三十話 覚悟を決める
前触れなく現れたギルフォード様は、魔物から素早く剣を抜くと、再度全身を切りつけた。
魔物は斬られた勢いで柵へと叩きつけられ、予期しないダメージに動けなくなってしまったようだった。
魔物の体に大きく出来た傷がジワジワと回復していく様子を呆然と見ていると、ギルフォード様がゆっくりとこちらに振り向く。
ドクリと心臓よりも大きく、花紋が脈打つ。
何を言われるのだろうと身構えたのも束の間。
「……そこにいるのは俺の、伴侶、か?」
美しい碧眼に私の姿は確かに映っているのに、視線が微妙に合わない。
目が、見えていない?
「転移魔法を使った影響で目が見えなくなっている。だから、どうか、返事をしてくれないか」
その切ない願いに少しだけ迷いが生じるも、私は唇を噛んで覚悟を決める。
「はい、ここにいます」
「……そうか」
そうか、とギルフォード様はもう一度同じ言葉を呟いた。
様々な感情が入り混じった声の中に、ノアの名前が聞こえたのは多分気のせいだろう。
「漸く見えたことを喜びたいところだが、ここは危険だ。可能ならば早く逃げて欲しい。大魔導師のレオはいなかったか?彼を見つけて一緒に、」
その言葉に私はレオの今の状況を思い出し、扉の方へ視線をやる。
先程と変わらず意識を失ったままのレオは、四肢を投げ出して倒れていた。
「じ、実は魔物にやられて意識を失ってしまっていて……!」
「何?」
ギルフォード様の声が一瞬で強張ったことに、私も事の重大さを再認識して息を詰めた。
「それにその魔物は元は私の友達なんです。私は友達を見殺しにできない、助けたいんです!だから、だから……!」
それが不可能に近いことは分かっていた。
ギルフォード様を困らせてしまうだけの自己満足な願いだということも。
「君は、魔物がどういうものか分かっているのか?」
試すような、少しだけ固い声が私の恐怖心を引き摺り出す。
怖い。この人に嫌われることが、何よりも怖い。
出会う前まではこんなこと、考えたこともなかったのに。
だけど、そうなっても良いと思えるぐらいには、今の私は必死だった。
「分かっています」
そう答えた瞬間、ガキィンッと魔物の牙と聖剣が交わる。
怒りで完全に瞳孔が開いている魔物はとても恐ろしくて、ローズだと分かっているのに、私は恐怖で唇を震わせてしまう。
「大丈夫だ、必ず守る」
壁越しにも聞いた、柔らかい声が私を奮い立たせる。
体格差と目が見えていないことを考えると、対峙することさえ難しい筈なのに、ギルフォード様は気配を捉えることで魔物に応戦していた。
攻撃をいなし、隙をついてその長い足で魔物の腹を蹴り上げる。
「……その願い、俺は叶えたい。だが現状、魔物を討つことしか道は無い」
魔物が私の方へ向かって来ないように戦うギルフォード様の姿を見て、私は腹を括る。
「私に考えがあります。だから、待っていてくれませんか、殿下」
するとギルフォード様の動きが一瞬だけ止まって、蒼い瞳をこちらに向けると、僅かに口の端を上げた。
「君が俺の元に帰って来てくれるならば、俺は待とう。──どれだけ時が経ったとしても」
そう言って、今度こそ背を向けてしまったギルフォード様は地を蹴り上げ、魔物に向かって行った。
顔を拭い、心の中でレオに謝りながら私は屋上を去る。
そして魔獣に見つかるかもしれないリスクを犯して、私は校舎全体に響くように叫んだ。
絶対に近くにいると確信しているからこその暴挙だった。
「ノアー!!いたら返事をして!お願い!!」
「はいはーい。ノアたんはここにいるよ〜ん」
予想通り、窓から現れたノアは桟に腰掛け楽しそうに足を揺らす。
「どうしたのー?フーリンがノアをよぶなんてはじめてだねーっ!」
乱れる息を整えながらノアを見据える。
「ノア、私はローズを助けたい。だから無事にローズを魔物から救える方法を知っていたら教えて欲しい。対価として私にできることなら何でもするから……っ!」
「なんでも?」
「何でも」
ノアから視線を動かさない。
それは私の意思の表明だった。
「ふふふっ、うんうん、いいよ!おしえてあげるっ!」
「本当に!?」
「ほんとー。たいかはまたおちついたときにでももらうね〜」
私が頷き、ノアが続けて喋ろうとしたその時。
「そこにいるのはフーリンか……?」
小さな声が聞こえ、驚いて辺りを見渡すと廊下の下からラディが顔を出していた。
「ラディ!?どうしてここに!」
「何か作業でもしようかと思って来たんだ。それより何なんだ、この状況。魔獣ばかりじゃないか……!!」
どうやらラディにも第一封鎖の連絡はいってなかったらしく、可哀想なほどに顔を真っ青にして震えていた。
