二十六話 カウントダウン開始
「では肝心の双子がいないと言うことなのか」
「そうみたい、まあでもせっかくだから行ってみたいなあって思って」
双子に会いに行くと言ってしまった手前、正直なことを言うわけにもいかなかった私は双子の不在を適当に誤魔化すことにした。
ローズはそれを疑うことなく承知した上で付いて来てくれたので、罪悪感が私の胸をチクリと刺した。
双子の故郷にして、イナス村の隣村であるラズ村は長閑で気の良い村人の多い村だった。
村の人に道を聞きながら双子の実家だという家の前に着くと、私は意を決してローズにお願いをした。
「あの二人が今度誕生日だから何をあげるか相談したいんだ。ローズは退屈だと思うから少しだけどこかで時間を潰して来て貰えないかな……?」
我ながら苦しい言い訳だとは思うけれど、これ以上の言葉が思い浮かばなかったのだ。
「分かった、あたしはその辺で村の人とでも話してくるよ」
何かを察してくれたのか、ローズは気持ちよく頷いてその場を去って行った。
一人残った私は大きく深呼吸をして顔を上げる。
祖母は気難しい人だから一応心構えをしておいて、という双子からの有難いアドバイスを受けたおかげで、私はすっかり緊張してしまっている。
「す、すみませーん」
震えた声で家の中に向かって声を上げると、奥から背が丸まった白髪の女の人が出てきた。
「誰じゃ」
「っ、は、はい!あ、あの、フーリン・トゥニーチェと言います!」
「フーリン・トゥニーチェ」
「あ、えっと、恐らくお孫さんから連絡がいっていると思う、のです、が……」
まさか、いっていないのだろうか。
眼光の鋭いお婆さんはその場から微動だにせず、言葉尻を濁した私をジッと見据えている。
焦りと恐怖で完全に硬直してしまった私もその場から動くことができなくなってしまった。
暫く見つめ合う形になって、私が動かなければいけないことに気付いた私は覚悟を決める。
「今日はお話を聞きたくてお邪魔させていただきました!良ければ少しだけお時間をいただけませんか!」
勢いよく頭を下げると、暫しの沈黙の後、頭上から面白がるような笑い声が落ちて来た。
へ、と顔を上げるとそこには先程とは一転して顔を綻ばせたお婆さんがいて。
「確かにあの子らから聞いとるよ。魔物について聞きに来たんだったんじゃな?」
「はい!」
「お上がり」
お婆さんに促されて私は体を小さくしながら上がった。
そして小さな部屋に案内され、緑色のお茶を出される。
珍しいお茶に一瞬意識を奪われていると、お婆さんは楽しそうにお茶をすすった。
「ふふ、面白い。魔物について聞きに来たのはこれで二人目じゃわ」
「二人目……?それって」
「イルジュアの皇子よ。もう半年以上前のことじゃな。鬱陶しいから追い返そうとしたが孫の知り合いと言うからには通さぬわけにもいかなくなってな」
ヒュッと鋭い空気が喉を通り抜けた。
ここにギルフォード様がいた。
そう想像しただけで動悸がする。
……そうか、あの双子とギルフォード様は交流会で出会っている。
孫には弱い祖母を動かすのに、そこで培った人脈が使えたんだ。
人の繋がりの大切さをここでも学ぶことになるとは思わなかった私が思わず遠い目をしていると、お婆さんは湯呑みを置いてゆっくりと目を細めた。
「さて、魔物について、じゃったか。とりあえずどうしてそれを聞きに来たのかを教えておくれ。そうでないと何も話せんからな」
そう促された私はレストアに入学してから体験したことを掻い摘みながら話すと、お婆さんは時折頷きながら口を挟むことなく静かに聴いてくれた。
呪いを受けた友人と共に過ごしてきたこと。
その友人は時折暴走する姿を見せること。
呪いとは、魔物とは、結局何なのかを私は知りたかった。
そしてこれから自分に何ができるのかということも。
話しを終えて顔を上げると、お婆さんは緩慢な動きでお茶を飲んだ。
「お主、既にある程度は理解しているんじゃないのか?」
「……え?」
「目がそう言っとるよ」
探るような視線を注がれて、図星だった私は目を見開いた。
そして逡巡した後、呪いのことを知ったあの日からずっと考えてきたことを話すことにした。
呪いにかかった人は人々から注目を浴びたり、期待を寄せられていた立派な人たちで、彼らは皆等しく精神的重圧があったに違いなかった。
少し前までの第一での生活を思い出す。
周囲の期待に応えることが当然とされる、窮屈で、排他的な生活を。
「呪いにかかると、その人が内に秘めていたなりたかった姿になるんじゃないかって、そう思いました」
「ほう」
「引きこもりたいと思った人は外に出られなくなって、自分の意見を主張したかった人は発狂ばかりするようになって、……子どもに戻りたいと思った人は子どものように傍若無人に振る舞うようになる。それらは全て本人の意思に関係なく、呪いによって強制的にそうなってしまう、……であってますか?」
自分の言葉が上手くまとまらないことを自覚しながらも必死に伝えると、きちんと意を汲んでくれたお婆さんは一つ頷く。
「お主の言う通りよ。呪いにかかってしまうと、それまでその者が必死に抑圧していた感情が解放されてしまうのじゃ」
「やっぱり」
「少々過激な姿ではあるが、結果的に言えば、その者がそうありたいと願っていた姿になれるんじゃぞ?お主はそれが良いことだとは思わぬのか?」
