十二話 気付いたらいけない
食事管理をして貰うようになってからは私は無茶なダイエットはしなくなった。
再び学校に来るようになったラディに毎日食べた物、量を報告をする。そしてこれはダメだとか、アレを食べろという指導を貰って家の使用人にそれに従って食事を出して貰うようにした。
休日にはお城に赴いて殿下の作る美味しくて健康的な料理を食べ、ついには私も料理を一緒にするようになっていった。
きちんとした食事をするようになると味の濃いものをあまり受け付けなくなっていったし、料理をするとそれだけでお腹いっぱいになることもあった。
食に対する認識がすっかり変わったと言っても過言ではない生活を送った一ヶ月。
成果がハッキリと見た目に表れたわけではないが、確実に痩せてきていることは自覚している。
体が軽くなってきて動くことに億劫さを感じなくなり、最近では趣味として散歩に目覚めた。
そんな風に穏やかな日を過ごしていたというのに、少し平和ボケし過ぎてしまっていたのだろうか。
フーリン・トゥニーチェ、ただ今絶賛ピンチです。
「おい、テメエそろそろ目障りなんだよ」
「殿下と仲いいからって調子に乗ってんの?」
「お前はこの第一に相応しくないんだよ!」
放課後、一緒に勉強しようと図書館に行こうとしたローズが先生に呼ばれてしまい、私は一人教室で待っていた。
そこに狙ったように現れたのは三人のクラスメイトたち。
親の敵でも見るような目つきの三人に抵抗もできないまま裏庭まで連れて行かれたかと思うと、続けざまに浴びせられたのは耳を塞ぎたくなるほどの罵詈雑言。
直接的に悪意を持ったクラスメイトが接触してくるのはこれが初めてで、壁に追い詰められた私は固まってしまい何も言い返すことができない。
「何黙ってんの?何か言えよ!」
すぐ横の壁を蹴られ、ビクッと肩を揺らすと三人は愉快そうに声を上げる。
「そうだ、確かお前の家金持ちだったよな?」
「金持ちってか『大』金持ちじゃん」
「ふーん、いい金づるになるなァ」
「だろ?俺あったまいー!」
怖い。
私を見ているようで見ていない暗い瞳と悪意に囲まれて、体の震えが次第に大きくなる。
「ッ」
突然胸倉を掴まれ、首元が締まり呼吸がし辛くなった。
「なあ、金出せよ」
「たんまり持ってんだろ?」
「……せん」
「あ?」
「ありませんっ」
震えてみっともない声だったけれど、出ないよりはマシだった。
「この状況でそんな強気なこと言えんの?」
「凄いねー、おとうちゃまにたちゅけてもらうんでちゅかー?」
「あははは!!甘やかされて育ったの一目瞭然だもんね!それでお金はありませんって都合良すぎない?」
「どうせ好き放題金使ってきたんだろ?だったら少しぐらい俺らに分けてくれよ」
グッと目を瞑ってその場をやり過ごそうとした。
けれど胸ぐらをつかむ男の続けて出た言葉に私は目を見開いた。
「どうせあのローズマリーって女も金をせびるためにお前のそばにいるんだろ?」
一瞬頭が真っ白になった私は気付いたらその男子を突き飛ばしていた。
男の力には敵わないが、体型的にはこちらが有利なのだから不意をつけば離れることは可能だった。
「ってえな!」
「取り消して」
「は?」
「さっきの言葉取り消してよ!」
人が変わったように怒り出した私にクラスメイトたちは訝しげに眉を潜めた後、ニヤリと笑った。
「さっきの言葉、図星だったんだ?」
「数少ないお友達が、まさか金の為に自分のそばにいたなんて考えたくないもんなあ」
「うるさい!うるさいうるさいうるさい!ローズはそんなこと考えてない!そんなわけない!!」
ぐるぐるぐる。ただ否定の言葉だけが頭の中を回る。
ローズが私といることでそんな目で見られていたことが、何より私に衝撃を与えた。
悔しさが胸いっぱいに広がって、目が潤み出す。
意味をなさない抵抗の言葉を吐き出そうとしたその時だった。
「何をしているんだ?」
話題の張本人、ローズその人が現れた。
「フーリン、泣いているのか?……こいつらがやったのか?」
ローズが現れた途端焦りを見せ始めた三人は言い訳紛いの言葉をつらつらと並べ始める。
そんな彼らを感情の無い瞳で見ていたローズは、ゆっくりと三人に近づいたかと思うと私の胸ぐらを掴んだ男の耳に顔を近づけた。
目を瞬いた次には男の顔は真っ青になっていて、伴っていた二人を引き連れて大慌てでその場を去っていってしまった。