「魔物が、目覚めたんです。しかもその魔物はローズなんです」
「は」
私の言葉を上手く飲み込めなかったのか、ラディはパチリと目を瞬かせる。
ここに来てからの状況を簡潔に話すと、ラディはギルフォード様がいることに目を輝かせるかと思いきや顔を暗くした。
沈黙してしまったラディをよそに、ノアが時間が無いと言って喋り始める。
「まものにはねー、『かく』があるの」
「かく」
「そ!『かく』!」
『核』とは人々の負の感情が集まった集合体のようなもので、それは長い月日をかけて人の預かり知らぬところで形成される。
その核が完成すると魔獣や魔物が現れるらしい。
核が実質的な魔物の本体なので、核自体を破壊すればローズを傷つけることなく魔物を倒すことができるのだとか。
「つまり、第一のどこかにその核があるってこと!?」
「せいかーい!でも、ノアでもどこにあるかしらないからそれをさがさなきゃね〜フーリンのともだちがかんぜんにまにみいられるまえに」
魔に魅入られる前に。
つまりローズと魔物は完全に一体となってしまったわけではないということだ。
しかしそれも時間の問題で、完全に一体化してしまうと核を破壊しても意味が無くなり、ローズを殺さなければならなくなる。
「核ってどんな形をしているか分かる?」
「うーんとね、あかいろでー、まるくてー、だんりょくがあってー、ちょっとあったかい!」
赤色で、丸くて、弾力があって、少し温かい?
それをこのただでさえ広い学園で探す。
しかも魔獣が彷徨いているとなれば捜索はなかなか困難を極めるだろう。
「じゃあノアもそれをさがしてくる〜、っとそのまえにこれあげる!じゃあねー!」
ひらりと窓から飛び降りてしまったノアを引き止める隙もなくて、放り投げられ私の腕に収まった剣に視線を落とした。
私、剣扱えないんだけど、どうしよう。
途方に暮れていると、顔に生気が戻ったラディが私の名を呼んだ。
「大丈夫ですか?魔獣、怖いですよね。ギルフォード様が倒してくれるまでは辛抱してくださいね」
「……知っているかもしれない」
「え?」
「その核とやらがどこにあるのか」
「なっ、ど、どこですか!?」
思わず興奮してラディの肩を掴むと、ラディは至って真剣な顔をして囁いた。
「──秘密基地だ」
え?
「お前が何度も座っていたソファを思い出せ」
ああ、あの柔らかくて座り心地の良いソファですね。
「横には何があった」
何って、クッションぐらいしか無かったですよ。
赤色で、丸くて、弾力があって、程よく温かい──。
「え、え、え、えええええ!?!?」
つまり私は入学してからずっと魔物の核のそばにいたことになる。
そばにいたどころかお尻に敷いたり抱き潰したことさえある。
「……ラディ」
「あの部屋を作った時からあったんだ。ボクが隠していたわけではない。断じて違う」
そんなことは分かっている。
けれど、あんな近くに核があったということはラディへの影響は甚大だった筈だ。
第一で一番初めの被害者となったことも理解できる。
「そうとなれば秘密基地へ向かいま、しょ……ッ!!」
走り出そうとした私たちの目の前に魔獣が現れた。
姿を現したものだけでも五体はいる。
ドクドクドクと心臓が激しく踊り出す。
森であった出来事がフラッシュバックして足がすくんでしまった。
今ここに私たちを救ってくれる存在はいないのだ。
喉をグルグルと鳴らす魔獣が一歩、また一歩こちらへ近づいて来る。
万事休すかと思ったその時、ラディが私の手の中から剣を奪い取り、魔獣に向かって構えた。
「フーリン、ここはボクが対処する。お前は行け」
「そんな、危険です!」
その背は震えていて、トラウマがあるラディに戦わせるのは無謀にしか思えない。
「心配するな、フーリン。『僕』はもう大丈夫だ」
そう言って笑ったラディはもう迷子の子どものような表情をしていなかった。
「フーリン、『僕』はな、聖様のように強くありたかった。……でも『僕』には出来なくて、結局壊れてしまった」
「ラ、ディ」
「それでもお前といたこの一年で、ボクは僕なりの自分の在り方を見つけることができた。勇気を貰った。それは間違いなくフーリンのお陰だ、……ありがとう」
ふるふると力なく首を横に振り、鼻水を啜る。
何で、何で、よりにもよって今そんなことを言うんですか。
「だから、僕はもう逃げることを止める……ッ!」
魔獣が飛びかかって来る。
ラディがそれを斬りつけると、次々に他の魔獣が襲って来た。
「お前がローズを救うんだ!行け、フーリン!!」
「ッ、──はい!!」
私は走り出す。
泣くな、今は泣くな。
走るんだ。
次話、ラドニーク視点