十九話 親心に敵うものなし
クローゼットの扉が閉まったと同時に部屋の扉が強くノックされた。
「はい」
「ウルリヒ・トゥニーチェ様、突然の来訪失礼いたします」
「おや、騎士の方々。こんなに大勢でどうされました?」
「私たちは今とある人物を捜索中なのですが、トゥニーチェ様は怪しい人物をお見かけしませんでしたでしょうか?」
「怪しい人物、は見覚えがありませんね」
「そうですか、それは大変失礼致しました」
騎士はお父様の言葉に何の疑いも持たなかったようで、直ぐに去って行ってしまった。
ホッとして息を吐くとそれを咎めるようにお父様がまだ出てきたらダメだと言う。
お父様の言葉通り、脅威はまだ過ぎ去っていなかった。
再び扉が強くノックされたかと思うと誰かが入ってくるのが分かった。
「これはこれはギルフォード殿下。如何なさいました?」
お父様の言葉に私の心臓が跳ね上がる。
ギルフォード様が、近くにいる。
「氏はローブを着た者を見ていないか」
「ローブを着た者、ですか。先程も騎士の方が来られましたが、その方と同一人物でしょうか」
「ああ」
「お知り合いで?」
お父様の質問にギルフォード様は少し沈黙して口重そうに言葉を吐いた。
「俺の伴侶だ。聖杯の観客席にいたが逃げられた」
「なんと、殿下の!それはおめでたいことですね」
「本当にそう思っているのか?」
「それはどういう意味でしょう」
「……いや、何でもない。今のは忘れてくれ」
緊迫した空気が私のところまで流れてきて私は息を止めそうになる。
ただでさえ狭い空間で息苦しいというのに、このままでは飛び出してしまいそうだ。
……というかお父様、気付いてる、よね。
私を隠した行為といい、今の殿下をいなすような発言といい、私はもう認めざるを得ないようだった。
私がギルフォード様の運命の伴侶だということをお父様が知っているという事実を。
「それで、伴侶の方に逃げられてしまったというわけですね」
「そうだ。この辺りに逃げ込んだのは分かっている。もしそのような人物を見かけたら教えてくれ」
「ローブを纏う人物ですか、まるでノアのようですね」
「ノアは白いローブだろう。アレは紺色だった」
扉一つ隔てた向こうで行われる言葉の応酬に私はただひたすら見つからないことを祈った。
現状今の私はお父様を信じるしか道がない。
「氏は我が伴侶が俺から逃げていることについてどう思う」
「たかが平民の意見など意味は無いと思いますが」
「なにより其方の意見を聞きたいのだ」
「……そうですね。伴侶の方は何か目的があると思います」
目的、と言う言葉に私は目を見開く。
そこまでバレていたというのか。
「目的?」
「流石にその内容自体は私も知り得ませんが、それを遂行するために貴方様に会えないのではないでしょうか。私としては伴侶の方が殿下を厭って逃げているとは考えにくい」
「その根拠は」
強張った殿下の声音に私の身体も強張る。
「一つは聖杯に来ていたという事実。そもそも会いたくない者がいるという場所へわざわざ赴く者はそういないでしょう」
「成程」
「もう一つは……」
「もう一つ、何だ」
何故か静かになってしまって、ソワソワと落ち着きが無くなっていく。
「ではここで先程の紺色のローブを着た者を見ていないか、という質問にお答えします」
いきなり話が飛んだことに驚いたのは殿下も同じだったのか困惑した声が漏れたのが耳に届いた。
「──私はその者を見ました」
「何!?」
!?
突然の告白に私は完全に固まり、殿下は何故それを早く言わないとお父様に詰め寄った。
「しかも走っていたその方は私に向かって話しかけてきましてね」
「なっ、何と言っていた!」
焦った様子の殿下の声に人間味を感じ物珍しく思うものの、私はお父様に売られてしまうのではと不安の方が強く、そちらからは直ぐに気が逸れた。
しかし私の不安を否定するようにお父様が口を開く。
「待っていて欲しいと彼に伝えてくれ、と。それだけ言って走って行ってしまったので他の事は私には分かりません」
「──」
絶句したような殿下の様子に私も開いた口が塞がらない。
お父様、私そんなこと一言も言ってないよね!?
でも待っていて欲しいと思っていたことは嘘じゃなくて、お父様の言葉はある意味確かに私の言葉を代弁していた。
「……あと一つだけ聞いていいか」
「はい」
「声はどんな感じだったのか教えてくれ」
「ふふ、可愛らしい声でしたよ」
まるで天使が歌っているようだった、と付け加えることを忘れなかったお父様に私は否定の声をあげたくなる。
お願いだから殿下の期待値を上げないで……ッ!