「……何か言ったの?」
「大したことは言ってない。それより大丈夫だったか?怪我はない?」
「う、うん」
ローズは三人の行方に興味の欠片もないようで、私を心配そうに覗き込む。
「アイツらに何を言われたんだ?」
「言われたっていうか、……お金をせびられたというか」
「……成程」
目を細めたローズはそれ以上追求してくる様子はなくて、その代わりに私の手の平にできていた傷を見つけると眉を顰めた。
男を突き飛ばした際何かに引っかかってしまったのかもしれない。
お母様なら舐めておけば治るとでも言いそうな程の小さな傷だ。
にもかかわらず、ローズは私の腕を掴んで保健室へと誘った。
少しピリピリしたローズに断ることなどできない私は大人しく付いていった。
「全く、何故保健医が居ない。職務怠慢だろう」
「あはは、忙しいんだと思うよ」
「これでは治癒魔法で治せないではないか」
ローズの言葉にギョッとする。
治癒魔法は使える者がとても少なくて、保健医として在中している魔導師曰く、治癒魔法を使うのは重傷者のみだそう。とても繊細な魔法なので誰彼所構わず使えないそうだ。
だと言うことをローズも知っているはずなのに。
「こんな傷、治癒魔法なんて使わなくても明日にでも治るから大丈夫だよ」
「いや、菌が入って化膿してもいけない」
心配性過ぎる。
「保健医がいないならばレオの元へ行こう」
「へ」
「彼奴ならば使える」
いやいやいや、待って。待って!?
「大丈夫だから、ね?ここにある消毒液を使わせてもらおう?うん、それがいいね!そうしよう!」
こんな傷でレオの元へ行こうなど、馬鹿にされて終わりだ。鼻で笑われる未来が目に見える。
しかしとそれでも渋るローズを座らせて、私は自分の意思を貫くために手を洗って手当、というには大袈裟な処置を始める。
「すまない、そもそもあたしが魔法を使えれば良かったんだ。……やはり、出来損ないだな」
「ええ!?魔法なんて使えないのが当然だよ?人間は自然の治癒能力があるんだからこんなのなんてことないんだから」
ローズが出来損ないなんてとんでもない。
むしろローズが魔術師であるならば私は恐れ多すぎてこれ以上気軽に話しかけられなくなるのは間違いなかった。
──恐れ多いと言えば。
「……ねえ、ローズ」
「何だ?」
「聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「ああ、聞こう」
初めてラディの料理を食べたあの日、ラディは『あの女だって似たようなものだ』と言っていた。
そのことがこの一ヶ月気になってはいたが、結局聞くタイミングがないままここまできてしまった。
時が経ったこともあって入学時に比べると仲も大分深まったのではないかと思う。だからこそ誰もいない二人きりのこの部屋で、まさに聞いてみる良い機会なのではないだろうか。
意を決して私は口を開く。
「ローズってその、王族、だったりする……?」
「──どうしてそう思う?」
一瞬凍てついた空気に肌が粟立ったが、今更言葉を取り消すこともできず考えていたことをぽつぽつと話していく。
「初めて会った時からローズは高貴な方って感じのオーラがあって、物言いとか仕草とかも品があるなあって思ってたの。……あとラディからそう言った内容の話を聞いて……」
ローズの醸し出す空気が私を拒絶するものではないことは分かる。
「確かに、あたしは王族、のようなものだ」
「……その、ラディも言ってたんだけど、ようなものって?」
「厳密に言えばそうではないということだ。フーリンはテスルミアという国を知っているか?」
知っているも何も、テスルミアは母国イルジュアと並ぶほどの国力を持つ帝国だ。しかしテスルミアは他国とほとんど関わりを持たない閉鎖的な国で、戦争でその力の凄さを実感するのみだ。
「テスルミアは四つの部族で構成されていて、テスルミアの皇帝は各部族の族長から一人選ばれるんだ。あたしはその四部族のうちの一つの部族長の娘。つまりは王族、皇族、のようなもの、というわけさ」
「な、なるほど……」
ローズの言葉をゆっくり飲み込みながら頭の中で咀嚼する。
「……それって私が聞いても良かった?」
「別に隠しているわけではないからな。ラドニークは元より、レオすら初めて会った時には気付いていたぞ」
思い返してみれば確かにそんな反応をしていた気がする……!
