十六話 帰ってきました
長期休みに伴って私は実家に帰ってきていた。
気分が重いまま帰るなり自室に引きこもった私に、心配した使用人がお菓子を持って部屋にきたけれど、鋼の精神で私はそれを断った。
そんな私に代わる代わる訪れる使用人はとても驚いて、少しだけ嬉しそうな顔をしていた。
久しぶりの実家に帰って来れて私も嬉しい反面、やはり気がかりなことがあり過ぎて不安が拭いきれない。
「……はあ」
重い溜息が無意識のうちに漏れる。
「このままキノコでも生えちゃいそう」
「全くだ。不味いに違いない」
「ですよね……って、へ」
一人しかいない筈の部屋なのに、隣から声がする。
恐る恐る横を伺えば憮然とした表情のラディが至近距離にしゃがんでいた。
「ええ、と……ラディ、ここイルジュアですよ」
「そんなことは分かっている」
「では何故ここに」
「いたら悪いか」
「そう言うことではなく」
ラディはおもむろに立ち上がって腰に手を当て高らかにこう言い放った。
「暇だから来た」
ガクリとしてしまった私は悪くない。
呪いのせいで王族としての仕事を放棄しているとは言え少し自由過ぎやしないだろうか。
きっと近くにいるであろう護衛たちの苦労が想像できて涙が出そうだ。
「せっかくの長期休みだと言うのにフーリンがいなければ面白くないではないか」
「私がいなくて寂しかったんですか?」
「そんなことは言ってない!弄りがいのあるやつなんてお前ぐらいしかいないだろう」
最近は大人しかったから油断していたけれど、ラディはこういう人でした。ええ、そうでした。
妙に納得していると、ラディは部屋に置いてある椅子に腰掛け足を組んだ。
「フーリン、ボクはこの数週間で思ったんだ」
「何でしょう」
「うじうじ悩むより遊ぶことが何より大事だと思わないか?」
「……」
「む、何だその目は」
「何故いきなりそんな考えに至ったんですか」
呆れ半分、羨ましさ半分、ラディに問えばそれはそれは素敵な笑顔を浮かべられた。
「聞いて驚くな!なんとあの!聖様が!ボクとお話ししてくださったのだぞ!!」
聖様って誰だっけ、と一瞬現実逃避のように目線を遠くにやるも、目の前のキラキラによって現実に引き戻される。
早く聞けと言わんばかりの顔をするので私は諦めて溜息をついた。
「どうしてギルフォード殿下とお話しする機会があったんですか?」
「ふっ、それは知らん!」
もうこの王子、追い出してもいいだろうか。
「おい、もっと興味を持て。あの聖様とお話ししたのだぞ!すなわちお前は今聖様と会話しているも同じこと!感謝するがいい!」
「素敵な理論ですね」
「そうだろうそうだろう」
嫌味を込めて言ってみたが、当然聖様モードに入っているラディに効くわけがない。
私も私でラディの扱いが随分と雑になっていることを否めなかった。
「それで、どんな話をしたんですか?」
「他でもないティーリヤの話だった」
「ティーリヤ様……?」
一国の皇子と他国の貴族の姫との間に接点があるのだろうか。
読めない話にようやく興味が湧いてくる。
「何でも、もう二度とボクとティーリヤは会うことがないらしい」
「会うことが、ない?」
「うむ、どうやらヘルヅェ家は昔からきな臭い家ではあったんだが、とうとうやらかしたらしくてな」
「何をですか?」
「知らん」
「……」
オーケー、落ち着こう。
「えっと、ヘルヅェ家が何かをやらかしてしまったとして、どうしてそれがギルフォード殿下と関係があるんでしょう」
「そんなの、奴らがこのイルジュアで罪を犯したからに決まっているだろう」
決まっていると言われても、私はレストアどころかイルジュアの法律にも明るくないので、ラディの言わんとすることを察することができない。
ラディは普段はいい加減な王子だが、元々は優秀な人だっただけあって稀にその優秀さを垣間見せることがある。
