十四話 やられたらやり返す
「はは……、これはまた」
乾いた笑いが虚しく風に掻き消えていく。
切り刻まれた教科書、机の上には隙間がないほど置かれたゴミと共に花の入った花瓶が置かれ、自分のロッカーには虫や小動物の死骸が入っている。
目の前に広がる悲惨な状況に浮かんでくるのは──呆れ。
「もう、また片付けが大変じゃない」
ローズたちが、否、クラスメイトたちが来る前に片付けてしまわねばならない。目の前の惨状にどうしようかなと私は急いで頭を巡らせた。
最近の私はローズから貰った運動のメニューをこなすために学校に早く登校して、人目につかない裏庭で体を動かしていた。
そのおかげで早寝早起きの習慣もついてきて嬉しい誤算だ。
その嬉しい誤算だけで済めば良かったのに人生はそう都合良くは出来ていない。
メロディア様との茶会の次の日も、いつもと同じように運動する前に教室に荷物を置きに行った。その時に異変に気付いたのが始まりだった。
最初に自分が嫌がらせを受けていると分かった時は怖くて不安で仕方なかった。
なぜ、どうして、と自分がクラスメイトから嫌悪されている存在であったことは理解していたのに、こうして悪意の有様を見せ付けられたのは思った以上にショックだったのだ。
一時気分が落ち込んで周りを心配させてしまったが、一週間もしないうちに私は犯人、特に首謀者の目星がついた。
──ティーリヤ・ヘルヅェ様。猫目でピンクブロンドの髪色の美少女だ。
メロディア様の予感が的中したことにも驚いたが、何より彼女、私とお父様が街を歩いていた時に出会ったあの時の美少女だったのだ。
つまりは私は随分前から彼女に目を付けられていたというわけで、あの時睨まれた理由が今なら理解できる。
ヘルヅェ侯爵家はレストア王国における今最も勢いのある有力貴族で、領内で栽培した薬草を貿易のメインとしている。
王家との繋がりは建国以来無く、この度のラディとの縁談によって漸くヘルヅェ家の悲願が達成されようとしていた。
しかしここで起きてしまったのがラディによる婚約破棄。
婚約者が突然豹変し、訳も分からぬまま婚約破棄が成立したかと思えばいつのまにか元婚約者は平民の女と仲良くなっている。
文字に起こせば最悪の状況だ。これで私に悪意が向かないという方がおかしな話である。
ローズから忠告を受けていたにもかかわらずこんな状況になってしまっているので、情けなくてローズにすら相談ができていなかった。当事者のラディは無論だ。
ならばお父様に相談しようかと思ったが、私はそこであることに気づいた。
ティーリヤ様、行動がワンパターン過ぎないかな?と。
ティーリヤ様が、というより、彼女の取り巻きである女子たちが実行犯なのだけれど、彼女たちも貴族なのでこういったことに関してはあまりアイデアが浮かばないのかもしれない。
実害は教科書、机、ロッカーぐらい。
周囲の人間に知られたくはないのか私自身に接触してることは無い。
つまりはこの被害をやり過ごしてしまえば周りに相談するまでもなかったのだ。
教科書は購買で売っているからその日のうちに買いに行く。伊達にお小遣いを貰っていない。お父様ありがとう。
花瓶の花は教室に飾るのもいいけれど、どうせなら花冠にしてしまう。それをローズにプレゼントしてみると割と喜ばれた。
机の上のゴミはもちろんきちんと捨てたけれど、紙屑は勿体ないと思って折り紙細工をしてみた。ドラゴンの超大作はラディを興奮させるどころかクラスメイトの男子も、だ。
虫や小動物の死骸は裏庭に埋めた。これをきっかけに虫集めが大好きだった幼少期を思い出し、レオと虫取りに出かけた。渋い顔をしながらも付き合ってくれた。
当たり前だけど、自分の物を汚されるのは嫌なので、嫌がらせが一ヶ月経った頃には余裕ができて、私は小さな反撃を企てるようになった。
平民が良く知るあの虫──人呼んで黒い悪魔を本物そっくりに紙に描いて、私の持ち物、場所のありとあらゆるところに挟んだ。
その日から私の教室では放課後、毎日のように女子生徒の悲鳴が上がるようになったという。
少しスッキリしたのは秘密だ。
持ち前の器用さを生かして平然としているどころかやり返してくる私に痺れを切らしたティーリヤ様は、苛立ちを募らせ、とうとう実力行使に出た。
ある日一人で廊下を歩いていて、階段を降りようとしていた時のことだった。
ドンッと背中が押されたかと思うと、浮遊感を感じた。
「え──」
自分が階段から落ちている。
そう認識した時には全身が床に叩きつけられていた。
「──つぅッ!!」
大きな衝撃によって呼吸ができなくなり、全身に走る痛みによって生理的な涙が出た。
そして薄れゆく意識の中で聞こえたのは、愉悦に歪んだ顔で高笑いするティーリヤ様の声と、女子生徒たちの悲鳴だった。
*
ふと、誰かの声にならない声が聞こえて、私は目が覚めた。
パチパチと瞬きをして、状況を把握する。
一番最初に真白な天井が視界に入って、ふかふかの何かに寝させられていることから私は保健室にいることが分かった。
そして、頭を横に向けてみると静かに涙を流す人いた。
「……ラディ?」
ラディは私が起きたことに気付くと、堰を切ったように涙を溢れさせた。
「ふ……リン、ごめっ、ボク、ご、めん……っ!アイツが、ボクが、ッ」
嗚咽が混じってハッキリと口にすることができないのか、ラディは何度も謝罪の言葉を繰り返す。
寝起きの回らない頭で何故彼が泣いているのかを必死に考えて、ああそうかと思い至る。
