八話 聞いてない
留学生交流会当日、私たちは会場がある第二王立学園に足を踏み入れていた。
「わー、緊張するなあ」
「どんな者たちがいるか楽しみだな」
ローズが横にいると安心するけど、会が始まったら別れてしまう可能性が高い。
「……」
「どうした?」
無意識にローズを見ていたようで慌てて前を向く。
「あ、うん、これからローズと離れちゃうの怖いなって」
「フーリンなら大丈夫さ」
お父様と出掛けたあの日の翌日は既にローズに会っている。私に気付かなかったか聞こうとしたけれど寸前で何故か思い留まってしまい、その話題には今まで触れていない。
別に普通に聞いて、「気付かなかった」ってローズが言ってくれたらそれで終わりなのに、私はその勇気が無かった。
あの時見た底知れぬ暗い瞳が忘れられないからなのかもしれない。
会場に着くとグループに分けられた。当然のようローズとは違うグループだ。
入学した時のように嫌な目を向けられるのかなと変な動悸がしたが、拍子抜けするくらいに留学生たちは至極普通の態度であった。
「こんにちはー、第一の生徒?僕は第二だよ、よろしくね!」
「私も第二!よろしく〜」
「俺は第一だ、よろしく!」
「第一です。よっ、よろしくお願いします!」
和気藹々と始まったグループ交流は想像以上に話しやすくて、私は心の底からその場を楽しんだ。
留学生たちはとても知見が広く多様な価値観を受け入れ、私が太っていることなど一言も触れることもなかった。周囲に気を配りながら会話を楽しむことができる人たちばかりで純粋に凄い、と心の底から尊敬した。
グループタイムが終わるとフリートークの時間は立食パーティ形式になり、自由に動き回っていいことになっている。
私はそのまま同じグループだった男子の一人と喋り続けた。そしてしばらくすると彼の双子の弟だという男の子も合流して三人で喋り続ける。
時間も経ち段々と砕けた空気になってきた頃、双子の弟の方が思い出しように呟いた。
「そういや、第一って今どうなってるんだ?」
「?何が?」
「知らねえの?」
意図の掴めない質問に、私は一ヶ月前にこちらに来たばかりだと言うと、ああそうかと彼は頷いた。
「じゃあ第一には魔物が住んでいるって知ってるか?」
「魔物!?」
「あー違う違う。魔物は物の例えだよ」
「もう、それは僕たちの間でしか言ってないことでしょ。説明が下手くそなんだから」
「そうだっけ」
どういうことだろうと困った顔をした私を見て、兄の方が優しく最初から説明してくれることとなった。
「フーリンはイナス村って知ってる?」
「えーと、……魔物に消された村だっけ」
「そうそう。僕たちはねそのイナス村の隣の村出身なんだ」
「え!?」
これは凄い貴重な機会ではないだろうか。
今でも謎とされている魔物について聞きたい衝動に駆られるけれど、今はまだ彼らが説明してくれ始めたばかりなのだからと口は噤んだままにしておく。
「イナス村ってね外の交流も必要最低限もほとんどない排他主義の村だったみたい。魔物によって潰されちゃったから村に関する情報なんて今では殆ど残ってないんだ」
「それこそ魔物が現れてどうなったかなんて分からねえんだよな」
「うちの祖先がイナス村の人と交流があったんだけど、それは極めて珍しいことだったんだ。だからイナス村が消えた後は俺たちの家ぐらいしかイナス村の情報を持ってないらしいんだよね」
トーンを落とし、息を潜めて話す彼らに私も自然と顔を近くに寄せる。
側から見れば怪しさ満点だ。
「祖先が言うにはイナス村に魔物が現れる前、村人たちがどんどんおかしくなっていったらしいぜ」
「おかしく?」
「誇り高かった人が急に幼児みたいに喋り出したり、リーダー気質のあった人が急に臆病になって家から出てこれなくなったり。女神の如く優しかった人が突然豹変して化け物みたいに発狂し始めたり、とかな」
ハッと、息を呑んだ。
ラドニーク様の顔が頭を過ぎったのだ。
「その村が元々変だったってことが原因かもしれないけどな。イナス村は異分子はすぐに排除しようとするほどだし、村人絶対主義的な感じ」
「母さんは異分子は生贄として殺されたとか、村は軍隊みたいに規律が厳しかったとか言ってた」