決してそれを意図的に表に出そうとはしないのでつい忘れがちではあるけれど、本当は私ごときが会話できるかも分からない凄い人なのだ。
「突然ボクの部屋にやって来られた聖様曰く、『後のことは任せて学園生活を楽しんでくれ』と。……くっ、何度思い出しても格好良い。本人を目の前にして危うく鼻血が出るところだった」
つまりはその言葉を受けてラディは遊ぶのが大事だと思い至ったのだろう。
そこで勉強より、遊びを優先するのはラディらしいというか何というか。
「出なくて良かったですね」
「全くだ。鼻血男として認識されるなど以ての外だからな」
結局ギルフォード様が何かして?するから?ティーリヤ様と二度と会うことがない、ってことしか分からなかった。
「まあなんにせよ、フーリン、聖様の言葉を信用しろ。ボクもフーリンももう二度とティーリヤに会うことはない」
少し、スッキリしなかった。
本人の謝罪が欲しかったわけではない。
ただ自分の与り知らぬところで事件が収束してしまったのが納得できないだけだった。
何か言いたげな私の表情に気付いたラディは、立ち上がってこちらに近づいて来たかと思うと、私のそばに片膝をついた。
「フーリン」
「どうしました?」
お茶でも出すべきだったかと今になって気付くも、ラディの真剣な表情からしてそれは違うのだと悟る。
「──ごめん。ボクのせいで、フーリンに迷惑をかけた」
ラディが、あのラドニーク様が、謝った……!!
「あの時は取り乱してちゃんと言えなかったから……、ティーリヤの件は完全にボクの落度だ。本当にごめん」
出会った当初は人を省みない、己の感情にのみ従う幼子のような彼だったけれど、今目の前にいるラディはその時とは僅かながらも顔つきが違う。
「ちゃんと謝ってくださってありがとうございます。ラディ、出会った頃に比べて変わりましたね」
「……お前の努力する姿に感化されたのかもな」
驚きに声を出せないでいるとラディは少し困ったように笑った。
「これからもボクと友達でいてくれるか?」
「──もちろんです!」
張り切って答えれば、ラディはこの上なく嬉しそうに笑った。
また少しだけ、昔のラディの面影が見えた気がした。
「よし、そうとなれば。フーリン!遊びに行くぞ!!」
パッといつもの顔に戻ったラディは興奮したように私を立たせる。
相変わらずの切り替えの早さは未だに慣れることがない。
「えっ、今からですか!?」
「当然だ、午後から皇都では聖杯が始まるのだぞ!」
「ひじりはい?」
「お前、まさか知らないのか?」
信じられないと言うように目を丸くされて、思わず体が縮こまる。
いかんせん引きこもりの時期が長かったせいで私は外の常識に疎いところがあるのだ。
仕方ないな、とラディが口を開こうとするより前に部屋の扉がノックされ、ラディの口がピタリと止まる。
「はーい?」
「やあ、フーリン。お帰り」
「お父様!?お父様も帰って来ていたのね!」
「ああ、愛娘が実家に帰って来ているというのに一人にするわけにもいかないからね、……と考えていたんだけど……」
スッとお父様の視線が私の横、つまりラディに移る。
「貴方様は、レストアの第四王子殿下でお間違いありませんか?」
「いかにも。邪魔しているぞ」
ラディの尊大な口ぶりを気にした様子もなくお父様は微笑んだ。
「これはこれは何のお構いもなく申し訳ございません。良ければ今からでもお茶を用意させていただきたいのですが」
「よい、今からフーリンと出かけるところだったのだ」
「そうだったのですね。差し支えなければどこへ行くのか教えていただけますか?」
「聖杯だ」
「なるほど、聖杯ですか。それは良いですね」
当然のようにお父様も『ひじりはい』とやらを知っているようだ。
私の何とも言えない表情を見逃さなかったお父様は、娘のことがよく分かっているだけにそれを優しく説明してくれた。
