二十二話 心臓に悪い
シガメさんは誘拐犯だと勘違いされることはなかったが、知らない人にのこのこ付いて行った私たちはお父様に叱られた。
「うう、ウルリヒめ……このボクを叱るとは」
「テスルミアにいる間は私の息子同然だと決めただろう?ちゃんとお父様と呼びなさい、ラディ」
「くっ」
私たちはシガメさんと別れた後、お父様と一緒に火の部族の根城があるという場所へと馬車で向かっていた。
ローズが部族長の娘であるため、ただテスルミアに来ただけでは会えないことは分かっていた。
そこでお父様に族長と商談をするよう取り計らってもらい、その間に付き添いとしてやってきた私たちがローズと会うという算段だ。
勿論、ローズと連絡を取っていない以上、会えるかどうか運次第ということになる。
ガタガタと揺れる車内から移り変わりゆく景色を眺めていると、お父様が私の頭をひと撫でした。
「きっと会えるさ。ラディも付いていることだしね」
「その通りだ。いざとなればボクが探し出して連れてきてやる!」
「……はい、ありがとうございます」
人の建物の内で勝手に探し回ることができないのは分かっていたけれど、ラディの気持ちが嬉しかった私は微笑んでおいた。
それから無事火の部族の根城である見たことのない異国風の建物内へ入ることができた私たちは、控室で商談相手である部族長を待っていた。
そしてお父様だけ別室へと呼ばれてからは私とラディ二人きりになってしまっていた。
「見張り役とかいないんですね」
「そもそもこの建物自体人が少ないように感じたからな、ここにまで手を回す余裕がないんじゃないか」
「なるほど」
ラディの観察眼に感心したのも束の間、ラディは私の腕をとって立ち上がったかと思うと目を輝かせてこう言った。
「ならば行くしかない」
「……どこへ?」
「探検に決まっているだろう!」
「ダメに決まってるじゃないですか」
私が即座に否定するとラディはムッとした顔をして、私の腕を離した。
「赤髪女を探すんだろう」
「それは、……さっきはタイミング逃しちゃいましたけど、後で誰かに直接お願いして、」
「──ボクにはやりたいことがたくさんあった」
「はあ、……ん?」
突如語り出したラディに再び座り直そうとした私の動きが止まる。
「自分のやりたいことを我慢して、我慢して、我慢して、ずっと我慢してきた」
今まで自分の意思で語ろうとしなかったラディの本音が今語られている。
「でも今のボクは我慢なんてまっぴらごめんだ。ボクはやりたいことをやる。お前はそれに付き合え。……フーリンだけは、このボクを否定してくれるな」
横暴に聞こえて実際はそうじゃないラディの言葉に私は息を呑んだ。
聖杯で考えていたことそのままをラディの口から溢されるものだから、私は驚いたのだ。
今までラディの考えを深く聞こうとは思わなかったけれど、ここで直接ラディの想いを聞くことができて私はにっこりと笑う。
「はい、否定しません。私は昔のラディを知りませんが、楽しそうに色んなことをしている今のラディが好きです。あ、勿論友達としてですよ」
最後の一言大事。
「……物好きな女だな、お前は」
「……ラディには言ったことが無かったかもしれませんが、私はレストアに来るまで外の世界を何も知らないひきこもりでした」
「……」
「きっと私もラディも世の中の楽しいことをまだまだ知らないのだと思います。だからこそ私と一緒にたくさん楽しいことをしましょう!どこまでも付き合いますよ、私はラディの友達なんですから。あっ、でも加減はしてくださいね」
思っていたことを言い切ると、ラディはくしゃりと顔を歪めて腕で顔を覆ってしまった。
「……泣いてるんですか?」
「っ、泣いてない!生意気だぞ、フーリンのクセに!」
「すみませんっ」
「謝れなんて言ってない!」
「す、すみま、え、ええ?」
相変わらず扱いの難しい王子様だと思わず笑ってしまうとラディはまた膨れっ面をして、ガッと私の腕を掴んだ。
「言質は取った」
「へ」
「気を取り直して行くぞ、探検だ!」
諦めてなかったんかーい!
「人に見つかったらどうするんですか」
「トイレに行こうとして迷ったとでも言えばいい。ごちゃごちゃ言うな、ボクは今湧き立つこの好奇心に従うのみ!」
「……私はラディに従うのみ、ですね」
「よく分かっているじゃないか、アッハッハッハ!!」
あれ、これ私嵌められた?
