臓がどうにかなってしまいそうだというのに、さらに追い討ちをかけるようにギルフォード様は言葉を紡ぐ。
「お揃い、だな」
「ッッッ」
美しい青い瞳に驚愕に目を見開いた私が映っている。楽しそうに口角を上げたギルフォード様は、立ち上がって私のそばに来たかと思うと、私の手を取り先程と同じように腕輪に口付けた。
「……フーリン」
「〜〜!!」
声無き悲鳴と共に反射的に飛び上がってしまった私は椅子から崩れ落ちそうになったけれど、すぐに逞しい腕が私を支えるように腰に回ってきて、私はもう息の仕方を忘れるほど動揺した。
それと同時に、ラディの言葉を思い出した私は目を剥き、勢いよくギルフォード様から離れる。
──ギルフォード様に触れちゃいけない!!
鬼気迫る表情でギルフォード様の腕から抜け出したせいか、ギルフォード様は僅かに目を見張り、宙に浮いた拳を握りしめた。
「あ、その、すみません。支えてくださりありがとうございました」
「いや、無事ならいい」
少しだけ重い空気が流れ、早速やらかしてしまったことに冷や汗を流していると、ギルフォード様が口を開いた。
「……今まで時間が取れなくてすまなかった。もう少ししたらゆっくり話す時間が取れそうだ。それまで待っていてくれないか」
「は、い」
本当に申し訳なさそうに美貌を歪めるものだから、私はもういたたまれなくなって、小さな声で返事することしかできなかった。
次話、ギルフォード視点