二十一話 使命を知る
テスルミア帝国──火、水、土、風の四つの部族により成り立つ強大な国で、国力で言えば我が母国イルジュアと並ぶ。
ローズはその四部族のうちの一つ、火の部族の者であるらしく、私たちはそんな火の部族が中心となって生活する地方へと足を踏み入れていた。
ドキドキを隠しきれぬまま無事三人で入国したまでは良かったが。
「嘘でしょ」
レストアのものと比べても少し大人しく感じる市場で私とラディは迷子になっていた。
それもこれも初めてのテスルミアに興奮して私を連れて動き回っていたラディのせいである。
今回に関しては私は全く悪くない。悪くないったら悪くない。
「お父様とはぐれたら流石に危険ですよ、早く探しましょう」
「やだ、ボクはもっと見て回りたい!」
「拗ねても無駄です!ほら、きっとまだ近くにいるはず……!」
と周りに視線を走らせたところで私はようやく余所者の私たちに厳しい視線を向けられているのが分かった。
沈んだ目でこちらを見てくる店の人、明らかな敵意を持って睨んでくる通行人、得体の知れないものでも見たような表情の子ども。
「な、なんで」
「阿呆め、勉強しただろう。国交を殆ど持たない国だから外から来た者が珍しいんだ」
「珍しがってる目じゃないと思います……っ」
急に恐ろしくなった私は無意識にラディの服の裾を握って身体を寄せる。
すると視線を下から上に向けて私の全身を眺めたラディは一つ頷いた。
「こうしてみるとお前結構痩せたな」
「本当ですか!?って嬉しがってる場合じゃない!」
「なんだよ、人がせっかく褒めてやったのに」
いや、だってぶーたれ顔してるラディの後ろから近づいてきてる男の人がいるのだ。
ラディは私の焦っている様子で背後から近づく男性に気付いた。
『何か用でも?』
「えっ」
突然ラディがテスルミアで使われている言語で話し始めた。
『驚いた、こっちの言葉を喋れるのか。いやなに、金でも持ってそうだと思ってな』
『罪を認めるのが早くて何よりだ』
『ククッ、生憎言葉が通じる奴を騙せるほどの技量がオレには無くてね。その後ろにいる彼女はアンタのいい奴か?』
『違う、友人だ』
『友人同士でここに来たってのか?観光に来たんだろ?アンタたち』
テスルミアについて勉強した期間はたったの一週間。
我が家にしれっと泊まっていたラディは私と同様の内容を勉強しただけだったはずだ。
しかもラディの場合勉強自体に拒否反応を示しては逃げ回っていたというのに。
私なんて挨拶とありがとうぐらいしか言える自信がない。
というかラディが普段とはまるで別人に見える。
唖然として目の前で交わされるやりとりを見ているとひと段落ついたのかラディがこちらを向いた。
「あの、ラディ。その方はなんて?」
「保護者とはぐれて迷っていると言ったら目立つ所まで案内してやると」
「えっ、それは良かったですね!」
もしかしたらこの男の人は私たちが困っているのを見て声をかけてきてくれたのかもしれない。
「あ、あの、『ありがとうございます!』」
『おー、可愛い子だねえ。ふっくらとしていて食べてしまいたいよ』
何と言っているのか分からないけれど、ラディを見ると顔を顰めて男性を睨んでいたので何か良くないことを言われたのかもしれない。
レストアはイルジュアと共通言語だからその辺りは何の問題もなかったけれど、こうして言葉の通じない国に来て初めて言葉の壁をひしと感じた。
「ふふ、そんな悲しそうな顔をしないで。本当に食べたくなっちゃう」
「食べ……!?って、え、言葉が通じる!?」
「はははっ、この坊やと違って料理のしがいがありそうだ」
言葉自体は分かるはずなのに男の人が何を言っているのか分からなくて涙目になった私はラディに助けを求める。
「あんまりからかうなよ。コイツに何かあったらお前コイツの親に殺されるからな!」
「なんて物騒なことを言うんだ。そういう保護者はどんな奴なんだ?」
「トゥニーチェだ」
「……トゥニーチェってあの?てことはあんたトゥニーチェの娘だったのか!?オレはウインドベル商会の商品が好きでなあ。安価で質も良いからこの国でさえウインドベルの商品は優遇されてるんだぜ」
「そうなんですね」
「おい、この嬢ちゃんあんまりすごさ分かってねえ感じだな」
トゥニーチェ、並びにウインドベル商会の名前が世界的に有名なのは知っている。
テスルミアのような閉鎖的な国でもウインドベルの商品が流通しているということはとても凄いことなんだろう。
というあくまで推定的にしか理解していない様子の私を見て男性は呆れたように肩を竦めた。
「いいか、トゥニーチェの名がオレにまで知られているということは有名だと言って終わらせられる話じゃない。それを利用しようとしてくる者だってたくさんいるってことなんだ」
「……はい」
「お、その反応は心当たりがあるみたいだな。ならいい、オレが言えた義理じゃねえがいついかなる時も警戒心は忘れないことだな。たとえお前の隣にいる友人であってもな」
ラディをチラリと見てそんなことを言い出すので私は途端頭がカッとなった。
「ラディはそんなこと考えていません!」
