十一話 いただきます
「お、お腹空いた……」
ふらふらと街中を彷徨い歩く私の顔色は決して良くない。
ノアと会って一週間ほど経ったが、見た目に現れてる様子は全くなくて、空腹の辛さと合わせて落ち込みそうだ。
家の中で刺繍をしていても、どうもお腹の音が気になって仕方ない。
気を紛らわせようとこうして外に出たはいいが、外にも誘惑は沢山ある。
食事処や食べ物を持った人を視界から外しながら歩いていると、前方にキラキラと輝く人物がこちらに向かって来るのが分かった。
あの見覚えのある金髪は──。
「殿下?」
「フーリン?ここで何やってんだお前」
「こちらのセリフですよ。お久しぶりですね」
ラドニーク様に会ったのはあの魔獣遭遇事件以来だ。
ずっと学校に来ていなかったので心配していたことを伝えると、顔をしかめられた。
「父上に叱られてしまってな。部屋から出してくれなかったのだ」
「それはそれは……」
「まあ流石に耐えられなくなったから抜け出してきたんだがな!」
今ココ状態。
「ダメじゃないですか!早くお城に戻りましょう!」
「イヤだ!」
「駄々をこねてる場合じゃないですよ!きっと今頃お城は混乱してます!」
見たところ護衛の騎士だっていない……。
「あ」
いた。
こちらを申し訳なさそうに伺っている男性が一人、二人、三人、四人。
どこかで見たことがあるなと思い記憶を探れば、魔獣に襲われた時にもいた騎士たちだ。
どうやらクビにはならなかったようで私は勝手ながらホッとした。
「な、大丈夫だろ?」
「でも勝手に抜け出してきたらまた怒られちゃいますよ」
「ふん!ボクはやりたいことをやりたい時にやるんだ!」
殿下の潔い言葉に苦笑したその時、ふらりと目眩がして体勢が崩れた。
「おい!大丈夫か?」
「は、ひ」
「病気か?」
心配気に顔を覗き込んでくる殿下に謝りながら姿勢を立て直す。
「……いえ、しばらくまともにご飯を食べていないのでそのせいかと」
「まともに食べていない、だと?」
おかしいな、急に周囲の温度が下がった気がする。
「何故食べていない」
「えっと、その、ダイエットのため、です」
目の前の人物は睨め付けるように私を見ていて、怯んだ私のこめかみには冷や汗が流れる。
「ダイエットはやっぱり食べないのが一番だって聞いて、断食を……」
そこまで言ってあ、と気付いた瞬間、盛大な雷が私に落ちた。
「馬鹿者ー!!!!」
街中に響き渡りそうなくらい大きな声で叱られた私は思わず腰を抜かしてしまう。
そのままぽかんと見上げれば、殿下は仁王立ちして私を見下ろしていた。
「食事を蔑ろにするとは言語道断!ダイエットのために食べない!?そんなこと、このボクが許すはずもないだろう!」
そう言えばこのお方、食べ物に対する執着心が強いんだった。
殿下はその後何かブツブツと呟いた後、後ろを振り向いて騎士に何か合図した。
「よし、城に帰る」
「あ、帰る気になったんですね。お気をつけて」
「何を言っている。お前も一緒だ」
うん!?
