三十二話 第一の魔物
魔獣と鉢合わせしないように物陰に隠れながら足を進め、ようやく秘密基地の部屋の前に辿り着いた時は息切れが激しくなっていた。
肝心の鍵が無いことに気付いた私は一度息を落ち着けて、頭からヘアピンを抜き取り鍵穴に差し込む。
私史上最速のスピードで開錠すると、目当ての核は変わらずソファの上に鎮座していた。
恐る恐る近付いて触れると、それは生きているようにドクリと脈打つ。
思い切って押し潰してみても弾力があるそれを壊すことが出来るはずもなく。
どうしたら壊すことができるのかを考えていると、壁に据え付けられた絵姿のギルフォード様と目が合う。
「そうだ」
魔物を倒すことが出来るのは聖騎士だけ。
つまりこの核を破壊できるのもギルフォード様だけということだ。
私は再び屋上に戻る為に核を抱え、部屋を去る。
廊下を全速力で走っていた時、ドゴォン!!と大きな破壊音が聞こえ、天井からパラパラと何かが降ってきて目を剥く。
もしかしてこれって校舎が破壊されている音!?
喧しい音は止むことなく、私の耳に届く度に周りの壁がピシリピシリと音を立てる。
魔物とギルフォード様の戦いは屋上ではなく校舎内に移動して行われているようだった。
冷や冷やしながらギルフォード様の元へ行こうとするも、なかなか見つからず焦りが増していく一方で。
粉々になった窓、穴が空いた壁、所々には血が落ちていて、瓦礫の山と化していく第一に目眩がしそうになったその時、倒れているラディの姿を見つけた。
「ラディ!!」
満身創痍な状態のラディの周りには数え切れないほどの魔獣が倒れていた。
「……ふ、……り」
「ラディっ、大丈夫ですか!?」
大丈夫じゃないのは見れば分かることなのに、そんな言葉しか見つからない自分が嫌になる。
「……ぼく、は、やった、ぞ……」
「っ、はい!ラディのお陰で核を見つけることが出来ました!」
「そ、か……あと、まか……た……」
事切れたようにラディが意識を失ってしまうと同時に、再び聞こえた破壊音の衝撃で崩れた壁が私とラディを目掛けて落ちてきた。
ヤバい!とラディの頭を守るように蹲ると、頭上で瓦礫を蹴り飛ばした存在に気付く。
「っぶねえ」
「……レオ!?動いて大丈夫なの!?」
「肋骨はイっちまってるが動けないこともねえ」
全然大丈夫じゃない。
魔導師が自分に治癒魔法をかけられないっていうのは本当だったんだ。
「そんなことよりお前は今すぐに校舎から離れろ。魔物と第二皇子の戦闘のせいでいつかは崩れる。俺はもうこの王子を治せる魔力も、お前を守れる魔力も残っていない」
「それなんだけど、これをギルフォード様に持って行かなきゃいけないの!」
「何だそれ」
ノアから教えてもらった内容を話すとレオは訝しげに眉を寄せた。
「何でお前がそんなことを知ってんだよ」
「えっ、えと、ま、まあ、今はそんなことどうだっていいじゃない!早くこれを届けに行かないと!」
「……いい、俺が届ける」
「ううん、私に届けさせて」
「はあ?聞いてなかったのかよ、危ねえって、」
「約束したの、ギルフォード様の元に帰るって」
途端にレオの機嫌が急降下したのが私でも分かった。
「何で第二皇子と?ていうかアレと顔を合わせたのかよ」
「な、何で怒ってるの?」
「……チッ」
舌打ち怖い。
「とっ、とにかく!私が持って行くからレオはラディを見ていて欲しいの!」
「嫌だね」
「何で!?」
こんなところで言い争いをしている暇はないのに何故かレオの態度は頑なで、私は困惑してしまう。
その時、直ぐ近くで爆撃音がし、咄嗟に振り向くと魔物とギルフォード様が対峙しているのが視界に飛び込んできた。
どうやら膝をついているギルフォード様の方が分が悪いようで、魔物は瓦礫の上を悠々と歩きながら手の平に光の球を作り出している。