ティーリヤ様はラディの元婚約者で、そもそもラディが一方的に婚約破棄を告げたために彼女は並々ならぬ感情を抱くようになってしまったのだ。
ラディか責任を感じるのは当然の話だった。
「泣かないでください。私は大丈夫ですよ、ほら」
無事を説明するために手を広げようとしたら左腕が上がらないことに気付いた。
「あれ?」
「……脱臼、と全身の打撲してる、んだ」
「あ、そうなんですね」
道理で包帯で固定されているみたいだ。
あんな高いところから落ちて脱臼と打撲で済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれない。
打ち所が悪かったらと思うとゾッとする。
「保険医は、他の生徒に治癒魔法、使ったばかりだったから、魔力の回復まで、そのままで大人しくしていろ、って」
「そうなんですね、ありがとうございます」
こういった怪我には治癒魔法をかけて貰えるのかと感心していると、ラディが顔をうつむかせた。
「……フーリン、は、ボクのこと、もう友達じゃない、って思う……?」
「?何でですか?」
質問の意図が分からなくて首を傾げると、グシュッと鼻をすすってラディが立ち上がり、肩で息をし始めた。
ギュウッと拳を握りしめるその姿はまさに鬼気迫るものがあった。
「無理だって、言えばいいじゃないか」
「いえ、そもそも怪我をしたのはラディのせいではないですから、私は気にしてませんよ」
その言葉はどうやらラディの何かを切れさせてしまったようだった。
ラディの目の色がガラリと変わった。
「──嫌なものは嫌だって!無理なものは無理だって!できないものはできないって、言えばいいだろう!?」
息を荒くして叫ぶラディに私は固まる。
「何で全部いいよって受け入れるんだよ!!そうやって何でも大丈夫って言ってたらいつか本当に大丈夫じゃなくなる!いつか壊れてしまう!──『僕』のように……!!」
とラディが声を上げた次の瞬間、頭を抑えて苦しみ始めた。
「あああっ!嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……!戻りたくない、帰りたくない!できない、僕にはできない……ッ!!」
驚いた私は痛む身体を叱咤してベッドから飛び降りると、ふらふらし始めたラディの肩を支える。
「ラディ、落ち着いて、落ち着いてください」
「僕は何もできない、……無理なんだ、出来ないんだ……」
床に蹲ってしまったラディにどうしたらいいか分からず、支えていた手が宙を彷徨う。
「……僕は完璧な王子なんかじゃないんだよ……」
そう呟いたと同時にラディの慟哭が室内に響き渡った。
呆然とする頭の中で、ラディの言葉を聞いた私は双子の話を思い出していた。
『誇り高かった人が急に幼児みたいに喋り出したり、リーダー気質のあった人が急に臆病になって家から出てこれなくなったり。女神の如く優しかった人が突然豹変して化け物みたいに発狂し始めたり』
『ラドニーク様ってほんと皆んなから慕われててさ、理想の王子を体現したような人だったんだ。色んな生徒の悩み相談とかも受けてたりしたみたい』
今まで立派だった人たちが、軒並み豹変していく現象が魔物の呪いなのだとしたら。
ならば豹変した後の性格はどうやって決められているのだろう。魔物が勝手に決めている訳ではあるまいし。
ではないとしたら──。
「おい、いるか!?」
思考の泉に囚われていた時バンッと扉が強く開かれ、入室して来たレオが焦った顔で私の右腕を掴んだ。
「っ、何!?」
「いいから来い!ヤベえことが起きてる!!」
私を急かす声に私は床にいるラディをどうしようと頭が困惑し始める。
「ちょ、ま、待って!ラディも……!」
「チッ、王子か」
もたもたしている私に舌打ちをしたレオは、ラディと私を持ち上げた。
そう、持ち上げた。
「なっ、何をする!」
突然のレオの行動に驚いたのは、声を上げることを止めたラディだけじゃない。
「ええ?えええええ!?」
「喋るな、舌噛むぞ」
「えっ、いや、あの!何で!?」
少し痩せたとはいえ、私とレオの体格差は歴然だ。レオが男でも二人の人間を持ち上げられる筋力があるとは思えない。
「魔法に決まってんだろ」
そう言って時間がないと言わんばかりに保健室を出て廊下を走り始めた。
「っ、速いいいい!」
「うるせえ!」
「何なんだ!何なんだよ!!」
持ち上げられている二人して小さなパニックに陥っているので、レオは額に汗を流しながら鬱陶しそうに顔をしかめる。
と、そこで私の腕に目を止めて目を細めた。
「悪ぃ、配慮がなかった、な!」
ぶわりと全身が暖かくなって、特に固定された腕が熱を持ったかと思えば、するすると包帯が勝手に解けていって唖然とする。
しかし流石の私も直ぐに気付いた。
治癒魔法だ。
魔力を大量に使用し、かつ繊細で難しいと言われる治癒魔法を詠唱なしに使えるレオの凄さを私でさえ実感せざるを得なかった。
「レオ、ありがとう!」
「そういうことは早く言えッ」
叱られてしまったけど照れ隠しだって分かっていたから私は何も言わずに腕をぷらぷらと振ってみた。
全身が元気になったのを確認したその時にはレオの足は止まっていて、その場の異様な静けさに息を止めた。
着いた先は屋上。
ゆっくりと降ろされ、私は眼前に広がる状況に目を見開く。
そこには屋上の端でティーリヤ様の首を絞めるローズの姿があった。




