二十八話 歓喜と怒り ※ギルフォード視点
クスリの一件で国を混乱させたことや闇組織への関与等が露見したヘルヅェ家は、ウルリヒの『掃除』によって没落した。
娘は処刑され、妻は壊れた人形となり、転落していく人生を送ることとなったにもかかわらず、ヘルヅェ家元当主は転んでもただでは起きない人物だった。
貴族だった頃に培った人脈を利用して盗賊との繋がりを持ち、女子供を商品とする奴隷商人の真似をするようになった。
レストアからそう遠くない地のこの辺りを本拠地としていること、そして本日他国の奴隷商人との大きな取引の予定があることを突き止めた。
その現場を押さえ、くだらないこの一連の出来事を完全に終わらせる。
「配置に付いたか」
「はっ」
商品となる人間を捕らえている小屋がこの辺りには無数にある。
その周辺を爆破させることであたり一帯にうろつく盗賊の統率を乱し、その隙に被害者たちを救い出す。
俺自身も木の陰に隠れ、決定的瞬間まで息を殺して待とうとしていたが、風にのって流れてきた匂いに反応してしまった。
魔素によって視力は落ちてしまっているが、それを補うように嗅覚が鋭くなっているのだ。
「……あっちか」
「殿下、どちらへ?」
「良い匂いがする。そこへ行く」
いつか言った覚えのある言葉を無意識に漏らし、一つだけ厳重に警備された小屋の近くで足が止まる。
怪訝そうにしながら付いてきた部下は鼻をひくつかせた後不思議そうに首を傾げた。
「私には匂いませんが」
その時俺は漸くその匂いが他人には知覚できないものだということを理解した。
息を潜めて小屋の裏に回り、壁に顔を近づける。
それは第二王立学園の廊下で、ウルリヒがいた部屋で、確かに香っていた。
そして今、やはり微かではあるものの同じ匂いがこの壁越しから感じ取ることができる。
まさか、と一瞬体の動きが止まった。
──これは伴侶の香りなのでは。
運命の伴侶である俺だけが嗅ぐことのできる香り。
俺だけを誘惑する甘くて心地よい香りだ。
その考えは案外直ぐにしっくりきて、俺は思わず顔を顰めた。
つまり俺は伴侶を捕まえる機会を何度も逃していたことになるのだ。伴侶がすぐそばにいたにもかかわらず。
そうなるとウルリヒの言葉が信用できなくなってくるが……、いや、俺の失態など今やどうでも良い。
ここに、壁一枚超えた先に、俺の伴侶がいる。
心臓の動きが一層激しさを増したが、現状を思い出すと俺は拳を握った。
伴侶が捕らえられている。
その事実に怒りで目の前が真っ赤になった。
今すぐにでも助けに行きたいが、ここで俺が動いてしまえば作戦の遂行に支障をきたす。
「殿下?どうかされましたか?」
「いや、何でもない。どうやらこの小屋にも捕らえられている者がいるようだな」
「この小屋だけ警備が厳重なのは余程の人物が捕らえられているということでしょうか」
確かに、余程の人物だ。
下手すれば国家の問題に関わる。
「いかが致しますか」
この小屋だけ他の建物とは離れている。
見張りの数から見ても爆破の混乱に乗じて救い出すのは難しいだろう。
ならばどうするべきか。
策を練るために集中していたことで、ボヤけた俺の視界に白いものが映り込んでいることに気付くことが遅れた。
ハッとして頭を上げると、白いローブを着た人間が屋根の上から俺を見下ろしていた。
「何故、貴様がここに」
「それをしりたいのー?じゃあなにをもらおっかな〜」
「知りたくない」
「そっかー、ざんねーん」
気の抜けるような喋り方をするノアを見て、俺はあることを思い付く。
この際ノアが今回の件に関与していようがいまいがどうでもいい。
どうせ此奴は誰の味方でもないのだから。
伴侶を助けること以上に優先させるものはないが、立場上動けないのならば、使えるものを使うしかない。
「ノア、お前に依頼をしたい」