目を瞑って、あの時の光景を思い出す。
過去と現在の狭間で苦しみもがいていたラディの姿を。
ならば私の答えは一つだ。
「いいえ、良いことだとは思いません」
「……そうじゃな、自分の願望が叶うと言っても、つまるところそれは『逃げ』じゃ。本人にとってもそれが良いとは思えぬわな」
こくりと頷くとお婆さんは部屋の中から外の景色を見つめた。
「呪いにかかってしまう者たちは大抵多くの者に称賛されるような優れた人物たちばかりであろう?」
「はい」
「そういった者たちはその期待に応えようと己を殺して生きておる。ワシらが想像する以上の苦悩を抱えとるんじゃ。そう言った者の心の弱さにつけ込んで性格を豹変させ、周囲を混乱させるのが魔物の呪いさ」
ラディの慟哭は『理想』を演じ続けることに疲れた心の叫びだった。
『……違う、ボクは、違う』
『……僕は完璧な王子なんかじゃないんだよ……』
『自分のやりたいことを我慢して、我慢して、我慢して、ずっと我慢してきた』
ずっとずっとずっと、彼は周りの期待から逃げたかったのだ。
だからこそラディは呪いによって、子どもになった。
「魔物は無から生まれると言われておるが、実際は人間の『負の感情』が元なのじゃ。それが何百年という時を経て『魔物』という形となり、人に憑依してその地を破滅に導く。呪いもその一環と言うわけじゃな」
魔物の正体は、人。
「じゃ、じゃあ、憑依するってことは第一の誰かが魔物になってしまうということですか!?」
「その可能性が高いじゃろうな」
衝撃の事実に絶句する。
つまり聖騎士が魔物を倒すと言うことは、魔物となった人を殺してしまうのと同義だ。
第一の誰かが犠牲となる、絶望的な未来に目眩がした。
「あの皇子には言わなかったことじゃが……、聖騎士はな、確かに魔物を倒せる。倒せるが、魔物となった者を救うことはできないんじゃ」
「っ」
「じゃからかつてのイナス村の時も魔物は倒せたが、結局村は全滅してしもうた。このままではその第一王立学園とやらも最悪の事態になりかねん」
「そんな!……だったら、聖騎士ができないなら、私にできることはないですかっ?それを知って、何もできないのは嫌なんです!」
真っ直ぐにお婆さんを見つめると、お婆さんは少しだけ微笑んで私の手を握った。
「そうじゃな、──魔物の心に寄り添って、信じておあげ。さすればその者から魔は切れるじゃろう」
心に寄り添い、信じる。魔を切る。
正直言って全くピンと来ないけれど、その時がきたら分かるのかもしれないと、私は真剣に頷いた。
「最後にもう一つだけ質問して良いですか?」
「良いぞ」
「呪いって継続的なものと一時的なものがあるんですか?」
「いや、一度呪いにかかれば魔物を倒すまでずっとそのままだそうじゃがな」
じゃあローズのアレは呪いのせいじゃなかったということ?
混乱しながらローズのことを話すと、お婆さんは難しそうな顔をして慎重に息を吐いた。
「もしかしたらその友人には気をつけた方がいいかもしれん」
「……どうしてですか?」
「その者が呪いにかかったのは事実じゃろうが、なりたい姿が無かったために一時的に影響を受けただけで終わったんじゃろう」
「それって良いことなんじゃ」
そう言った私の手をお婆さんは痛いくらいに強く握り、小さな声で囁いた。
「夢も希望もない、空っぽの入れ物を魔物は好むからな」
私は今度こそ言葉を失った。
お婆さんと話を終えて新たなモヤモヤを抱えてしまった私は、頭を捻らせながら足早にローズの元へ戻った。
「お待たせ!」
「もういいのか?」
「うん、待っててくれてありがとう」
優しげに私を見るローズが魔物になるなんて考えられない。
もし魔物になる可能性が高いのだとしたら、ローズを第一に近づけないのが得策かもしれない。
ということはローズはテスルミアにいた方が良かった……?
自分が余計なことをしてしまったのかもしれないという考えによって頭がパンクしそうになる私を、ローズが心配そうに覗き込んでくる。
「体調でも悪いのか?」
「あっ、ううん、大丈夫!プレゼントどうしようかなあって悩んでただけ!」
そうか、と言ってローズは前に向き直った。
ラズ村を出た私たちは、ついでに辺りを観光しようとなり、ぶらぶらと歩き回った。
自然豊かな景色を見ることで落ち着いた私が漸く余裕を取り戻したところで、ローズが前を見据えたまま尋ねてくる。
「なあ、フーリン」
「なあに?」
「学園での生活は楽しかったか?」
何故そんなことを聞くのだろうかと思ったけれど、もう直ぐ卒業するのだということを思い出すと、私は勢いよく首を縦に振った。
「もちろん!だってローズたちがいたから!」
「……そう、か。それは良かった」
そんな会話をした辺りから、歩みを進める度にローズの顔が強張っていっていたことに気付かなかった私は、完全に油断してしまっていて。
「──んぐっ!」
突然布で口を塞がれた私は頭の中が真っ白になってパニックに陥る。
誰?何が起こっているの?
ローズは?ローズは大丈夫なの!?
ジタバタと暴れる体を押さえつける力は強く、布には何かの薬品がかけられているのか、私の視界は次第に霞んでいった。
そして意識が途切れる前に見えたのは、苦しそうに笑うローズの姿だった。
「……すまない、フーリン」




