十八話 本能怖い
ポン、ポン、と空に煙玉が上がり、ワアアアアアと熱気のこもった歓声が会場を震わせる。
「すごい!すごいすごい!」
「凄く格好良かったな!」
今日は聖杯の最終日。
決勝戦がつい先程終わり、興奮が最高潮に達した私たちは手を取り合って騒いでいた。
ラディに連れられるようにして毎日足繁く通った聖杯で、私とラディはすっかり騎士の戦いぶりにハマっていた。
ギルフォード様が今日まで大会に姿を現さなかったことも大会を落ち着いて観覧できた理由の一つで、私はすっかり警戒心というものを忘れて楽しんだのである。
「優勝した男はレストアの出身なんだ!どうだフーリン、我が国は凄いだろう!」
私に負けず劣らず、というかそれ以上に高ぶりを見せているラディはローブを纏い大きなフードを被って可愛らしい童顔を隠していた。
「ラディ、もうすぐギルフォード殿下も出てこられるんですしあまり騒いでいたらフード被っている意味無くなっちゃいますよ」
「ふん、そんなことは分かっている。というか何故お前もフードを被っているんだ?ボクと同じように顔を隠す必要はないだろう」
「お揃いにしたいからって言ったじゃないですか」
私はラディの視線を避けるように一つ咳払いをしてからフードを深く被り直す。
私たちは二人揃って同じローブを着、フードを被って顔を隠していた。
側から見ると怪しさこの上ないが、周りの観客も祭りに参加でもしているかのように奇抜な格好を思い思いにしておりそこまで目立つこともない。
聖杯初日、「聖様を直視することができないから」などとよく分からない理由を宣ってローブを纏ったラディに、「自分が他国の王子だから隠すんじゃないんですね」と突っ込んだことは記憶に新しい。
「あの美貌に認知されたらボクは無となるんだ」とも言っていたがやはり私にはよく分からなかったのでそこはもうスルーしておいた。
まあなんにせよ、これ幸いと万が一の為に私もラディと同じようにローブを着て顔を隠しているのである。
これから一応初めてギルフォード様を見ると言うのに私は思った以上に気持ちが落ち着いていた。
ラディの熱の上げ様を隣でずっと見ていた手前、どこか他人事のように思えてきたからなのかもしれない。
「というかラディはつい最近ギルフォード殿下と直接会ってましたよね?」
「それとこれとは話が別だ。お前は聖様を直接見たことがないからそんなことが言えるんだ。直視したら目が潰れるぐらいの美しさなんだぞっ。あの時どれだけボクの顔を隠すものが欲しいと思ったか……!」
「そうなんですね」
「もっと興味を持て!」
ラディが聖様について熱弁するのは今に始まったことではないのでいつものように軽く受け流すも、今日ばかりはそれが気に入らなかったのかラディが頬を膨らませて語り始めた。
それに半ば無理やり頷かされながらフードから覗くラディの顔を見る。
心の底から楽しそうに語るラディの姿はどんな宝石よりも輝いていて、思わずつられて頰が緩んだ。
「?何を笑っている」
「何でもないですよ」
鼻を鳴らして再び口を回し始めたラディを見ていると、年相応の、というには幼い言動に私もすっかり慣れてしまったなあと実感する。
ラディは魔物の呪いにかかってこんな性格になってしまったわけだけれど、私としては実は自由奔放なラディを好ましいと思っていたりする。
優等生の王子様から学校の問題児に成り下がってしまった事実だけみれば普通は悲観するしかない。
けれどあらゆる縛りがなくなった王子がかつての時間を取り戻すかのように遊んでいる姿をそばで見ていると、私だけは決して今の彼を否定することができなかった。
もういっそのこと呪いがかかったままでも良いんじゃないか、なんて無責任なことは周囲の人間はもとより、ラディが苦しんでいる様子を見ていれば口が裂けても言えるはずがなかった。
私からラディに直接呪いについて言及したことはないけれど、魔物をギルフォード様が対処してくれるまではラディが心穏やかに過ごせるよう努めるのが私の役割だ。
と謎に意気込んだところで私は重大なことに気付いた。
呪い?優等生が問題児に?豹変?
