二十五話 ここが正念場 ※ギルフォード視点
「殿下、少しはお休みになってください」
「まだいい」
「そう言ってもう三日は寝ていないんですよ?お体に障ります」
書記官の小言に顔を顰めながら首をポキリと鳴らす。
確かに体は少し怠いが動けないことはない。
体を横にしたところで大した睡眠を取れないことも分かっていた。
そう口にすれば書記官は渋い顔をした。
「そんなボロボロの状態で今ここに伴侶の方が来られたらどうするんですか。引かれてしまいますよ。魔獣の件はあの方にも協力していただいてることですし、休むことも仕事だと思ってください」
伴侶の名を出せば俺が折れることを理解した書記官は、都度その手を使うようになった。
睨みつけたところでどこ吹く風の書記官に、俺は諦めて立ち上がる。
「……分かった、少し休む」
「魔導師は派遣しますか?」
「いい、どうせ直ぐにレストアに行く」
自分の意思では眠れないために、魔導師に魔法をかけてもらうことが最近の日常となっていた。
眠れなくなったのは決して伴侶のせいじゃない。
己の弱さ、その一点のみだ。
執務室に隣接している仮眠室に足を運ぼうとしたところで、書記官に伝えておかなければならないことを思い出し、こめかみを押さえる。
「レストアに伝えろ。この連絡を受け次第、第一王立学園、並びに周辺施設は全て封鎖。生徒を避難させろとな。まもなく魔物が目覚める」
「終に、ですか。承知いたしました」
頭を下げ、足早に部屋を去っていった書記官を背に、目眩がした俺は机に手をつく。
乱雑に重ねられていた書類が床に落ちていくのを視界に、歯を食いしばりながら左手首につけた腕輪を強く握る。
この身体ももってあと一週間。
それまでに魔物は必ず現れる。
耐えなければならない時だと分かっているのに、森に充満する魔素の濃さにそろそろ頭がイかれそうだった。
霞む視界、手の震え、異常な速さで脈打つ心臓を、気にしすぎないように、周囲には気付かれないように過ごしてきた。
その甲斐あってか、周りは寝不足ゆえの不調だと思っている。
聖騎士とは言っても、この俺も結局はただの人間で。
毎回その場を聖剣で空気を浄化していたが、最近ではそれも意味をなしていないことは分かっていた。
身体的にも精神的にも苦痛を負ってきたこの半年間、心の支えにしていたのは他でもない伴侶の存在。そしてすり替えられた金の腕輪。
どうやらこの腕輪にも相応の魔法はかけられているらしく、何度かこれに命を救われたことがある。
その時のことを思い出していると自然と女神に対してするように、膝をつき腕輪を額に当て、祈っていた。
──願わくば、伴侶が怪我無く、健康であるように。
瞑目し、しばらくそうしていると不規則だった心拍が正常になってきて、俺は束の間の人心地をつく。
こんな体たらく、伴侶に見せることが無かったことは幸いだな、と一人苦笑する。
なんとか落ち着いた体を仮眠室のベッドに投げ出せば、ドッと疲れがやってきて、俺は意識を失うように目を閉じた。
仮眠をとると頭も幾分かマシになったので、レストアに向かうための準備にかかる。
タイミング良くやってきた書記官は少し焦った表情をして俺に近づいてきた。
「殿下、少しお耳に入れたいことが」
「何だ」
「実はレストアの……で、……が……」
聞き捨てならない内容に眉が反射的に反応する。
「レストアは何をしている」
「殿下にお任せしたいと」
「チッ、腑抜けめ。それぐらい対処できなくて何が国だ」
今そんなことに気を取られている場合ではないにもかかわらず、レストアはまるで幼子のように次々に問題を持ってくる。
眉を寄せながら予定の変更と各関係者への指示内容を伝えると、書記官はそれを反復した後即座に出て行った。
一年前まではレストアは自国で判断し行動することでイルジュアと対等に向き合って来たというのに、ここ最近で随分と気弱で浅はかな言動をすることが多くなっていた。
その原因がレストアの第四王子が欠けたからということに気付くと、大きな納得と同時に失望した。
第四王子が無能な父である王に助言をし、勉学を中心に様々な政策に力を入れてきたおかげで、レストアは目を見張るほどの成長を遂げていた。
そうした事から俺はレストアに対し、ある程度の期待は抱いていたというのに、王子の助言がなくなっただけでこのザマだ。
国の成長に貢献し、周囲に抜きん出るほどの能力を持つ王子が何故急にそれらの行動を止めてしまったのか疑念を抱いてはいたが、隣国の政情に口を出すほどのことではないと考え放置していた。
それが最近になってその答えが判明した。
王子もまた魔物による呪いの被害者であったのだ。
兄上に頼んで調べて貰った被害を受けた生徒のリストの中に第四王子の名があり、その時は驚いたものの、思い当たることがあった俺は直ぐに納得した。
半年前、ヘルヅェのことについて一応婚約者であった彼に言っておくべきだろうと、王子に会いに行ったことがあるが、そこで話していた時に抱いた違和感があった。
それはきっと俺しか気付かないほどの違和感で。
──彼が俺と目線を合わせている。
いつもの王子ならば俺が近付くだけで逃げてしまうし、話し合いで近くにいなければならない時は顔を真っ赤にしながら目を逸らす。
彼はそういう気があるのだろうかと思ったこともあるが、よくよく観察してみれば純粋な尊敬の念を抱いてくれているだけらしく、俺はそれ以上特に気にしたことは無かった。
が、今思い出してもあの時の彼は確かにいつもの彼らしくなかった。
だからこそ呪いを受けて性格が変わってしまったことが分かった時は、靄が晴れて少し安堵したことがある。
彼が元に戻ればレストアも自ずとまた良い方向に向かうだろうと、自分の責任を改めて認識し、溜息を吐いた。
そこで書記官の言葉を思い出し、頭痛がしてきた。
「ヘルヅェ家か」
ウルリヒめ、掃除をするなら最後までやれ。