「ある程度の地位にある者は普通に気付いているな。留学中は平穏に暮らしたいからそういう者に対しては干渉するなと言ってあるから、あたし自身に接触してくることはない」
「……私、知らないとは言え色々と失礼な態度とってた」
自分の態度にローズはどう思っていたのだろう。自分が馬鹿なことは分かっていたけど、今まさにそれを実感してしまい肩を落とすことしかできない。
「そんな顔をするな。あたしは嬉しかったんだ。フーリンだけが何の色目もなく、あたしを怖がることもなく接してくれたんだ」
「ローズ……」
「テスルミアでもあたしは友達というものがいなかったからな。こうして何の遠慮もなく話せる友人という存在の素晴らしさをフーリン、君が教えてくれた」
優しく頭を撫でられて自分の口がへの字に曲がる。わなわなと震え出して、それを隠そうとローズに抱きついた。
私の肉厚に押しつぶされないよう考慮する余裕なんてなかった。
ただ目の前の大好きな友人を抱きしめなければと、それだけが私の体を突き動かした。
「ふふ、フーリンの体は柔らかくていいな。心が安らぐ」
笑っていることが分かる声でローズがそんなことを言うものだから、私は焦ってローズから離れる。
少し残念そうにされたがそんなことは気にしてられない。
「い、いい今は柔らかいかもしれないけどね!直ぐに色気ムンムンのパーフェクトスレンダーボディになるんだから!」
「何故だ?そのままでもフーリンは十分に可愛らしいではないか」
「かわ!?い、いやそれは友人としての贔屓目!ダイエットを頑張って綺麗になるのが私の目標なの……!」
「……ふむ、確かに少し痩せたか?前よりさらに魅力的になったように感じる」
ズキューンと胸を射抜かれた。
まさか気付いてくれているなんて、魅力的だと言ってもらえるなんて。
あまりにイケメンな発言に私はもう完全にローズにメロメロだ。
「ローズはどうしてそんなに細いの?やっぱり食べてないから?」
「いや?食事は大事だからな、きちんと食べているぞ。身体に影響を及ぼしている行動……強いて言うなら鍛錬をしている、ぐらいか」
「鍛錬?」
「まあ運動だ」
「運動かあ、確かにしないといけないのは分かってるけど続けられるか心配……」
直ぐに諦めた過去を思い出し、溜息をつく。
「あたしが応援する。フーリンが望むなら叱咤激励をしよう」
なんて頼もしいのだろう。
食事面ではラディに、運動面ではローズに見てもらいながらするダイエットならば、成功する確率はグンと高い。
ぜひお願いします!と張り切ってお願いすると、目を細めたローズは間近で見なければ気付かないほど僅かに口角を上げてこう言った。
「いいか、フーリン。努力は人を裏切らない。人を裏切るのは人だけだ」
その日、第一に在籍する三人の生徒が姿を消した。




