5 食材と図鑑【★】
さっきまでうさぎの魔物がいた場所に近づいてみると、丸い果実らしきものがひとつ、白い光に包まれていた。
大きさは手のひらに乗せられるくらい。
桃のように縦に割れ目が入っているけど、全体を覆ううぶ毛はなく、少し大きなすもものように見える。
色はオレンジからピンクのグラデーションで、なんだかおいしそうな色合いだ。
思いきって指先で白い光に触れる。
……うん、なんともない。大丈夫。
光の中に両手を伸ばし、ピンク色の実を包み込むようにして手のひらに乗せる。
すると白い光が霞むように消え、手の中の実だけが残った。
これが……。
手の中の実をじっと見つめる。
何の変哲もない、おいしそうな果実。
ゆっくりと顔に近づけてみる。
ふわりといい匂いが鼻をくすぐった。
桃のように甘やかな匂いだけど、柑橘類に似たさわやかさも感じられる。
……ほんとに魔物が食材に変わっちゃったんだ。
すごい。すごい、けど……。
さっきまで対峙していた魔物は、まるで手品のように跡形もなく消え、なんの痕跡もない。
これがうさぎの魔物だったんだよね……。
わたしの姿を見た途端、牙を剥き襲いかかってきたうさぎの魔物。
なんとか倒すことができたけど、ひとつ間違えば死んでいたのはわたしだったと思う。
思いだすだけで背筋がぞくりと震える。
魔物を相手にして、あんなふうにためらっていたらいけないんだ。
生き物の命を奪うことに抵抗はある。
でもこの世界でがんばるって決めたんだから、そんなことを言ってたらダメだ。
ためらうことなく魔物と向き合わないと。
それに、これも──
手の中にある果実を見つめる。
食べものを口にすることは、命をいただいていることだって、子どもの頃そう教えられた。
だからわかっていたつもりだったけど、今思うとどこか遠くのできごとのようで、強く実感したことはあまりなかったように思う。
でも、生き物が食材に変わるのを目の当たりにして、あらためて考えさせられる。
この食材はわたしが奪った生き物の命そのものだ。
メリエンダで手に入れた食材を無駄にしたらいけない。
命をいただくことに感謝して、この世界で生きていくための糧にしていこう。
そう心の中で決意すると、果実を前にそっと目を閉じる。
……いただきます。
目を開けると、ゆっくりと果実を顔に近づけていく。
よく熟れた桃のような甘い香りがする。
おいしそうな匂い。
それに鮮やかなピンク色の実は見た目にもおいしそうに見える。
どっしりと重たいから、食べごたえもありそうだ。
口元に近づける。
大きく息を吸って吐きだすと、意を決してがぶりとかじりついた。
甘くさわやかな香りが鼻孔を通り抜ける。
んーっ! 甘酸っぱくておいしい!
中は濃い黄色の果肉。
実がギュッと締まっていて、甘くてジューシーだ。
そのまま夢中になって食べ進めていく。
実の中心にはクルミのようなゴツゴツした大きな種があったが、アボカドの種のようにぽろりと取れてしまった。
すももよりネクタリンに似てるかも。
もとは魔物だからちょっと心配だったけど、とってもおいしい!
さわやかな甘さに、ほっと気が緩んでいくのを感じた。
はじめて魔物と戦って、思っていた以上に緊張していたのかもしれない。
あっという間に食べ終わってひと心地つく。
さてと。これからどうしよう?
うさぎとの戦いで、銃の使い方はなんとなくわかった。
この銃があれば、わたしでも魔物に対抗できると思う。でも……。
わたしはポシェットから図鑑を取りだして、銃のページを開く。
魔銃メリエンダ Lv.1
通常弾 3/5
弾数回復 120分
図鑑登録数 1件
やっぱり……。
通常弾の表示が5/5から3/5に変化している。
ちらりと腰のベルトにあるメリエンダを確認すると、残数を示す石が光っているのは3つだった。
つまり、あと3発しか弾がない。
弾数回復までは120分かかる。
さっきうさぎ相手に2発撃ったばかりだから、あと約2時間は弾数が回復しないということだ。
正直、ものすごく心許ない……。
メリエンダのレベルが上がれば、弾数が増えたり、弾の回復速度が早まるって神様は言ってた。
あと残り3発。魔物を倒すうちにレベルが上がるだろうか?
弾数が増えて、増えた分の弾でまた魔物を倒して、レベルを上げて……そうすれば、なんとかなりそうな気もする。
でも、レベルが上がらなかったら?
さっきみたいに、撃ってもはずしちゃうことだってあるだろうし……。
それに、レベルが上がったときに確実に弾数が増えるのか、増えたとしてもどれくらい増えるのかもわからない。
そんな不確かなものに頼るわけにはいかないよね……うん?
ふと、図鑑の表記に違和感を覚え、もう一度ページを見直す。
図鑑登録数 1件
これ、さっき見たときは0件だったよね?
パラパラとページをめくっていくと、写真のように鮮やかな絵と記述のあるページを見つけた。
さっきのうさぎの魔物と今食べたばかりの果実が描かれている。
【 森うさぎ (緑) 】
→ルルフェナ
甘酸っぱくてさわやかでジューシー。
僕のお気に入りだよ。
図鑑登録数ってこれのことだったんだ。
そういえば、神様が魔物を倒すと図鑑に記述が増えるって言ってたっけ。
ということは、森うさぎっていうのがさっきのうさぎの魔物の名前で、カッコの中は核の色……かな?
で、ルルフェナっていうのがあの果実の名前なんだ。
そのあとの説明らしきものは、もしかして神様からのコメント?
