十七話 苛立ちは此処に ※ギルフォード視点
面倒だと思っていた留学生交流会で女神は思わぬ奇跡を見せてくれた。
伴侶の持ち物であろう腕輪が第二王立学園に落ちていたのだ。
腕輪を拾ったあの時は、手がかり一つも無かった伴侶の捜索に確かな希望の光が射した瞬間だった。
失くさないようにと自分の腕に付けてある腕輪を空を背景に眺めると、光が反射して無意識に口の端が上がる。
拾った時はこの腕輪の持ち主を探してもらうという考えがすっかり抜け落ちてしまっていたが、帰国して魔導師に依頼するとこれは無理だと匙を投げられた。
どうやらこの腕輪自体に複雑で高度な魔法がかけられているらしい。
たとえ腕輪が本人のものでなくとも伴侶は確実に近くにいることだけは俺の本能が告げている。
この腕輪の持ち主が見つかれば、伴侶に会えるかもしれないという期待が第二王立学園での捜索を大いに張り切らせた。
定期的に魔獣を討伐するついでに第二に赴き、身分の高い者から順に顔を合わせていく。
なかなか見つかる様子がなかったが、それでも拾った希望を捨てられなかった俺は諦める気など毛頭もなく、執念深く探し続けている。
「……十ヶ月、か」
花紋が現れてから随分と時が経ったと思う一方で、全く時間が進んでいない気もした。
自身の運命の伴侶の存在が確認できて喜んだのも束の間、運命の伴侶が意思を持って俺の前に現れる気がないという事実を俺はとうとう認めざるを得なかった。
伴侶が俺に会うことを拒んでいても仕方ない──とは全くもって思わない──が、それでも俺は自分の伴侶に会いたかった。
ただ、会いたいだけだった。
*
「殿下、そろそろ」
「分かった」
部下の言葉に一気に気分が重くなり、これからしなければならないことを考えると軽く頭痛がする。
城を出て馬に乗り、少し離れたところにある塔へ入る。そして一人の部下を携えただけでそのままその地下へと降りて行く。
奥まった場所にあるその部屋は湿気が多いせいか嫌にカビ臭く、自然と眉間に皺ができた。
薄暗く何があるかも分からないような場所だが部下が照らした灯のお陰で鎖に繋がれた女が力なく俯いているのが分かった。
「起きろ」
「な、に」
現状を把握しきれていないのか、目を覚ましたピンクブロンドの髪色をした女は繋がれた鎖に気づくこともなく視線を彷徨わせる。
「ここは大罪を犯した者が入る独房だ、今から俺の質問に答えろ」
「なっ、なに、なんなのっ。早くこの鎖を外しなさいよ!あたくしを誰だと思っているの!?」
「黙れ、貴様はただ殿下の質問に答えればいい」
「殿下?殿下って……、えっ、イル、ジュアのギルフォード様……!?」
灯が俺の顔を照らし、それと共に女の顔が高揚していくのが分かった。
何度も見てきたその表情に自身の顔が凍りつくのが分かる。
「その醜い顔を上げるな。反吐が出る」
「なっ」
女と視線が交わった瞬間、花紋に痺れが走った。
それは決して甘く無い、数週間前に感じた痛みと同じものだった。
自らの首に一瞬だけ触れ、気持ちを落ち着かせようとするもどうも上手くいかない。
いつもならこれだけである程度は自分をコントロールできるというのに、何故か今回ばかりは湧き上がる嫌悪を抑えれそうになかった。
「こんなことして許されると思ってるの!?いくら貴方が皇子であろうとヘルヅェ家に楯突こうものならレストアが黙っていないわ!!早くこれを外しなさい!」
見当違いもいいところだと思わず鼻で笑ってしまう。
「分からないのか?」
「何がよ!」
目を釣り上げて喚く姿がどんなに滑稽か、女の普段の姿を知っている者なら驚くに違いなかった。
「麻薬密輸罪。それが貴様の罪状だ」
「っ、し、らない!あたくしは知らないわ!」
「現行犯逮捕されているというのに強情な」
「勘違いよッ」
ヘルヅェ家は領地で薬草の栽培を主としており、それは医療の現場で特に重宝されていた。
それを主力に他国とも貿易をしていたヘルヅェ家は貴族の中で次第に力を持ち始め、とうとう目出度くも王族と婚姻を結ぶに至る、はずだった。
上手く隠していたのか最近までレストアの王家はヘルヅェ家の裏の顔に気付くことがなかった。
しかしこの女の婚約者であったレストアの第四王子が婚約破棄を申し出た後、とある情報源よりヘルヅェ家の裏の顔が王家に知られることとなった。
