フーリン視点
※あらすじの注意書き必読
「ぐふぉっ!!」
盛大に吹きこぼしたジュースはテーブルに飛び散った。食べかけのケーキにかかってしまったかもしれない。
しかしそんなことに注意を配る余裕もないほど、私はとある記事に目を奪われていた。
──【速報】第二皇子ギルフォード殿下の花紋、遂に公開!!
大きな見出しでそう書かれた新聞を、私は無意識に握り潰す。
いや、そんな、まさか。
恐る恐る服の裾を捲り上げ、お腹にあるその痣のようなものを凝視する。
「……うそ、でしょ」
その痣は新聞記事に載っているものと寸分違わず同じ模様をしている。何度も見比べてみてもその痣が新聞に掲載されている図の紋様と違うということを証明できない。
「私が、第二皇子殿下の伴侶……?」
呆然と呟いた声は空気に溶けて直ぐに消えていった。
私が住むこの国の皇族には『運命の伴侶』がいる。
運命の伴侶とは唯一無二にして、その皇族の寵愛を一身に受ける存在だ。
皇族が十八歳という成人の節目を迎えると、花紋という花の形をした紋様が身体のどこかに浮かび上がる。
そして運命の伴侶は成人いかんに関わらず、皇族の方に紋様が出れば伴侶の身体にも花紋が現れる。
花紋が出現すると、この国の皇族は紋様を世界に公開して伴侶が名乗り出るのを待つ。
当然自分こそが伴侶だと偽る者も出てくるが、皇族は一目見て自分の伴侶か否かを判別できるので、直ぐに偽りだと分かってしまう。偽りを述べた者に対しては厳しい処罰が定められており、法が制定されて以来そのような者たちは殆ど現れなくなったという。
ちなみに何故わざわざ公開するのかと言うと、稀に花紋に気づかない伴侶がいるそうで、発見するのが遅くならないように自身の体を確認しろという意味を持たせているのだそうだ。
子どもを持つ親は当然子どもの身体を確認しなければならない。
「いやいやいやいや、だからと言って何で私?」
新聞記事にでかでかと載っている皇子の花紋は薔薇のように幾重にも花弁が重なっており、それは一つの芸術として認められるほど美しい。
普通ならば綺麗だなあで終わるところであったが、同様の紋様が私のお腹にもあるわけで。
確かに最近お腹に痣みたいなのができていて何処かにぶつけたのかなー?なんて呑気に思っていたりはした。
それが痣ではなくて花紋だったなんて。
いやでも、ともう一度、今度はお腹全体を見てみる。
でっぷりと出たお腹は三段腹、いや細かいところも数えれば六段腹だ。
お母様譲りの綺麗な菫色の瞳も瞼の重い肉に潰れ、お父様からプレゼントされた腕輪も肉に食い込んでしまっている。
そう、はち切れんばかりの巨体を持つ私はぽっちゃりなんて可愛らしいものじゃない、紛うことなき──デブなのだ。
裕福な商家に生まれ、両親に蝶よ花よと甘やかされて育てられた私は小さい頃から食べることが大好きだった。特に脂がたっぷりのったお肉なんて大好物だし、これでもかとのせられた生クリームのケーキは毎日欠かせない大好きなおやつだ。
野菜も食べているからかそこまで肌荒れはしていないものの、全身を見れば完全にアウトである。
全身鏡に映る自分を見て発狂しそうになるのをなんとか抑えて、再び新聞に目を移す。
そこには凍てつく美貌を存分に披露した殿下の絵姿が載っている。
初めて見る殿下の容貌に目眩がした。
こんな体でこの女神の生き写しのような顔をした殿下の隣に立てって!?無理!!
けれど身分問わず、花紋が現れた者は申告制で必ず王城に赴かなければならない。そこは特に法が定められているわけでもないが、伴侶が参上するのは暗黙の了解となっている。
つまり、私が殿下の伴侶になることは避けられないことなのだ。
わなわなと震える手をギュッと握る。
──決めた。私、ダイエットする!!
痩せて、少しでも見られる体になって、貴方の横に立てる自信ができたら会いに行く。
それまで待ってて下さい!殿下!