待って、──ローズも呪いにかかってしまっていたんじゃ……!?
その事実に気づいた私は愕然として手を震わせた。
ローズが呪いにかかってしまったと考えればあの時のローズの変な様子に説明がつく。
呪いのせいで自分のコントロールが効かなくて苦しんでいたであろうローズに私は酷い言葉を吐いたのだ。
何故私はこんな重要なことに今までに思い至らなかったのだろう!
顔から血の気が引いたのが分かる。
饒舌に喋り倒すラディは私の様子に気付いておらず、それを良いことにぐるぐると目眩のするほど考えを巡らした。
そして結局行き着いたのは謝らないと、という焦りで。
私はもういてもたってもいられなくなって、ラディの方へ体を向ける。
「ら、ラディ、私、」
「おい、フーリン!くる!聖様がこられるぞっ!」
「……ですね」
「おい、なんでいきなりテンションが下がっているんだ。喜べ!お前が聖様にお目にかかる機会などそうそうないんだぞ」
タイミングを逃した私は大人しく口を閉じて前に向き直った。
今はラディと一緒にいるんだから、と気持ちを落ち着かせ息をゆっくりと吐いた。
すると突然、会場が一瞬にして静まり返った。
この会場に似つかわしくない静粛に困惑している私の頭を掴んだラディはそのままある方向へと向かせた。
そこには一つの出入り口から入場してきた一人の人物の姿があった。
艶めく黒髪が風に乗ってサラリと揺れる。
寸分の狂いもない整った顔はどこか物憂げだ。
帯剣していた聖剣を鞘から取り出している一連の動作を見ていると無意識に口が開いていた。
「きれ、い」
本人を初めて生で見て、出た感想がこの一言だけ。
綺麗としか形容できない現実が目の前に確かに存在していた。
彼こそがイルジュアの皇子にして聖騎士であるギルフォード様その人で。
新聞に載っていた絵姿なんて当てにならない。
実物のギルフォード殿下はまさに女神の如く。
凍り付いたかのようにピクリとも動かない美貌に誰しもが息を呑んだ。
静粛に包まれた観客はギルフォード様が聖剣を天にかざし、空間を切り裂いた瞬間視界が一気にクリアになり、同時に割れんばかりの歓声と雄叫びが上がった。
その熱気は私の全身を一瞬にして粟立たせ、私に視線の先にいるただ一人の男がここにいるすべての人を魅了しているのだということを知らしめた。
──世界が違う。
この方が私の運命の伴侶?
違う。絶対に何かの間違いだ。
もしかしたら全て私の妄想だったのかもしれない。
引きこもり期間が長すぎて勘違いしてしまったのかもしれない。
そう頭の中で殿下との関係を否定した瞬間、お腹が急に熱くなった。
慌ててお腹をおさえると、何故かギルフォード様も同じように首の辺りに触れた。
熱を持ち始めたそこは花の紋様がある場所に違いなくて。
伴侶であるという事実を否定するな、と言わんばかりの熱さに私は顔を顰めた。
……確かに否定できない。
ドキドキと高鳴る心臓、赤く染まった頬、涙が零れ落ちそうなほどに潤んだ瞳。
こんなにも私の全身はギルフォード様に会えたことを喜んでいるのだから。
「おい、フーリン?」
「ハッ、ええと、何でしょう」
「何でしょうってこっちのセリフだよ。お前ずーっとボーっとしてるから」
「す、すみません」
いつの間にか意識が飛んでしまっていたらしい。
気恥ずかしさのようなものを覚え頰をかくと、ラディは訝しげに眉を寄せた。
「……何かあったのか?」
「え、な、何もないですよ!」
「正直に言え」
「だから何も……」
否定する姿が怪しさを醸し出してしまったのかラディはジトリと私を睨む。
その視線に早々に観念した私は半ばやけっぱちに口を開いた。
「ギルフォード殿下がカッコいいなって見惚れちゃっただけです!」
私の言葉に目を丸くしたラディは次の瞬間にはそれはそれはいい笑顔を浮かべていて、私の肩をバシバシと叩いた。痛い。
「やあっとお前も分かったか。布教した甲斐があったというものだ。お前もとうとう聖様のファンになったというわけだな!」
ふぁん。
ファン。
「私が、ギルフォード殿下のファン?」
「うむ!」
「殿下を見てドキドキするのも?」
「ファンだからだ」
「殿下がキラキラ輝いて見えるのも?」
「ファンだからだ」
「……彼の隣に立ちたいと思うのも?」
「全てお前が聖様のファンになったからだ!」
なるほど。
なるほど……!