曰くは聖杯と言うのは騎士による騎士のための大会で、聖騎士の住む地で定期的に開催され、お祭りのように大いに盛り上がるイベントらしい。
大会の優勝者は主催者となる聖騎士より聖杯が下賜され、特別に聖騎士と試合ができる。
聖騎士と剣を合わせることは騎士にとってこれ以上ない誉として、そのために国内外問わず多くの手練れの騎士たちが聖杯に参加する。
「と言うわけで今日から一週間かけて皇都にある会場で聖杯が行われるんだよ」
聖杯がどいうものかは大体理解した。
「つまり、ラディはこの聖杯のためにここに来たというわけですね……?」
聖騎士主催の、しかもギルフォード様主催の大会があると知っていて聖様命のラディが来ないわけがなかった。
「べっ別にそれだけのために来たわけではないぞ!」
あ、目を逸らしたな。
「まあまあ、なら早く会場へ行かないといけないね。フーリンはチケットはあるのかい?無かったら急いで用意させるよ」
「心配しなくともボクが持っている」
「それは無用な心配を致しました。それじゃあフーリン、殿下と一緒に楽しんでおいで」
快く送り出そうとしてくれたお父様の前から何故かラディが動かない。
「フーリンの父上に一言言いたいことがある」
「何でございましょう」
「──ボクは其方の娘を、フーリンを怪我させてしまった。それを謝りたい」
「ラディ!?」
「──怪我、ですか」
目を細めたお父様は笑みを崩すことはしなかったが、確実に声が低くなった。
「理由をお伺いしても?」
お父様の纏う空気に気圧されながらも、ラディは彼が知り有る限りの話をした。
階段から突き落とされた話をしている間、お父様の表情は一切変わらなかった。
「話は分かりました。殿下、私は父として貴方様の謝罪を受け入れましょう」
「……いいのか、それで」
「詳細は問いませんが、状況的には仕方なかったのでしょう。怪我もレオ君のお陰で治っていると言うし、フーリン本人が気にしない限り私は殿下に対しては何も言うことはありません」
私大好きのお父様にはいじめにあっていたことをとうとう言わなかった。
あの時、何かあったら言いなさいと言われていたにもかかわらず。
私が顔をうつむかせていると、ところで、とお父様が私の方へ声をかけた。
「腕輪はどうしたんだい」
「腕輪?」
すっかり叱られると思って目を瞑っていたのに、かけられた声は全く予想していないものだった。
「腕輪、は、実は無くしちゃって……ごめんなさい」
「そうか、だからか」
一人で納得するお父様に私はついラディと目を合わせてしまう。
「あの腕輪には防御魔法や治癒魔法やらをかけておいたからね、それを付けていればそもそもフーリンが怪我をすることは無かったんだよ」
「……知らなかった」
「言ってなかったからね。無くしたのなら仕方ないよ、レオ君に感謝だ」
頭を撫でられて泣きそうになった私はもう一度だけごめんなさいと口にした。
「──ん、腕輪?いや、まさか」
突然険しい顔をしだしたお父様に、私は困惑する。
「……フーリン、まさかとは思うが、腕輪を落としたのはレストアの第二王立学園、かい?」
「どうして分かったの!?」
瞠目する私を見てお父様はあちゃあという顔をして、困ったように息を吐いた。
「よし、分かった。後のことは任せて、もう行きなさい。殿下をこれ以上お待たせしてしまってはいけないからね」
「う、うん」
荷物を持たされ、強引に背を押された私とラディは頭に疑問符を浮かべながら結局家を出ることになった。
……何だったんだろう。
お父様、少し悪い顔してたけど。
「何て言うか、お前の父上は流石だな」
「流石、ですか」
「ああ、流石はウルリヒ・トゥニーチェだ」
ラディの言う意味がやっぱり分からなくて、私は首を傾げて疑問符を増やすばかりだった。
次話、ギルフォード視点。