ギルフォード様が圧されているのは確実に私のせいだった。
ダメージを与えながらも、魔物に致命傷を与えないように戦うのは至難の技に違いなかったから。
頰についた血を拭ったギルフォード様は放たれた光の球を避けると、目に止まらぬ速さで剣を振り、その衝撃波で魔物に攻撃を加える。
私たちが直ぐここにいることに気付いてはいないようで、私は思わず見上げると、目が合ったレオは私から核を奪った。
「おい、第二皇子!これを切れ!!魔物の核だとよ!」
私たちの存在を認識したのか、ギルフォード様は魔物から目を離すことは無かったけれど、肩を僅かに揺らした。
「……ヤ、メロ、ヤメロヤメロヤメロ……!」
地を這う、戸惑った声が聞こえる。
「ワタシハ、ボクハ、オレハ、アタシハ、モドリタクナイ……!イヤダ、ヤメテクレ……ッッ!!」
魔物が蠢く姿はいつか見たラディの様子とよく似ていた。
彼らは皆一様に怯えている。
過去に対し、未来に対し、自分たちの境遇とは異なる者に対し。
第一が産んだ魔物は、臆病で、孤独で、不器用なヒトだった。
私はそこで悟る。
たとえ今ここで核を破壊しようとも、彼らが根本から救われることは無いのだと。
待って、と声を上げる前に、レオがギルフォード様に向かって核を投げる。
ギルフォード様はその気配を察知すると、仄かに輝く聖剣を握り直し、薙いだ。
亀裂の入った核の断面から目も開けていられないほどの眩しい光が溢れ、目を瞑った次の瞬間、第一が揺れ始めた。
それはまるで大地が怒っているかような揺れ方で、魔物は地震に共鳴するように、自分たちを悩ますもの全てを壊し尽くしてしまわんとする叫びを上げた。
耳をつんざく、悲しい声だった。
魔物が倒れると、その体はみるみるうちに縮み、鱗や牙が消えていった。
リボンが取れ、ローズの長い赤い髪が床に広がっている様子が血の海のように見えてゾッとする。
安心する間も無く、元に戻ったローズの上に崩壊し始めた天井が落ちていくのがスローモーションのように私の視界に映った。
自然と足が前に出て、ローズを守るようにそこに飛び込む。
「──フーリン!!」
珍しく私の名を呼ぶレオの声は瓦礫が崩れ落ちる轟音によって掻き消され、瓦礫の下に埋まってしまった私たちにはもう届かなかった。
「っ、うっ」
あんなに大きな瓦礫の下敷きになったというのに私は奇跡的に生きていた。
けど頭が痛い。ガンガンする。
額を触ると生温かい何かが伝っているのが分かった。
「っっ、ぅ」
「……ローズ?大丈夫?」
私の下にいるローズは小さく呻くと、私を弱々しく睨み上げてきた。
「何故、あたしを庇ったんだ。アンゼニックから聞いただろう、あたしはフーリンのことを金蔓としか見ていなかったと。フーリンを裏切ったなら見捨てられてとうぜ、」
「だって、──守るって言ったから」
私の言葉にローズは固まった。
「……私ね、本当に嬉しかったんだ」
入学して間もない頃、ローズがラディから助けてくれたことを思い出す。
孤独だった私に差し伸べてくれたあの手は私にとっての奇跡で。
他にも私が困っている時、弱音を吐いた時、挫けそうになった時、ローズは私のそばにいてくれた。
たとえローズが私のことを友達だと思っていなくても、私は確かに救われていた。
「だからね、今度は私がローズのことを支えたい」
この一年、笑顔を交わし合ったことは間違いなく事実で、私は結局のところ、ローズのことを今でも信じていた。
瞳を揺らしていたローズの唇が震え出す。
「バカだ、フーリンはバカだ……!」
「うん、知ってる。私はバカだから、ローズのことを全部は理解できないけど、助けたいっていつも思ってるよ。だって、私は、ローズの友達だから……」