「ほっ?めずらしー!なになに!ノア、とってもきになる〜!」
「ここに捕らえられている人物を助け出し、安全な場所まで送り届けて欲しい」
親指で小屋を指すと、ノアは意味深な笑い声を上げた。
「ふーん?なるほど?なるほどなるほどなるほど〜!じょうほうやのしごとのはんいがいだけどいいよー!そのいらいをひきうけてあげる!」
「何を望む」
ノアに依頼する以上、相応の対価が必要となる。
だがどんなものを望まれようが伴侶以上に価値があるものなどなかった俺は、どんなものを望まれようが差し出す覚悟があった。
「んー、んんん。そうだな〜こんかいはただでいいよ!しゅっけつだいさーびす〜!」
「……何を企んでいる?」
「しつれいな!しってる?ノアってほんとはやさしいんだよ〜」
ノアの言動の意味を探ろうとして目を細めると、ノアは仕方のなさそうに屋根の上から降りてくる。
間近で見たノアは想像していた以上に小さくて、僅かに目を見開いた。
「さがしものがみつかったおーじにノアからおいわいしたかったからだよ!」
「な」
「とでもいっておく〜!」
「……」
あまり此奴に付き合っていると自分の調子を崩す。
努めて冷静に顔を引き締め、合図をし次第助けに行けとノアに命令を下すと、承知したと言わんばかりに頷いたノアは一瞬のうちに眼前から消えた。
俺は倦怠感の残る体を叱咤して壁に手を当て、一番香りが強くなる場所を探し、そこに膝をつく。
伴侶に聞こえるかどうかは一つの賭けであるが、俺は祈るように囁く。
すると奇跡のように伴侶本人による応答があったことで、舞い上がりそうなる全身を必死に抑えた。
一方的な会話の途中で香りが少し変化したことで、俺は伴侶が不安がっていることを理解した。
「──必ず君を救い出すと誓う。だから泣かないでくれ、我が伴侶」
抱き締め、あらゆる不安を取り除いてやりたい気持ちを押し殺し、見張りが来る前にそこを離れ先程いた位置に戻ると、部下が驚いた顔をして俺を凝視していた。
「まさか、あそこにいるのは」
無言で頷くと部下は普段見せることのない驚愕の表情を浮かべ、汗を垂らした。
「で、では、最優先して伴侶の御方を……!」
「いい。今更作戦を変更させるようなことはしない。ノアに依頼した以上、お前はお前の任務を遂行しろ」
「殿下……」
俺の必死の捜索を知っている直属の部下であるため、大層複雑な顔をして、不本意そうに敬礼をした。
「時間だ。只今より作戦を決行する」
「御意」
それは俺が出る間も無く、呆気ないほどに終わった。
「盗賊、並びにアンゼニック・ヘルヅェを捕らえました」
「イルジュアに送っておけ、処分は後日だ」
「畏まりました」
どうせ奴らの末路は決まっているため、今ここで断罪する必要もない。
囚われていた被害者である女や子どもの泣き声が聞こえ、ふうと一息ついたのも束の間、別の部下が緊張した顔で膝を付いた。
「殿下、第一王立学園に魔物の出現が認められました」
「……来たか。魔導師を呼べ」
「はっ」
魔獣が既に学園に流れ込んでいることは知っていた。
その対処はあの者に任せている為心配はないが、あと少しで決着が着くと思うと身が引き締まる。
「お呼びでしょうか」
「転移魔法を使い、レストアの第一王立学園に俺を飛ばせ」
「む、無茶です!転移魔法は大魔導師でさえ難しいものです!転移できたとしても殿下にどんな影響があるか……!」
「構わん。命令だ、やれ」
「……畏まりました」
渋る魔導師の心情を察することができるが、四肢の一本や二本失うことを日和っている場合ではない。
第一王立学園にいる者は全て避難させたことで人的被害は無いだろうが、嫌な予感がした。
腰にある聖剣の柄を指の腹で撫で、目を瞑る。
詠唱が耳に届き、空間が歪んだ瞬間、俺の目には何も映らなくなっていた。