「それは母さんの妄想だろ。あの人いい加減なとこあるし」
「まあ二百年前の話だからどこまで本当かも分からないけどね。祖先が捏造した可能性も無いわけじゃない」
「それな」
何か、何か大切なことを私はまだ知らない。
知らないといけない気がする。
二人の話を聞いて謎の焦燥感が私を襲う。
「それで本題に戻るんだが、第一にはそのイナス村のようにおかしくなっていく奴が出始めたらしい」
「第四王子、だよ」
悪いことをしたわけでもないのに心臓が飛び跳ねる。
「ラドニーク殿下……?」
「そうそうラドニーク様。あの人元々第二の生徒だったんだよ」
そういえばそんなことをローズが言っていた気がする。
ということは二人は性格が変わる前のラドニーク様を知っているということだ。
「ラドニーク様ってほんと皆んなから慕われててさ、理想の王子を体現したような人だったんだ。色んな生徒の悩み相談とかも受けてたりしたみたい」
そんなある日殿下はいつものように一人の生徒の相談を受けたそうだ。
その内容は自分の第一の生徒である従兄弟の様子がおかしい、どうやらクラスメイトに虐められているらしいというものだった。
「なんでそれを殿下に言ったんだろう?もっと他にその相談に見合った人がいると思うんだけど……」
「うーん、それがどうも個人の話だけじゃなかったようなんだ。元々第一は上下関係にも厳しくて、力の無いものは上に逆らえず潰される。挫折していく人が後を絶たなかったんだ。ラドニーク様はそんな理不尽な第一の体制を変えたくて第一に行ったんだと思う」
詳しくはわからないけどね、という兄に、それだけ推測できるだけでも十分凄いという気持ちになる。
「第一に行って暫くしてからあの人が頭がおかしくなったということを聞いた。第一の生徒に箝口令は敷かれてるみたいだけど、まあ人の口に戸は立てられないからな」
それを知った第二の生徒たちは陰ながらとても心配しているそうだ。それでも王家がその事実を国外に漏らさないようにしているならば、その考えを尊重して大っぴらに話はできない。
第二の生徒は第一のせいだと陰ながら口にしているという。
「で、でもラドニーク殿下が変わったのは第一のせいじゃなくて、魔法を使われて、とか」
そういう考えもあるけどな、と弟は小さく溜息をついて持っていたグラスを傾けた。
冷静になろうという思いを感じる行動だった。
「第一は最近建てられた第二と違って何百年と続く歴史の古い学校だ。それゆえか第一の生徒には自分が『第一の生徒』であることに誇りを持ってる奴が多くてな、第一を汚す『異端者』がいると排除しようとするんだ」
歴史が古い。誇り。異端者。排除。
彼が喋る単語が頭の中で目まぐるしく動き回る。
それじゃあまるで──。
「そう、イナス村そっくりなんだよ。第一王立学園ってのは」
全身が強張った。嫌な汗が背を伝う。
「まあイナス村の方が過激的かもしれないが。……流石にこれだけの情報で魔物が現れると考えるのは早計だけどな。だから第一には魔物がいるってのも例えの話だ。大量の魔獣も出てないし、大丈夫だろ」
出ているんですと言いたい。
でもここで言ってしまえば魔物出現が確定となって、他の生徒まで混乱に巻き込んでしまうかもしれない。
「その、イナス村のおかしくなった人たちって元に戻らなかったの?」
「あー、戻る以前に全員魔物に殺されてしまったらしい」
私は非常に危険で重要なことを知ってしまったもしれない。
そして間違いない、と確信するしかなかった。
彼らの言う通り、第一には魔物がいる。
「……その話私にしても良かったの?」
「別に隠しているわけじゃないけど、真偽すら定かじゃないことをペラペラと誰彼構わず、特にお偉いさんとかに喋るわけにもいかないからねー」
「その点こういう学生同士の会話なら話の種になっていいだろ?特に留学生同士は話してて楽しいしな!あ、人はちゃんと選んでるぞ」
なるほどと頷いたその時、ザワリと会場の空気が揺れた。
「何?」
「誰か来るみたいだぜ」
「ゲストかな」
キョロキョロと三人で周囲を見渡せば、さっきグループで一緒だった女の子が嬉々としてこちらに走ってくる。
「やばい!ヤバイよ!」
「ヤ、ヤバイ?」
「ほんっとにヤバイの!」
何が!?