たしかにあの果実はとってもおいしかったなぁ……。わたしもお気に入りになりそう。
残りのページにも目を通し、記述に変化がないか確認していく。
ひととおり確認を済ませると、図鑑をポシェットに片づけた。
ほかに目を引くような記述は見当たらなかった。
残弾は3発。回復まで約2時間。
弾数が心許ない状態で、いつ魔物が襲ってくるかわからない森の中にいつまでもいるのは危険だ。
まずはなんとかこの森を抜けださなくちゃ。
辺りを見まわす。
見渡すかぎり木々が連なっていて、森が途切れるところは見つけられない。
どっちに進もう……?
地面をつぶさに観察していくと、ほかより踏み固められた場所を見つける。
目でたどると、頼りないながらもか細い道が続いているようにわたしの目には映った。
きっとどこかに人の住む街があるはず……!
空を見上げると、太陽はまだ高い位置にあった。
よーし、まずはこの道をたどってみよう!
* * *
ここは、いったいどこ……?
歩いても歩いても同じような風景が続くばかり。
ちゃんと進んでいるのかさえも自信がなくなってしまった。
「だれか、いませんかー……?」
不安な足取りで歩きながら、絞った声で呼びかける。
声は日が傾くにつれ色濃さを増した森の中に溶けて消え、辺りはまた静けさを取り戻した。
もっと大きな声をだしてみようかな……?
でもそんなことをしたら、魔物をおびき寄せてしまうかもしれない。
そう思うと、怖くて声を張り上げることができなかった。
どうしよう。このままじゃ野宿になっちゃう……。
暗くなるにつれ、空気が冷たさを帯びていく。
このままだと夜はかなり冷えるような気がする。
寒さをしのぐためのコートや毛布もなく、それどころか水も食料も明かりさえもない。
魔物が徘徊する森の中で、無事に一夜を明かせるとはとても思えなかった。
ちらりと腰に下げているメリエンダに目を向けると、弾の残数を示す石の光は1つだけだ。
あのあと、大きなしっぽを持つウーパールーパーみたいな顔をしたリス──図鑑によるとビッグテイルというらしい──と鉢合わせして、苦戦しながらもなんとか倒すことができたけど、2発も弾を使ってしまった。
それからすぐに2時間が経過して1発回復したものの、地面から飛びでてくるネズミのようなモグラのような魔物に遭遇し、1発はずして逃げだしてきてしまった。
残りあと1発。
もう本当にいざというときしか銃は使えない。
ここまで魔物と出遭わないよう注意深く身をひそめて歩いてきたけど、一向に森が途切れる様子はなく、不安が胸をよぎる。
もしかしてわたし、森の奥に向かってる……?
戻った方がいいのかな?
でも、やっぱりこっちの方向が正しいのかもしれないよね……。
考えれば考えるほど、今進んでいる道でいいのかわからなくなってしまう。
「ダメダメ! こんなところで不安になっても仕方ない。考えたってわからないんだから、とにかく足を動かさなくちゃ!」
不安な気持ちを振り払うべく、声にだして自分を叱咤すると、そのまま目の前の道を進むことにした。
あらためて歩きだしたところで、地面にある赤いものに目が留まる。
「あれ?」
あの木の下に生えてるのって……。
近寄って確認してみる。
「やっぱりキノコだ!」
実際に生えてるとこ、はじめて見たかも。
これ、食べられるかな?
そばに屈みこんで、じっくりと観察する。
真っ赤な傘にたくさんの白いイボ。
見た目は菌類図鑑で見た、毒キノコの代名詞ベニテングタケに似ている。
でもここは異世界だ。
見たことがない植物や動物も見かけるし、魔物なんてものまで存在する。
だからこのキノコだってベニテングタケとは違うもので、食べられるかもしれない。
それに、こういう毒々しい色のキノコの方が平気だって聞いたことがある。
野宿するかもしれないんだから、食べられそうなものはできるだけ確保しておかなくちゃ。
落ちていた木の枝で浅く地面を掘り返しながら、ベニテングタケもどきを採取していく。
「あ、あっちにも生えてる!」
目につく大きめのキノコを採り尽くし、ポシェットにしまっていると、近くの倒木に茶色いキノコが生えているのを発見した。
すぐに倒木の元へと走り寄る。
こっちはシイタケみたい。
おいしそう!
こっちも確保しておこう。
速やかに採取に取りかかる。
シイタケもどきは倒木に点々と生えているので、根元を掴んで一本一本慎重に抜きながら、スカートの上に乗せられるだけ乗せていく。
そうしてたくさん集めたところで、ポシェットに移そうと留め具に手を伸ばした。
──カサリ、と葉が擦れる音が耳に届く。
魔物?!
わたしは慌てて立ち上がった。
その勢いでスカートに乗せていたキノコがバラバラと地面に散らばっていく。
あーーっ! せっかく拾ったキノコが! あ、ううん、今はそんな場合じゃ……!
銃を取りだして構えると、耳を澄まし、ゆっくりと周囲に視線を巡らせていく。
最初に聞こえたかすかな葉擦れの音以外は、物音ひとつしない。
気のせい?
でもたしかに聞こえたよね……?
内心で首を傾げつつ、後ろを振り返ろうとしたそのとき。
目の前の茂みのそばから、音もなくなにかが姿を現した。
「ここでなにをしている!」
「きゃあっ!」
予想もしていなかった人の声に、驚いてびくりと肩を震わせる。
その拍子に引き金にかけていた指に力が入ったらしい。
銃口から白い光の弾丸が飛びだして、声のした方へと飛んでいく。
向かう先には黒い髪の男の子が立っていた。
「っ!!」
「危ない!」