「ちょっ、うえっ?ま、待ってくだ……!」
「問答無用!!」
そうしていつのまにかそばに来ていた馬車に押し込まれた私は、次いで乗り込んできた殿下と共に抵抗する間も無く城へと連れて行かれたのであった。
*
城と言うのは王族が住んでいるだけあって警備が厳重である。
門外から均等に配置された騎士の数は既に両手両足の指で数えても足りなくなっていた。
初めてのお城訪問で変にドキドキしながら付いてきたのはいいものの、簡単な身体検査のみで入れてしまったので少し拍子抜けしてしまった。
殿下が付いているから問題ないのだろうか。
そんなことをツラツラと考えながら、ある意味思考を放棄しながら広い廊下を歩いていると、殿下は私をチラリと見て溜息をつく。
「どうせお前は味の濃いものばかりを食べて素材そのものの味を知らないんだろう」
「素材そのものの味?」
「いいか、よく聞け。食べ物は奥が深いのだ。それをボクが今から証明してやる!」
そう宣言されて、腕を引っ張られて着いた先は。
「……厨房、ですか?」
「ボク用だ」
「殿下用!?」
実家にいた時に何度か覗いたことのある厨房と同じ調理用の魔道具や器具が視界に入り、殿下の発言に目を瞬かせる。
「ボクは料理が趣味だからな」
初めて知りました。
「どうせ昼食も食べていないんだろ。今からボクが特別に作ってやる。それを食べろ」
「え、でも」
「拒否権はない」
そう言われてしまえば私は黙って従うしかない。
ならば今日の夕食を抜いてしまえば大丈夫なはずだ。多分。
「お前は味の濃さに慣れきっている。悪いとは言わないが、それを食事の全てだと思われるのは癪だ」
殿下はそう言って料理をするための準備に取り掛かった。
トントントンと小刻みに鳴る心地いい音を耳に入れながら、私は殿下の作業を見守る。
料理が趣味と言うだけあって殿下に無駄な動きはなくて、危なげな様子も一切ない。
いつものように心臓に悪いラドニーク様によるギルフォード殿下の話を聞いていると、魔法のように材料だった物が料理として形を見せ始める。
「殿下はいつから料理を作るようになったんですか?」
「四年程前だ」
ということは十二歳の時から!?
「料理は唯一気の抜ける時間だったからな」
その一言で私は殿下の呪いを受ける前の噂を思い出した。
話を聞いた時は単純に凄い人だったんだと思っただけだったけれど、こうして改めて殿下の気持ちを考えてみると……気詰まりしそうだ。
鍋の中を混ぜ始める殿下は何も言わない。
グツグツと煮える音だけが嫌に大きく聞こえた。
料理が、食事が何故殿下にとって重要なのか少しだけ分かった気がした。
大切にしている食事を蔑ろにされれば怒るのも無理はないのかもしれない。
だからと言って初めて会った時のパン泥棒呼ばわりはよくないと思うけれど。
一つ私には疑問があって、それはラドニーク様は呪いを受ける前の記憶についてどう思っているのかということだ。
料理を始めた時期を覚えているので、昔の記憶があることは分かる。
ただこれまで一度として第二にいた頃の話を私は聞いたことがない。
デリケートな話には違いないので私ごときが踏み込んだ話をするわけにはいかないけれど、昔あったであろう苦しみを、今の殿下は感じてなければいいなと思った。
「よし、完成だ!」
目の前に並べられた料理から香る匂いに、私のお腹が反応してぐうぐうと音を立て始める。
予め作っていたものもあって、そこまで待つこともなかった。
東国から取り寄せたお米を使ったという、彩に緑が添えられたお粥。ふんわりとした卵と海藻が漂うスープ。柔らかくした大根と鮭の味噌煮。デザートには凍らせた巨峰までが付いていた。
今までに見たことのない料理ばかりで、私は興奮を抑えきれない。調味料も初めて知る名前ばかりだったので、私が想像する味とは違うのだろう。
「胃に優しい物にしておいた。よく噛んで、味わって食べろよ」
噛むを強調されたので頷き、お粥の皿を手に取る。
少し息を吹きかけてスプーンを口に含むと、私は自然と目を見開いていた。
「美味しい……!」
全身に染み渡るような優しい味。
他の料理も当然のように美味しくて、私は感動しながら食べる手を止められなかった。
「ふっ、当然だ。このボクが作ったんだからな」
鼻を高くする殿下に私はコクコクと頷き、それに同調するように絶賛の声を上げる。
お腹が空いていたこともあるだろうけれど、殿下の料理は確かに美味しかった。