「レストアの裏街で暗躍していた闇の仲買人、それが──ティーリヤ・ヘルヅェ、貴様だ」
女自らが動くことで裏社会で売り上げを伸ばし、麻薬を蔓延させる事態となった。
レストアで犯された犯罪ならばレストアの法で裁かれればいい話であり、態々この俺がここに来る意味もなかった。
しかしながらこの女はとうとうイルジュアにまで行動範囲を広げ、本格的な密売を始めようとしたところで今回の逮捕に繋がった。
国内で犯された犯罪に対しては行為者の国籍を問わず自国の法を適用する。
つまりこの女がレストアの貴族であろうがなんだろうがは関係なく、イルジュアで女が犯した犯罪はイルジュアの法によって裁かれることとなった。
女が犯した麻薬の密輸という行為は何千、何万人ものイルジュアの民を危険に晒す重大な犯罪だ。
イルジュアの法に拠れば麻薬の密輸は当事者は同情の余地なく──死刑。
「貴様の処遇は既に決まっている。後は貴様が隠しているクスリの流通先を吐いてもらう」
「……ぃやだ、やだやだやだ、やだあああ!!助けてお父様っ!お母様あっ!」
突如暴れ出した女に自然と目が細まっていく。
「レストア王家は貴様らヘルヅェ家を完全に見放した。助けを求めても無意味だ」
女の顔から一気に色が抜け、絶望の表情を浮かべた。
思考を一旦放棄したようで急に静かになる。
溜息を吐きそうになるのを抑え、取り調べのため剣を取り出そうとした時だった。
不意にコツリ、コツリと階段を下りる音が耳に届いた。
カツン、と音がして闇が落ちるこの空間に似合いの沈黙が落ちる。
「……あまりこのような場に其方のような人物が来るのは好ましくないのだがな」
聞こえているくせにその男は俺の前を素通りし、女の前へと歩みを進める。
すれ違う時に伺えたその表情はいつもと変わらない柔らかい笑みが浮かんでいた。
放心状態の女は誰が来たのか理解できていないようで、男を目に留めることなくいつのまにか漏らしていた喘ぎ声を漏らし続ける。
「少々、腹に据えかねることがありましてね」
そう男が声を発した瞬間、ピタリと女の声が止んだ。
一声で誰だか分かったということは女はこの男と面識があるということだったからに他ならなかった。
「どうも、お久しぶりですね」
己の顧客に対するような表情で女に語りかけた男の名前はウルリヒ・トゥニーチェ。
この男が経営するウインドベル商会は我が国を本拠地とした様々な国と交易を行う大会社であり、この国の経済の中心を担う存在であった。
会社設立当初は香辛料を主要とした商品取引を行っていたが、今では銀の先買権を手に入れ莫大な利益を獲得している。また、最近では金山と銅山を入手し、鉱山専門の貿易会社を設立する見込みだという。
その他にも様々な事業に手を出し、商会は目を見張るほどのスピードで成長している。
「領域を侵されたからか」
トゥニーチェ家の動きは我が国の損益にダイレクトに影響を与える。
言い換えればこの国の経済はウインドベル商会の手の中にあると言っても過言ではなく、この国の経済における規律を乱すものはいつのまにか消え去っていくことは周知の事実だった。
普通この塔自体地位ある者以外に入ることができないにもかかわらず、平然と入ってきた平民であるウルリヒ。
しかし大陸一の大富豪でもある男を制する強い発言は俺にしても難しい現実があった。
「勿論それもありますが、もっと別のことですよ。……ねえ、ティーリヤ・ヘルヅェ嬢?」
ビクッと女の肩が大袈裟に跳ねる。
ウルリヒは一見すると毒にも薬にもならない、年相応の容貌を持つ、普通の男であった。
しかしそんな見た目とは裏腹に、ウルリヒは何を考えているのか分からない食えない男として界隈では有名で、富のスペシャリストと呼ばれるほどの優れた経営手腕を持っている。
ただの成金の平民だと見下していたら痛い目を見ることは、実際にこの男にしてやられた貴族たちをはじめとした者たちの数々の事例を見れば明らかであった。
この女もまた、ウルリヒか、またはトゥニーチェそのものを軽んじた者の一人なのであろう。
「ごめんなさいっ、ごめんなさい……!わざとじゃないのっ、ねえ!たすけて!たすけてよ!!お金ならいくらでも払うから!ギルフォード様は勘違いしてるだけなのっ!」
ガチャガチャと鎖が揺れる耳障りな音が部屋に響く。