口をへの字に曲げる私など既に眼中にないラディは、掴んだ腕はそのままに外へと飛び出した。
直ぐに見つかって部屋に連れ戻されてしまうのではないかと思った私の予想を裏切り、廊下は閑散としていて、人っ子一人走り回っている様子はない。
不気味な静かさに臆した私はラディにやはりやめようと提案するも、聞く耳を持つはずのないラディは好機とばかりに足を進めていく。
渋々ながらラディに着いていくうちに私もローズに会えたらいいなと考える余裕ぐらいはできてきた。
しかし随分と奥まった場所まで来た時、私は辺りの薄暗さに別の不安が押し寄せてきた。
「本当に人がいませんね」
「ん、なんだかこの部屋面白そうだな」
私を無視したラディが目をつけたのは他の部屋のものとは違う真っ黒な扉。
その扉が私には異質なものに見えてゾッと鳥肌が立つ。
「お、開いたぞ」
「ラディ、ダメですよ!さすがに入ったら、」
「お宝探し!ワクワクするなっ」
「あっ、もう」
ラディは完全に本当の目的、ローズを探すことを見失っている。
小声で咎めるもラディはどこ吹く風で勝手に入室してしまった。
私もその場に留まるわけにもいかず、意を決して足を踏み入れる。
真っ暗な部屋でキョロキョロと中を見渡すと、手当たり次第に物色するラディがいた。
物にぶつかりながらなんとかそばに辿り着く。
「ここ物を溜めすぎですよね」
「今なら何でも盗めそうだな」
「なんて恐ろしいことを」
こんな会話がここの人に聞かれでもしたら。
とラディの発言に冷や汗が流れたその時、「あっ!」と言うラディが叫ぶ声が聞こえて、私はビクリと大袈裟に肩を揺らした。
「な、何」
「ボクの服のボタンが引っかかって取れたんだ」
「……なんだ、人騒がせな」
「あ、あー」
安心している場合ではないと私に警告したのはラディの間延びした声だった。
「どうしたんですか?」
「ボタンが転がってこの下に入ってしまった」
ラディが指した本棚の下は鼠などなら入れそうな隙間があった。
手を伸ばしてみても奥に行ってしまったのかラディはなかなか取ることができない。
部屋が暗くては感触を頼りにするしかないのだから仕方ない。
「もう諦めましょう?それぐらいだったら家に帰ったら私が取り付けますし」
「……ボクたちがここに侵入したことがバレても良いと言うんだな?いつか掃除をしにきた者に見覚えのないボタンがあったら訝しがられるかもしれないぞ。最終的に迷惑を被るのはウルリヒだ」
「直ぐに取りましょう」
埃っぽいこの部屋が掃除されているのかは甚だ疑問だけれど、お父様に迷惑をかけたくない一心で私は床に這いつくばって腕を伸ばす。
「あっ、ありましたよ!ラディ」
「おお、良くやった。褒めてつかわす」
「有難き幸せー」
「なんだその棒読みは」
「ノリです」
「ノリか」
そんな意味のない会話をしながら無駄に時間を過ごしていると、いきなり緊迫した表情のラディが私の口を塞いだ。
「ふ、んぐ!?」
「静かにしろ、誰か来る」
衝撃の発言に私は目を見開いて固まる。
「とりあえず隠れるぞ」
私はコクコクと頷いてラディに手を引かれるままにクローゼットらしき空っぽの家具の中へ体を滑り込ませた。
最近こうやって隠れることが多いような、なんて遠い目をしていると誰かが入室してきた気配があった。
「……鍵…忘れ……失態……な」
くぐもった低い男の人の声が聞こえ、何を言っているのだろうかと耳を澄ます。
「……ローズマリー…見つけ……だろう」
ローズの名前が聞こえて私は咄嗟にラディを見上げる。
ラディは相変わらず険しい顔で扉に耳をつけていた。
男性はそこに留まる気はなかったようで何かをした後直ぐに部屋を離れていってしまった。
一応警戒してクローゼットの中にいると、徐にラディが口を開いた。
「あの声は恐らく火の部族長だ」
「知っているんですか?」
「幼い頃に一度きりだし直接会ったわけではないからあっちは知らないだろう」
つまりこの部屋の主は火の部族長だと言うことで、私たちがここにいることが判明したら本当に危なかったということだ。
「あれ、でも今お父様と商談中でしたよね」
「奴が言っていただろう、鍵を閉め忘れたと。戻って来たんだ」
「……ラディって記憶力も耳も良いですね」
普通小さい頃にあった人の声を覚えている人はなかなかいないと思う。
人は声から忘れていくというし。
「ふん、ボクにとってこんなことは当たり前だ」
褒められたことで気分が良くなったのかラディが後方の壁に手を当てて鼻の下を撫でようとした。
「「!?」」
突然の出来事に私たちはそろって呆気に取られ、それこそ数秒は完全に固まった。
なんといっても後方の壁が扉のようにパカリと開いたのだ。
驚くなという方が無理な話だった。
「……凄い、隠し扉だ」
「ら、ラディ?何でそんな興奮して、」
「行くぞ、フーリン」
「で、でももう戻らないと!私たちが居なくなっているのバレているかもしれないんですよっ」
「目の前に男のロマンがあるというのにこれを見捨てていく男がどこにいる!」
「私は女です!」
ムキになって言い返すと、ラディは急に萎れた表情になって顔を俯けた。
「……ボクにどこまでもついて来てくれるというのは嘘だったのか?」
「うっ、そ、それは……加減はして欲しいって言いましたし」
「──ここで行かないと後悔するとボクの本能が告げている。ならばフーリンが行かなくてもボクは行くぞ」
そんなことを言われたら私は。
「分かりました。付いて行きます、付いて行きますよ!」
「よし、なら行くぞ!」
やけくそにラディの意に従う旨を言い放った途端、ラディは最高に素敵な笑顔で真っ暗な闇に向かって叫んだ。
「──いでよ、ドラゴン!!」
いや、それは絶対にいないと思う。