出汁がよく効いていて、素材そのものの味を感じることができる。殿下が言っていたのはこのことかと納得するばかりだ。
料理に対して、私は本当の意味で初めて『味わう』ということを知った。
「本気でダイエットをしたいなら食事はきちんと取れ。健全な体は健康な食事によって作られるのだからな!食べないなど、結局はリバウンドして終わるのだ!」
凄い。ダイエットに縁のなさそうな殿下がしっかりとダイエットについて理解している。
「と姉上が言っていた」
なるほど。
「……でも、やっぱり一度食べちゃうと暴食してしまって、加減ができなくなるんです」
何年もかけて作られた癖はなかなか治らなくて、一度物を口に入れるとお腹いっぱいになるまで食べてしまう。それこそ腹八分目、なんてレベルではなく、お腹が苦しくなるまで。
「──ならボクがお前の食事管理をしてやる」
「へ」
「時間があれば料理も作ってやろう」
食については間違いがなさそうな殿下に食事管理をして貰えるどころか、こんなにも美味しい食事が食べられるなら願ったり叶ったり、だけど。
「いいん、ですか?」
「こうして誰かに食べてもらうというのも、……悪くないからな」
ふわりと、殿下が笑った。
元気が有り余る笑顔でも、悪戯気に作る笑顔でもない、とても優しくて、美しい笑み。
素の、殿下が垣間見えたような気がした。
本人は笑っていることすら気づいていないようだったけれど、私は一瞬目を奪われてしまっていた。
「殿下は、」
「何だ」
「……いえ、何でもないです」
私でさえ何を言おうとしたのか分からなかった。
もしかしたら、その一瞬の美しさの中に滲んでいた儚さについて言及しようとしたのかもしれない。
「そうと決まれば間食は一切するなよ。ボクがフーリンの前で食べようともな!」
アッハッハッと笑う殿下を見て、早まったかもしれないと思った私は悪くない。
それから時間もたっぷり経って、そろそろ帰ろうと腰を上げた時。
「お、おい、フーリン!」
「どうしました?」
緊張した面持ちで私を見る殿下に声をかけられた。
「おお、おおお前には!特別に!ボクのことを『ラディ』と呼ばせてやる!」
急に何を言いだすのだこの王子様は。
ラディというのはラドニーク様の愛称のはずだ。
王族相手に敬称を付けないどころか愛称で呼ぶなどできるはずがない。
「それは流石に無理です」
「何故だ!」
「それは勿論、殿下は王子様ですし……私なんかが愛称で気軽に呼んでいい相手じゃないですよ」
殿下は私の発言にムッと頬を膨らませる。
忘れがちだけどこの人は私なんかとは立場がまったく異なる方なのだ。
「……あの女は」
「え?」
「あの赤髪女は愛称で呼んでいるじゃないか!なのに何故ボクはダメなんだ!」
確かにローズの本名はローズマリーで、愛称で呼んでいるけれど、彼女は私と対等な立場の人間だ。
「いえ、だから殿下は王子様ですから、」
「──あの女だって似たようなものだろう!!」
似たような、もの?
殿下が何を言っているのか一瞬分からなくて、私はパチリと目を一つ閉じて開ける。
「あれが良いならボクだって良いはずだ!」
私はいつから勘違いをしていたのだろう。
ローズは一言だって自分が平民だとは言ってない。
それどころか彼女はいつだって気高くあって、それはまるで上の立場に立つことに慣れた人の立ち姿だった。
唖然と口を開ける私に気づいたのか、殿下は癇癪声をやめてぼそりと言葉を落とす。
「……ボクだってお前の友達なんだから、呼んでくれたっていいだろう……」
友達。
予想外の言葉に私の口は開いたままだ。
「なんだ!お前はボクを友達じゃないとでも言うのか!」
「いえ!むしろ友達と思っていただいていたのかと驚いちゃって!」
そう、驚いた。まさか殿下がそう思ってくれているなんて露ほども思ってなくて、目新しい玩具か、僕ぐらいにしか思われていないかと思っていた。
じわじわと胸が熱くなる。喜びが私の口角を上げてく。
今ばかりはローズのことを忘れて、殿下の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「ありがとうございます、──ラディ。これからもどうぞよろしくお願いしますね」
「ッ、……し、仕方ないな。このボクと友達であること、誇るがいい!」
潤んだ瞳を隠すように偉そうに胸を張るラディが可愛くて、思わず頭を撫でそうになったのは秘密だ。