「一度助けて貰ったからと言って、私に助けを求めるとは、なんとも可愛らしくて、──なんとも愚かな娘だ。そう思いませんか、殿下?」
俺に問いかけているにもかかわらずウルリヒの視線は女に固定されたままだ。
にっこりと、形容しがたい笑みを浮かべたウルリヒは女の前にしゃがみ込むと頰に触れるか触れないかのところで手を止めた。
「アレは私の大切な、大切なものなんですよ。目に入れても痛くない、かけがえのない宝だ。しかし貴女はあろうことかソレを故意に、躊躇なく傷つけてしまった」
女の顔が一気に真っ白になった。
自分のしたことの重大さに今更ながら思い至ったのだろう。
「だってアレが!あの娘が!あたくしの物を盗るから……!」
ウルリヒの言う宝物が人間、それも奴の娘のことなのだと分かる。
そう言えば、と何故今まで忘れていたのか不思議なくらいにウルリヒの娘という、イルジュアにとっても重要なその存在を思い出すことがなかった。
「そもそもソレは貴女の物だったのですか?」
容赦の無い言葉が女の顔を醜く歪ませた。
「なによ、何よ何よっ!!この愚民がっ、調子に乗らないで!!」
「ええ、平民は平民らしく貴女が法に裁かれるのを指を咥えて待ちましょう。貴女の処刑の報せを聞いた後に飲むワインの味はまた一段と格別でしょうな」
「っっうそ、あたくしがしぬなんてぜんぶうそっ!!うそよおおおおおお!!!!」
自分が死ぬという現実を突きつけられた女は限界が来たのか発狂して意識を失ってしまった。
それを見届けたウルリヒはそこで漸く俺の方に顔を向ける。
「殿下、後はよろしくお頼み申し上げます」
「……もういいのか」
「私情をこれ以上挟むわけにもいきませんから。ということで私はこれにて」
「待て」
言いたいことだけを言って帰ろうとするウルリヒの神経を理解できない。理解したいとも思わないが今ばかりは気になることが幾つかあった。
「何をする気だ」
「なに、お隣の国を少しばかりお掃除してくるだけですよ」
あっけらかんと言い放たれて俺は苦虫を噛み潰したような顔になる。
ウルリヒは女によって自分の娘が何らかの不利益を被ったという理由だけで一つの国に手を出そうとしている。
「あまり搔き乱すなよ」
「善処しましょう」
涼しい顔をするこの男がどう動くのかある程度想像できる以上、俺から言えることはこれぐらいだった。
「そういえば氏よ、其方娘がいたのであったな」
「それが何か。伴侶がいるという身で別の女性に興味でも?」
「先程の会話を聞いていれば誰だって気になりはするだろう。邪推するな」
意地の悪さをわざと透かしてみせているウルリヒという男は本当にタチが悪い。
その分この男が溺愛しているという娘が気になり始めるきっかけともなったが。
父に似て策士なのか、はたまた──。
「娘は今留学しておりまして、イルジュアにはおりません」
「では何処に?」
「レストアですよ」
「レストア」
第二王立学園で伴侶を探しているためかレストアの話となるとつい敏感に反応してしまう。
会ってみたいという気持ちを鋭くも察したウルリヒは微笑んで強く釘を刺してきた。
「娘は今留学先で励んでおります。私の娘に会ってみたいという気持ちは理解できますが、今はそっとしておいてやってくださいませんか。帰国すれば否が応でも社会に振り回されてしまうのですから、今は自分のことだけに専念させてやりたいのです」
「……一理ある」
第二皇子という立場の俺が個人に会いに行くとなれば娘の周囲を騒がせてしまうことは必至。
勉学に励むために留学している以上、それこそ俺が掻き乱してはいけないだろう。
ウルリヒの娘である以上大人になれば会う機会もあるだろうと、留学中の娘とは関わらないというウルリヒの言葉に一旦了承した。
奴の娘という条件を置いておいても、なぜその娘に興味が湧いたのかという考えに至るよりも早くウルリヒが一礼をした。
「さて、返してもらうべきものも返してもらったことですし、私は今から隣国を観光して参りますね」
意図が分からない言葉を置いてウルリヒは風のようにその場を去ってしまった。
スッキリしない状況に暫く黙り込んでいれば、ずっと黙っていた部下が申し訳なさそうに動く。
「殿下、この後は聖杯もあることですし、」
「分かっている。……ティーリヤ・ヘルヅェ、起きろ。話はまだ終わっていない」
切っ先を喉元に当てる。
剣を持つ腕が少しだけ重く感じた。