二人の間で話は決着がついたらしく、殿下が出て行こうとしていた。
どんな表情をしているのか気になったけれど、我慢してクローゼットの中から殿下を見送る。
それから安全を確認したお父様が扉を開けてくれたので私はゆっくりと床に足をつける。
聞きたいことがあり過ぎて口を開くことができない私に、お父様は眉尻を下げてふう、と息を吐いた。
「いやあ、流石に緊張したねえ。殿下の視線が鋭くて体が震えそうになったよ」
慄いた様子など欠片も無いのにそう言うものだから、流石の私もお父様が私が喋るよう促してくれているのが分かった。
「……いつから気付いてたの?」
「そうなのかなと思ったのはフーリンが留学したいと言った時からだけど、確信したのは腕輪の件の時だよ」
つまり最初からお父様には全てお見通しだったというわけだ。
「お父様は私がこうやって殿下から逃げ回っているの、ダメだと思う?」
「そうだねえ、殿下の心労やフーリンの捜索にかかっているコストを考えれば直ぐにでも会いに行くべきだろうね」
「……だよね」
「でもそれはあくまで一般的な意見であって私はそうは思わないよ」
「え?」
思わず顔を上げるとお父様は目尻を下げて私の頭を撫でた。
お父様は隠し事をしていた私に対して全くと言っていいほど怒った様子がなかった。
「貴女には決められた伴侶がいます、それでは今から世間の目に晒されてください、なんていきなり言われたようなものだしねえ。しかも相手はあのギルフォード殿下。隣に立つには勇気が必要以上にいる相手だ」
ブンブンと高速で首を縦に振る。
その通り過ぎて口を挟むところがない。
「相談してくれなかったのは少し寂しかったけれど、フーリンが自立して頑張ろうとしているのが可愛くて、何より嬉しかったから口出しはしなかったんだ」
「お父様……」
「これからも基本口は挟まないつもりだけれど。……いいかいフーリン、一度決めたことは最後まで責任を持ってやり遂げなさい」
真剣な顔になったお父様につられて背筋が伸びる。
今お父様はダイエットのことだけじゃなく、留学の全てについて言及しているのだ。
「人は何かを成し遂げる前と後じゃ別人だからね。フーリンの留学もきっと殿下に会うために必要な段階なんだろう。……それに経験は人生の糧だからこそ、こうした回り道も良いものだと私は思う」
自分の選択を肯定されて私はすっかり涙目だ。
「殿下の為にというのもいいけれど、まずは自分の為に頑張っておいで、フーリン」
お父様の言葉に鼓舞され、私は全身にやる気を漲らせた。
「ありがとうお父様。私、頑張るね!」
お父様という後ろ盾があるのとないのとじゃ全然違う。
頑張ろうと意気込んだ私を見て何かを思いついたのか、お父様は顎に手を当て小さく唸った。
「しかし待たせ過ぎても殿下が可哀想ではあるし……留学期間は年度終わりまでとしようか。キリも良いし」
「え!?」
年度終わりとなると卒業まで残り半年と少しということになる。
突如として設けられた期限に焦りがでる。
そんな短い期間で達成できるだろうか。
「フーリンならできるだろう?それに自分には素敵な友達がいるんだと、フーリンが教えてくれたじゃないか」
お父様の優しげな瞳に私は目を見開く。
脳裏にレストアでの数々の思い出が蘇り、段々と視界が滲んでいく。
辛いと思っていたこともあるけれど、私は本当に素敵な人たちと出会えていたんだ。
涙腺が決壊寸前のところに、お父様は容赦なく畳みかけてくる。
「そして私もいる。何度でも言おう、私はいつだってフーリンの味方だ。例え世界中を敵に回そうともね」
泣いた。
お父様の言葉にしばらく泣いて、ハンカチを差し出されたところで私はようやくあることを思い出した。
「いけない、お父様」
「うん?」
「ラディのことをすっかり忘れていたわ」
試合会場に置いてけぼりにしてしまったので私は確実にラディに怒られるだろう。
迎えに行かないといけないけれど今の私は外に出る勇気も余裕も無い。
「私が迎えに行ってこよう」
「いいの?」
「勿論。万が一のこともあるし鍵を掛けておくんだよ……と、その前にこれを返しておこうかな」
「!!」
ヒョイと私の手に乗せられたそれはもう戻ってこないと思っていた物で。
「どうしてお父様が腕輪を……!?」
「ふふ、どうしてだろうね。今度は無くさないようにするんだよ」
唖然とする私にそれ以上何も言うことはなくお父様は部屋から出て行ってしまった。