ふんっ、と気合を入れて私は残りのケーキを口いっぱいに頬張った。
かくして始まった過酷なダイエット生活、かと思われていたが、花紋の公開から早半年、正直に言おう──進捗はゼロだ。
ダイエットに対するやる気が持続したのは最初の三日間だけ。
食事制限をしようとすれば使用人から体調を心配され逆に量が増えてしまい、残すわけにもいかず全て平らげることになった。しかもその日から量がさらに増えた気がするが、開き直って全て食べている。
また運動をしようとしても元々太りに太った重い体を動かすのは至難の業で、自分自身のことをきちんと把握せずにキツいノルマを課してしまったが最後、何かと理由をつけてサボった。
だって仕方ない。目の前に誘惑があれば従ってしまうのが人間の本能というものなのだ。
鏡を見ながら自分に言い訳をしていると自室のドアが叩かれた。
「ただいま、私の天使。元気にしていたかい?」
「お父様!お帰りになられたのね!」
「ほら、お土産のバターケーキだよ。街で何時間も並ばないと買えないほどの人気商品だそうだ」
「まあ、とっても嬉しいわ!」
お父様は仕事に忙しい人で、家に不在のことが多い。寂しく感じることもあり、それを察したお父様はこうして家に帰るたびに素敵なお土産を買って来てくれるのだ。
こうしたお父様の愛情が痩せない原因の一つでもあるんだけど。
十年も前にお母様が亡くなってから、お父様の溺愛ぶりは激しくなった。妻が亡くなった寂しさを紛らわすためでもあったんだと思う。
あれこれ買ってきては私の食べるところを見て喜ぶ。そしてさらに私に喜んでほしいと言って、仕事にかこつけて世界中の食べ物を持って帰るのだ。
デレデレと締まりのない顔で私の頭を撫でるお父様は立派な親バカである。
「そういえばまだギルフォード殿下の伴侶が現れないみたいだね」
早速バターケーキを食べようかと、お父様とお茶を楽しんでいる時、お父様の口からそんな言葉が漏れた。
不意打ちをくらった私は紅茶を吹き出しそうになったが、今回はお父様がいる手前なんとか耐えることができた。
私をその伴侶だとは露ほども思っていないお父様は和やかに話を続ける。
「半年経っても名乗り出る者が誰もいないなんて前代未聞だと言われてるみたいだねえ」
そう、私がこうしてのうのうと過ごした半年の間、世間では第二皇子の運命の伴侶についての話題が尽きることはなかった。
公開して一ヶ月目、再び花紋が掲載され、伴侶の名乗り出が催促された。
二ヶ月目は第二皇子殿下のメッセージが掲載され、氷の殿下が綴る熱烈な恋文が多くの女性たちをわかせた。そして世間は未だ現れない伴侶について憶測を立てた。
三ヶ月目からは第二皇子の運命の伴侶は実は既婚者だとか、奴隷として隣国に囚われているだとか、実はもう死んでいるとか、あらぬ噂が回り始めた。
そしてこの頃から大人しく待っていられなくなった殿下が直々に動き始め、関係ない者たちでさえ色めきだった。
そして六ヶ月目の今、皇都にある全ての貴族の屋敷を回った殿下は次は平民の住む地域にまで足を伸ばすことになったという。本当ですか。
「この前城に上がった時ギルフォード殿下をお見かけしたんだが、顔色が悪くてなあ。早く見つかることを祈るばかりだよ」
罪悪感が私を襲い、ダラダラと冷や汗が流れる。
「それにしても殿下の伴侶はどのようなお方なんだろうね」
運命の伴侶は目の前にいる貴方の娘です、なんて言ったらお父様は泡を吹いて倒れるだろう。
「皇太子殿下の伴侶は大層美しい方だからねえ。ギルフォード殿下の伴侶も目も眩むような美女に違いないと世間は騒いでいるみたいだ」
ごめんなさい。美女とは程遠い、ただのデブです。
「ああ、そう言えばギルフォード殿下だがね、もうすぐ我が家にも来られるとお聞きしたよ」
「え!?ち、ちなみにもうすぐとは……」
「うーん、一週間もしないうちにくるんじゃないかなあ。まだ正式な通知は来てないけどね」
お父様の言葉に自分の顔が真っ青になったのが分かった。
いくらなんでも一週間で痩せろなんて無理だ。殿下が家に来たが最後、おもてなししなければならない。
つまりバレる。
物理的にも精神的にも追い詰められた私はここに来てようやく腹をくくった。
「お父様!私、留学したい!」
「え!留学!?」
驚愕の瞳で見つめられて私はしっかりと頷く。
「私ももう十六だし、お父様の跡を継げるよう勉強をしたいの」
「……いや、でもまだ早いんじゃあ。勉強するなら別に国内でも」
「お父様!」
必死に私を家に留めようとするお父様に向かって高らかに言い放つ。
「可愛い子には旅をさせよ、です!」
ピシャーンと雷に打たれたように一瞬固まったお父様は震える手で大袈裟に涙を拭う仕草をする。
「ああ、こんなにも大きくなって。分かった、私の持てるツテでお前が頑張って勉強できるように最高の環境を整えよう」
「わあ!お父様、ありがとう!大好き!!」
笑顔でそう言えば私大好きなお父様はデレッと相好を崩す。
しかし直ぐにキリッとしたかと思うと、慎重な声でこちらを伺ってきた。
「ち、ちなみに留学はいつからしたいのかな?」
「明日には」
「明日!!??」
これには流石のお父様も愕然としていて、いやいやと首を横に振る。
「お願い、明日が無理なら明後日でも明々後日でもいいの。とにかく一週間以内には留学したいわ!」
「どうしてそんなに早く行きたいんだい?」
「気付いたの、これまでなんて怠惰な生活を送ってきたんだろうって。私は変わりたい!だから今このやる気があるうちに早く行きたいの!」
そしてここではない場所でダイエットに成功してみせる!
母国を離れれば私を甘やかす存在もほとんどいなくなる。そして慣れない環境に身を置いているうちに痩せることも考えられる。
そしてなにより殿下に捕まるまでの時間を延長できるのだ!ここ重要!
「お願い、お父様」
「……ああ、勿論だ。父親として可愛い天使の願いを叶えよう」
こうして私は長期留学という名目でダイエットに励むことを決意したのであった。