つまりこれはファンだからこそ起こる症状というわけね……!!
ラディの言葉に誘導されて感動していると、優勝者と聖騎士ギルフォード様の試合が始まった。
試合は聖杯一の盛り上がりを見せ、ラディなんて発狂するかように叫んでいたかと思えばフードの下で泣き始めた。
流石はギルフォード様の熱狂的ファンだとある意味で尊敬していると、試合は早々に決着がついたようだった。
結果は無論ギルフォード様の勝利で、観客はもう我を忘れたように試合場の柵ギリギリまで詰め寄って彼を称え始める。
ラディもついに我慢できなくなったようで同じように前の方へ行ってしまい私は一人取り残される。
もう、と呆れ気味に溜息をついて椅子に座り直し、はしゃいでいるラディの背を微笑ましげに眺めた。
その時ふと何の前触れもなくギルフォード様がこちらに顔を向けた。
あまりに自然な動きで私は直ぐに彼の顔がこちらに向いているという状況に気付くことができなかった。
フードを被っているから直接ではないけれど、──今私は確実にギルフォード様と目が合っている。
「っぇ、な、ぅそ」
思い切り動揺して肩を揺らした私から決して視線を外さない殿下は目を細めてクッと口の端を上げた。
ギルフォード様が不意に笑ったことで観客の間にどよめきが起こり、あの氷の皇子が!決して笑うことのないあの方が笑ったぞ!と人々は騒ぎ立てる。
ギルフォード様はそんな観客の様子など気にした様子もなく、続いて数度口の開閉を繰り返し、私に向けて音が伴わない言葉を発した。
み つ け た。
殿下が何を言ったのか理解した瞬間私は飛び上がるように立ち上がり、その場から走り出した。
そしてまるで私の行動を非難するかのように背後で騒めきが大きくなったかと思えば、ギルフォード様が何かを叫んだ声が聞こえた。
ヤバい。ヤバいヤバいヤバい。
見つかってしまった。見つかってしまった!
殿下は確実に私を見てああ言った。
いつからバレていた?
何故殿下は気付いた?
ドクドクと血が勢いよく体内を流れ、捕まってしまうんじゃないかという恐怖が私を襲う。
必死に建物内を走りながらどこか隠れるところはないかと忙しなく目を巡らすも、整然とした廊下に隠れられそうな場所は見つからない。
今回ばかりはレオという奇跡も起こらないことは分かりきっていたからこそ私は自分の窮地を悟るしかなかった。
ならばと手当たり次第に廊下に並ぶ各部屋を開けるも、開く扉は無い。
流石にここで自分の鍵破りの腕を発揮できるわけもなく、息を切らしながら私は次の希望へ向かって走った。
ダイエットを始めてから体力がついて来たのは身に染みて感じたものの、何もこんな時に実感しなくても!ともう一人自分が憤った。
そうこうしているうちにドタドタと大勢の人がこちらに走ってくる足音と共に、どこだ!絶対に逃すな!という声が聞こえ私の心臓は縮み上がった。
「……ッ」
目的だってまだ果たせてないのに……!
こんな何もかも中途半端な状態で会うのが一番嫌!
ほとんどやけくそになって近くにあった部屋のドアノブに手をかけると──開いた。
しかし中には誰か人がいて、頭がパニックになった私は誰かも確認する余裕もなく、謝罪を口にして扉を閉めようとした。
「おいで、フーリン」
「えっ!?おっあ、ひえっ」
しかし優しい声音とは裏腹に力強い手に腕を引かれ、私は何故かその部屋に引き込まれる。
状況を把握する間も無くその人は私をクローゼットの中に押し込んだ。
「少し大人しくしているんだよ」
扉が閉じられる前に見えたのは、人差し指を自分の唇に当てて微笑むお父様の姿だった。