二十話 待てと言うのならば ※ギルフォード視点
「ギル!伴侶の捜索を打ち切ったって本当か!?」
執務室に入ってきた兄上は少しの焦りを見せながら持っていた書類を俺の机に置いた。
「本当です」
「っ、……諦めたのか?」
悲痛に顔を歪めるその姿に兄上は本当に俺を心配してくれているのだと分かる。
書類を捲りながら俺はその質問に否と答え、昨日あったことを簡単に説明した。
「なるほどね、そういうことなら良かった」
安堵した様子の兄上は椅子に腰掛け悪戯な笑みを浮かべる。
「あのギルフォードをその一言で抑えてしまうとは、いやはや、末恐ろしいな」
アレの発言を何処まで信じて良いかも迷ったが、結局俺はその言葉に縋ることを選んだ。
「……」
拳を握り締め、ゆっくりと開く。
そこに渇望する存在はない。
けれど今ばかりは虚しい思いをするどころかあの時のことを思い出し、胸が、全身が、熱くなる。
聖杯最終日当日、試合場に入った時から見られていると感じていた。
それは刺客の類ではなく、ずっとずっと求めていた人によるものだと確信したのは花紋が熱を持ったその時で。
全身に緊張が走り、顔に出さないよう必死に視線を巡らせて伴侶を探した。
そして優勝者との試合を終わらせた瞬間、──見つけた。
一人で座って少し下を向いているその人を。
自分が作り出した幻覚なんかじゃない、本当に、唯一無二の俺の運命の伴侶がそこにいた。
俺はその時から既にそこから視線を外すことが出来なかった。
その時の俺は天に向かって叫びたくなるほどの歓喜に躍り狂いそうになっていて、同時にとてつもない不安に襲われていた。
表情を窺えないという不安。
伴侶がこちらを向いていないという不安。
無防備に一人で座っているという不安。
何故俺を視界に入れてくれないんだ。
何故俺はそばにいないんだ。
何故俺の腕の中にいないんだ。
何故、何故、何故。
無表情の仮面の下で沸き起こる感情に頭の中が支配されそうになったその時、伴侶がこちらを向いた。
一瞬頭が白くなりかけるも、煩いほどに脈打った心臓が早くアレを捕まえろと訴えかけてくる。
無意識に漏らした音なき声を皮切りに伴侶は俺に背を向けた。
襲ってきたのは明確な──恐怖。
いついかなる時も冷静であれと命じてきた身体はたった一人の前ではその命令を拒否する。
初めて知る感情に平静さを失った頭はなすべき役目を放棄し、追え、とその一言だけを発した。
そこからは文字通り無我夢中に探し回って、見つからない焦りの中で何かに惹かれるように入ったのはウルリヒが滞在していた部屋。
何故奴がここにいるのか問う余裕も無く、伴侶についての言葉を交わせば返ってきたのは衝撃的な言葉の数々。
飄々としたウルリヒに苛立つも表に出すわけにもいかず、最終的には託されたという伴侶の言葉に俺は沈黙を選ばざるを得なかった。
待っていて欲しいと言われたのだ。
言わばそれは伴侶による初めてのお願いで、素直に応じる以外の選択肢が俺にあるだろうか。
伴侶の方にどんな目的があるのか知る由もないが、伴侶の存在が確認できたこと、なにより間接的ではあるが初めてコンタクトを取れたことが俺の気持ちを落ち着かせてくれた。
会いに来てくれる意思があるのならば俺の気持ちも慰められるというものだ。
たとえ心の拠り所となっていた腕輪を取り返されてしまったとしても。
「腕輪も取り返されたのか?お前の伴侶相当のやり手だな。これだと魔導師って線も濃くなってきたな」
「この偽物はよく出来ている。……直ぐには気付かなかった」
腕輪がすり替えられているのに気付いた時には流石に自分の無能さに落ち込み、伴侶がそんなにも自分と縁を断ちたいのかと考えて絶望した。
それがどうだ。
あの一言だけで俺のそんな考えは一蹴され、希望の光さえ見た。
「まあギルが気にしてないならそれでいいよ。早く伴侶が会いに来てくれるといいな」
「……はい」
正直、追いたい気持ちは見つける前と比べてかなり強くなっているが。
しかし将来伴侶と過ごすための大事な時期なのだと思えば俺に課された難題に立ち向かおうと思える。
難題──魔獣を抑え、その原因である魔物を倒すこと。
魔獣は月毎に数を増し、残り半年もすれば街に溢れ出してしまうことが安易に予想出来る。
魔物自体の正体すら分からず発生を未然に防げない以上、発生した後被害を最小限に抑えるのが俺の役目だ。
そしてそのために今必要なのは魔物の大枠だけでも掴むことだった。
「そう言えば、お前に一任していたイナス村の件はどうなってたっけ?」
「報告書は既に提出してますが」
「あれ、そうだったかな」
頭を掻きながら机をあさる兄上に、溜息を溢しながら書類の山からそれを取り出して渡す。
「ふーん、魔物の呪い、ねえ」
兄上は書類に目を通しながら目を細めた。
「イナス村では予想通り特に手掛かりになるようなものはありませんでしたが、その隣にあるラズ村で聞き込みをした結果がその内容です」
元々呪い云々については下から一つの意見として俺に届いていた。
そして第一王立学園で性格が変わってしまった生徒たちが複数見られる、ということも。
その辺りに関しては最初はヘルヅェ家によるクスリの影響だと考えていた。
しかしヘルヅェの娘の話を聞く限り、クスリを渡していた対象に第一王立学園の生徒は殆ど含まれていなかったことが判明し考えを改める結果となった。
呪い自体俺は真実味があると考えているため、今ではその線で行動の指針を立てている。
魔物が第一王立学園含む周辺に出現するのは間違いなさそうで、俺は生徒たちを混乱させないために俺自身では無く、秘密裏に騎士たちを第一王立学園に派遣させている。
ラズ村で聞いた情報を照らし合わせると呪いの影響がもろに出始めている第一王立学園は危険度が高く、注意深く観察していなければならないからだ。
「兄上はレストアに連絡を取り、呪いの影響を受けていると思われる生徒をリストアップし、共通点を調べて下さい」
「えー、お前俺に仕事押し付け過ぎだよー」
「可及的速やかにお願いします」
「……はーい」
兄上の仕事が多いのは十分承知しているが、俺は俺の方で実地でやるべきことがある。
心配事が一つ減った今、暫くは聖騎士として魔物対策に集中することになるだろう。
「……天使」
「何か言ったか?」
「いえ」
もし、あのウルリヒに天使だと言わしめたその声で俺を応援してくれていれば、俺はもう思い残すことはないと満足して仕事に励んだろう。
──否、そんなわけがない。
ああ、早く、早く早く早く!
早くこの腕の中に閉じ込めて、誰にも見られないように、何にも傷つけられないように、俺だけを目に映してくれるように、愛でて過ごしたい……!
全てを終えた暁には覚悟していろ、我が伴侶──!