生意気だっただろうかと不安が押し寄せる。
こんな独りよがりな言葉、ローズにさらに嫌われるに決まっている。
それでも、私の頭は最後まで言い切ってしまえと命令する。
「だから、一つだけお願い。私を頼って欲しい。絶対に、絶対に絶対にローズを助けるから」
ずっとずっと言いたかったことを言い切れば、ローズはくしゃりと顔を歪めた。
「──助けて欲しい!あたしは、もう独りは嫌なんだ……ッ!!」
ボロボロと涙を流すローズを強く抱き締め、何度も何度も頷くと、ローズから黒い靄のようなものが抜けていくのが見えた。
靄は私の頭を一周し、今度こそ瓦礫の外へ去って行くと、ローズが私の腕の中で気絶した。
光が差し込み、反射的に目を瞬かせていると深い溜息が聞こえる。
瓦礫の外には顰めっ面をしたレオがいて、その背後には騎士やローブ、白衣を着た人たちが大勢いる。
ギルフォード様は近くにいないようだった。
何事、と思いきやレオに頰を抓られる。
「いた、いたたたっ」
「馬鹿野郎!……無茶、すんなよな」
「ごめんね、心配かけて……えっ!?」
額から流れる血が突然止まったことに驚いて、治癒魔法をかけた当人を凝視する。
私の体に怪我が無いことを確認したレオは満足そうに笑って床に倒れ、そのまま目を閉じてしまった。
「バカなのはレオの方だよ……」
きっと最後の力を振り絞って魔法をかけてくれたのだ。
私の怪我なんて放っておけば治るものなのに。
それでも気持ちが溢れた私は、瓦礫の中から這い出してレオの頭をひと撫でし、感謝の言葉を伝えた。
どうやら私たちが瓦礫の下に埋まっている間、校舎内にはイルジュアとレストア両国から騎士やら救護班やらが派遣されてきたらしく、目まぐるしく人が動いている。
魔物が消えたおかげで魔獣も消え去り、校舎に漂っていた霧も晴れていた。
ローズ、レオ、ラディがその人たちによって運ばれて行くのを見届けていると。指示出しをしていたらしいギルフォード様がこちらに向かって歩いて来るのが見て取れた。
それをボーッと眺めていると、一段落がついた様子のギルフォード様が前触れなく倒れた。
驚いた私は周囲の人を掻き分けて走り寄る。
周りの人は目を丸くして私とギルフォード様を見ていたけれど、ギルフォード様が特に抵抗しなかったからなのか、引き剥がされることはなかった。
近寄らずに救護班の人に任せるのが最善なのは百も承知だったけれど、本能が悲鳴を上げたのだから仕方ない。
「殿下……!」
「は、……りょか」
ギルフォード様が視線をこちらに向けるもやはりそれは合うことがない。
顔色は酷く、手足が震えている。
そして黒い軍服の為分かりにくいけれど、レオやラディ以上に血を流していた。
場を治める為に傷ついた体を隠して、無理をしていたのだ。
「ごめんなさい、私のせいで、本当にごめんなさい!……殿下のお陰でローズを助けることが出来ました。本当に、本当にありがとうございました……っ」
「それは、よかっ、た。それ、に君の、せいじゃ、ない、ゴホッ」
「血が!」
「大丈夫、直ぐ、治る。それより、怪我は、ない、か」
話すのも辛そうなのに、ギルフォード様は私の心配をするものだから涙が出そうになる。
感に堪えないながら大丈夫だと答えると、僅かな沈黙があった後、腕を取られ引き寄せられる。
首を少し浮かせたギルフォード様は、私の頰にそっと唇を当てた。
「本当に、無事で……良かっ、た……」
目を見開く私に向かって微笑むと、意識を失ってしまったギルフォード様の身体から力が抜けていく。
救護班の人たちが慌ただしく連れて行ってしまうのを、頰に手を当て固まったまま見送った。
救護班の人が私に声をかけるまで、その場から動くことが出来なかったのは言うまでもない。
次話、ローズマリー視点