彼女が私の肩を揺さぶるので食べ物を口に入れてないとはいえ吐きそうだ。
それに気付いた彼女はごめんと謝って、少しだけ落ち着きを取り戻す。
「来たの。来ちゃったのっ」
「誰が?」
深い息を吐いた彼女はこう言った。
「──聖騎士、ギルフォード様よ!」
へ、と私が出した間抜けな声はキャアアアアア!!という黄色い悲鳴によって掻き消えた。
そして舞台側の近くのドアから長い脚が見えた次の瞬間、私は会場から飛び出した。そして暗い廊下の窓の下に座り込み、息を整える。胸に手を当てるとドッドッドッドッと心臓がはち切れんばかりに動いていた。
あれは間違いなくギルフォード様の脚だった。
ほんの数秒の差。少しでも判断が遅ければまだ私の留学生活は終わりを迎えていたに違いない。
この時ばかりは自分で自分を褒め称えてあげたかった。
足がガクガクして使い物にならないので、その場に座り続けていると、会場内から男の人の声が聞こえてきた。
魔道具の小さい拡声器を使っているのでここまでよく届いている。
「初めまして、こうして優秀な方たちの集まりに同席できて大変光栄です」
初めて、ギルフォード様の声を聞いた。
少し硬くて、でもどこか心地良い声音に脳が痺れたように目眩がする。
「あ、あれ?」
頰がいつのまにか濡れている。
雨かな、なんて頰をさわってみるけど、屋内で雨なんてあり得るはずもない。
「……ッ」
ああ、そうか。涙だ。
そう実感しても涙は堰を切ったように溢れてくることはなかった。
たった一筋。それだけだったけれど何処か安堵した自分がいたのに気付いた。
今まで張り詰めていた糸が少し緩んでしまったのかもしれない。
初めて聞く殿下の声を聞いただけなのに。
……運命の伴侶、だからだろうか。
お腹をさすりながら少し意識が飛んでいた私の元に双子がやって来た。
「おーい、フーリン?」
「いきなりいなくなって何してるの?あのギルフォード様が来てるよ」
「滅多にこんな機会無いんだし話そうぜ!」
「あ、あのちょっとお腹痛くなっちゃって」
適当な嘘をつけば二人は心配したように眉尻を下げるので罪悪感がすごい。
「大丈夫?保健室に行く?」
「ううん、あの、おっ、お手洗い!お手洗い行ってくるね!」
「分かった。ギルフォード様、滞在できる時間少ないみたいだから早く帰ってこれるなら帰って来いよ!」
素晴らしい情報をありがとう!
そう心の中で叫んで私は急いでトイレに引きこもった。
聞いてない。何故ギルフォード様が来ているのだろう。
いや、皇子様なのだから仕事できているのは分かるけど、よりにもよってなぜここ!?
偶然か、必然か、それとも運め……いや考えるのはやめておこう。心臓に悪い。
ふーと深呼吸を繰り返し、気をそらそうと双子の話を思い出す。
あの二人の話をベースに考えるならば、ラドニーク様の性格が変わってしまったのは魔物の『呪い』のせいだ。
個人的な恨みによる怨恨説も捨てきれないが、魔物の呪いの方が腑に落ちる。
これはメロディア様に報告すべきか否か。
ローズに伝えるべきか否か。
「……分からない」
どうしたらいいのか分からなかった。
溜息をつきながら下を向くと、金色に光る自分の腕輪が目に入る。
よく見ると汚れが付着していて、顔を顰める。
水で洗い流していると、漣立った気持ちも次第に落ち着いてきたので時間も経ったしそろそろ戻ろうとトイレを出る。
歩きながら腕輪をはめようとしたその時。
「本日はお越しいただき本当にありがとうございました。生徒たちもとても喜んでおりました!」
「ああ、興味深い話を色々聞けてとても有意義な時間だった」
「それはそれは私共としましても大変喜ばしいことでございます」
話し声が聞こえて耳を澄ませば、男の人たちの会話が聞こえてくる。
この内容、そしてこの麗しい声から推測するに、こちらに向かってきている人物は、
「……」
──ギルフォード様あ!?
コツコツと廊下を歩く音がこちらに近付いてくる。
廊下は私の目の前が曲がり角になっていて、私がここにいれば鉢合わせするのは避けられない。
コツン、コツン、コツン──。
全身が心臓になってしまったかのように音がうるさい。
焦り過ぎたのが悪かったのか持っていた腕輪を落としてしまった。落ちた音は小さかったけれど、既に拾っている時間すら無い。
しまった!と思った時には音はすぐそこまで来ていて。
「あ──」