「友情やら愛情なんてものは金を前にすればすぐに崩壊してしまうものだと思うがねえ、オレは」
なんて嫌味な人なんだと私の頰が膨れていく。
しかしそんな膨れた頰をぷすっとさして萎ませてしまったのはラディだった。
いや、ぷす、なんて可愛らしいものじゃないブスッ、だった。
「ラディ……」
「いいから早く案内しろ、日が暮れるだろう」
「はいはい、仰せのままに」
シガメと名乗った男は右眉を上げて付いて来な、と言って私たちに背を向けた。
ラディと並んでシガメさんについて歩けばどんどん周りの景色が変わっていき、少し肌寒く感じるようになった。
「なあ」
「なんだい?」
突然辺りを見渡していたラディが口を開いた。
「この辺りの者たちはあまりテスルミアって感じの顔をしてないな」
「そりゃそうさ、数年前にテスルミアに統合されたばかりの地域だからな」
やはりそうかと小さく呟くラディに何の意図があってそんな質問をしたのか分からない私は首を傾げる。
確かに勉強した限りではテスルミアの、特に火の部族は顔の濃い人が多いにもかかわらず、シガメさんやローズは決して濃い顔とは言えない。
そこで私はああそうかとラディの言わんとすることを理解した。
ラディはこの地域の貧しさを指摘しているのだ。
「火の部族の圧政は外にも知られているんだろう」
「ここに来る前に勉強した」
「なるほど、トゥニーチェともなれば優秀な子弟を持つんだな」
シガメさんは納得したように唸ると、何かを決意したような顔をした。
「……少し、付いて来て貰えるか」
シガメさんの真剣な表情を見た私とラディはお互いに顔を見合わせた後、無言で頷いた。
そして付いて行った先で私たちが目にしたものは、その村の明白な衰弱ぶりだった。
壊れかけの小屋のような家、明らかに栄養が足りてない細い人たち、鼻を摘みたくなるほどの汚臭に私たちは目を見張った。
「……酷い」
「上の者は民のことを全く考えていない。そのせいで豊かだったこの村も数年でこの有様よ」
「他の地域もか?」
「まあね。ただ、特にここらあたりは酷いよ。統合前に一悶着あったからそれが理由だろう」
余計なことを言えない空気に私は黙って周囲に視線を漂わせた。
「──ただ、オレたちにも希望はある」
少し声を明るくしてそう言ったシガメさんは視線を遠くにやった。
「希望?」
「ああ、ある娘が上に抗おうとしているんだよ」
「娘、とは」
「その娘はここの村出身なんだが、ある時その実力を認められて部族長の養子になったんだ。……養子になると決めた時、アイツは言っていた。この村を絶対に救ってみせる、とな。オレたちはその希望を頼りに今を生きている」
火の部族長の娘?
──まさか。
「その人って、もしかしてローズマリーっていう名前ですか?」
シガメさんは私の発言に目を見開いた。
「なぜそれを、……勉強したのか?いや、しかしその事実は普通知られていないはずだが」
「私、ローズの友達なんです」
「友達……!?」
「ローズは今レストアに留学してきているんですが、そこで仲良くなったんです。それで、少し前にローズと喧嘩してしまいまして、謝罪がしたくてテスルミアに来ました」
「……そうか、そうだったのか」
額に手を当て何かを考えたシガメさんは、はあああと勢いよく息を吐いた。
「養子に行ってからのローズマリーの様子は殆ど分からなかったから留学していることも知らなかったよ。こうして友人と呼べる存在が出来ていたことがオレは何よりも嬉しい」
シガメさんは悲しそうな顔をして笑った。
それはどこかローズを彷彿とさせるような笑みで私は一瞬固まる。
「ローズマリーを希望だなんだと言ったが、オレはローズマリー自身が無茶していないか心配でな。友達ならどうかアイツとこれからも仲良くしてやってくれ」
「っ、勿論です!」
私が勢いよく返事したことでシガメさんは悲しそうな表情を取っ払うと、ローズマリーの友達に変なことをしなくて良かったわ、と悪戯気味に口角を上げた。
私はそこで漸く自分が危ない目に遭いそうになっていたことを理解したのであった。
「どうしてボクたちをここに連れてきたんだ?」
暫く黙っていたラディが訝しげにシガメさんに問う。
「んー、何となくお前たちなら何とかしてくれそうだなと思ってな。どちらも金持ちみたいだし?同情でもして金を落としてくれないかなーって」
「金を落としたところで上に持っていかれるなんて分かりきっていることだろう」
「……そうだな、その場を凌げてもたかが知れる。根本を改善しなきゃ意味ないもんな」
ラディはシガメさんの言葉に何か思い当たることがあったのか顔を顰める。
「まあなんにせよ、ローズマリーと知り合いだって分かったことは偶然じゃないだろう。何か意味があるはずだ。直感を信じるのも悪くはないとオレは思うね」
ラディがそれに対して何かを言おうとしたその時、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「あ、お父様だ」
「げっ、てことはトゥニーチェ本人?オレが誘拐したとか勘違いしてないよな」
引き攣るシガメさんの顔に私は思わず笑って否定した。
大丈夫なはずだ。多分。