私は直ぐ様お父様の言う通りに鍵を掛け、ドアノブを握ったまま息を吐く。
……私のお父様が実は魔導師なんじゃないかという可能性が浮上してきたわ。
多分そうではないとは思うけど、この腕輪や、そもそも何故こんなにも都合よく今日ここにいたのかを説明できる術がない。
「ああ、もう。お父様のことを考えるのはやめやめ!」
お父様だけは裏切らないと分かっているからこそ今ここで考えたって仕方がない。
いつか気まぐれに話してくれることもあるだろうと、とりあえずローブを脱ぎ腕輪を嵌めるとソファに体を沈めた。
全身から抜けていく力に、私はようやく人心地ついたのだと実感した。
ギルフォード様主催の大会なのだから出会うのは必然だったにしてもやはり心臓に悪い。
見つかったあの時を思い返してみると、何とも恥ずかしくなって、顔が赤くなる。
ああ、ほんとに、ほんっとに。
「フードを被ってて良かったあ……っ」
殿下と目が合ったあの時、一瞬にして花紋より発せられた甘い痺れが全身を走った。
あのまま直接見つめあっていたら私は確実に自分から殿下に近付いていた。
それは間違いない。認める。
ファンになった者を舐めないで欲しい。
そしてお父様と殿下、二人の会話を聞いていて一つ分かったことがある。
ギルフォード様に私は嫌われてはいない、ということだ。……多分。
自分はバカだからまた勘違いしているのかもしれないけれど、あの美しい瞳に負の感情は宿っていなかった筈だ。
自信がなさ過ぎて断言できないのが私の悲しい性だけれど。
先程の一部始終を、特にギルフォード様の姿を思い出しては悶える私に咎める者などいるはずもなく、ノック音が聞こえるまで続いた。
帰ってきたお父様の横には憮然たる面持ちをしたラディがいて、私の顔が瞬時に引きつる。
「あ、あの、ラディ……ごめんなさい」
「ばかやろー!!」
「ひえっ」
唾が散ってきそうなほど声を上げたラディに反射的に体を竦める。
お父様は当然助けてくれる様子はなく、こちらを見て楽しそうに笑っているだけだ。
「聖様がいきなりいなくなって後ろを振り返ってみればお前もいなくなってるし!」
「本当にごめんなさい、その、お手洗いに行ってて……」
苦しい言い訳にお父様が吹き出しそうになっているのが視界の端に映る。
うう、ひと事だと思って。
「……心配したんだからな」
腕を組んでむっつりとしてしまったラディに焦った私は、また今度折り紙細工の大作を作ることを約束することでなんとか機嫌を直してもらうことに成功した。
会場からの帰り道、周囲を警戒しながら乗った馬車の中で様々な思いを巡らした私はある決意をした。
「お父様、お願いがあるの」
「なんだい?」
「──私、テスルミアに行きたい」
「それはどうして?」
ローズと喧嘩してしまったこと、そしてローズは母国であるテスルミアに帰ってしまっていることを話す。
休み明けまで待てない私は直接自分がローズの元に赴いて謝罪がしたかった。
しかしテスルミアは言わば秘境の地。
一般人の私が行っても入国すらできずに終わるだけだろう。
だからこそお父様の力を頼るしかないと考えたのだ。
「ふむ、テスルミアか。面白そうだし、私と一緒に行こうか」
「……いいの?」
「滅多にない娘の甘えに乗らない親はいないだろう?」
お茶目に切り返されてホッとした私は隣に座っているラディの反応に気付くのが一瞬遅れた。
「おいフーリン。ボクも連れて行け」
「え?えっと、ラディはレストアに帰らないと」
「行くったら行く!ボクを置いて行くなんて許さないぞ!」
「ええ……」
流石に王族であるラディをおいそれと他国に連れて行けるわけもなく。
困惑する私にお父様が助け舟を出した。
「では私がレストア王家に連絡致しますので承諾の返事が来た場合に限り殿下も共に行きましょう。それでよろしいですか?」
「分かった」
自信ありげに頷くものだから王家が承諾することをラディは分かっていたのだろう。
その翌日、レストアより速達で送られてきた手紙にはラドニークを任せるとの文言が綴られていた。
こうして私たちはテスルミアに行くことになったのだけれど。
「よし、それじゃあ二人とも勉強しようか」
「「え?」」
その国を知らずして入国するなど言語道断なお父様に勉強漬けにされるとは思ってもみなかった私たちは、それから一週間ほど苦しみの声を上げ続けたのであった。
敬称等一部修正。
次話、ギルフォード視点。