20 スイカボチャ(前編)
ハンナさんに続いて食堂に入ると、相変わらず爽やかな酸味を感じさせるトマトの匂いが広がっていた。
おなかが空きすぎたせいか、さっきよりずっと強く匂いを感じてしまう。
おいしそうな匂いから意識を逸らすべく食堂内に目を向ければ、今まさにトマト煮込みを口に運ぼうとしている人や、とろっとろのオムレツをおいしそうに頬張っている人がいて、さらに胃が刺激されてしまった。
あぁ……なんて、なんて目と鼻に毒な空間なんだろうか……。
「あんた! 今ちょっといいかい?」
あまりの切なさにがっくりと肩を落とすわたしを尻目に、ハンナさんが厨房にいるご主人のクヴァルさんに向かって呼びかける。
「なんだ? 急ぎじゃないなら後にしろ」
クヴァルさんは料理を作る手を止めず、端的に答えた。
「まぁ、急ぎっちゃ急ぎなんだよ。この子にとってはね」
そう言ってハンナさんはちらりとわたしに視線を向ける。
ハンナさんの視線を追ったクヴァルさんはわたしの姿を確認すると、「ちょっと待ってろ」と言って手早く料理を仕上げ、エイミーちゃんに手渡すとわたしとハンナさんの方にやってきた。
「どうしたんだ?」
「ちょっと捌いてほしいものがあるんだよ」
「捌いてほしいもの? どれだ?」
クヴァルさんの問いに、ハンナさんは少し困ったような顔になる。
「うーん。それがねぇ、かなり大きくて重そうだったから、私らだけじゃ厨房に入れるのは無理そうなんだよ」
「そんなに大きいのか? 今どこにあるんだ?」
「一応ここにあるんだけどね」
そう言ってハンナさんはわたしのポシェットを指差した。
それを見たクヴァルさんは怪訝そうな表情を浮かべる。
んん? ハンナさんの言う大きくて重そうなものって、スイカボチャのこと?
じゃあ、捌くって……。
「あの、もしかしてスイカボチャを切ってくれるんですか?」
「そうだよ。あんなちっこいナイフとあんたの細腕じゃ切れっこないからね。ああいうのは専門家に任せた方がいいんだよ」
「ほ、本当に? 本当にいいんですか?!」
「もちろんだよ。まったく、切るくらいで大げさだねぇ」
やったー! うれしい!
これでスイカボチャが食べられるかもしれない!
正直、この魅惑の香りが漂う空間にいると、ちゃんとしたごはんが食べたくてたまらないけど、この際おなかいっぱい食べられるならなんでもいい!
「ありがとうございます! あ、スイカボチャならわたしがどこへでも運びますよ!」
どこでもいきます! と意欲を見せると、ハンナさんはくすりと笑った。
「なんだい、萎れたと思ったらすぐ元気になって。忙しい子だね。でも、じゃあどうしようかねぇ。お客さんであるユウナを調理場に入れるわけにはいかないし……」
そう呟きながらハンナさんは思案顔で食堂に視線を巡らせる。
「もう常連しか残ってないね。……よし、そしたらそこのテーブルを使おうか。ユウナ、こっちにおいで」
ハンナさんに連れられて、食堂の隅の空いているテーブルまで移動する。
いつもは厨房からでてこないクヴァルさんが一緒のせいか、お客さんたちは何事かとわたしたちの様子を窺っているようだ。
「ここにさっきのスイカボチャをだしてくれるかい?」
「はいっ!」
ハンナさんとクヴァルさんに見守られる中、言われたとおりポシェットからスイカボチャを取りだしてテーブルの上に置く。
その途端、テーブルがミシミシと音を立てはじめた。
「わわっ!」
テーブルが壊れちゃう!
慌ててポシェットの中にスイカボチャを戻す。
わたしの横でクヴァルさんがスイカボチャを一瞬だけ置いたテーブルを驚いた顔で凝視していたので、不安になってテーブルを確認するが、特に異常は見当たらない。はあぁ、と安堵の息を吐きだす。
よかった。危うく壁に続いてテーブルまでダメにするとこだった……。
「このテーブルじゃ無理そうだねぇ……。エイミー! 前に使ってたテーブルクロスを持ってきてくれるかい?」
「うん、わかった」
エイミーちゃんが足早に食堂からでていくと、一部始終を見ていたお客さんたちが騒ぎはじめた。
「……なぁ、おい。さっきの見たか?」
「あれはなんだったんだ?」
「スイカボチャ、だったよな?」
「バカいえ、あんなでかいスイカボチャがあるか」
やっぱりわたしが持っているスイカボチャは通常よりもかなり大きいようだ。
……でも、それってどうしてなんだろう?
「ユウナ、今のうちに椅子とテーブルを動かすよ」
「あ、はい!」
エイミーちゃんを待っているあいだ、ハンナさんとクヴァルさんとともにスイカボチャを置く場所を確保しようと椅子やテーブルを動かしはじめる。
すると、近くの席にいたお客さんが声をかけてきた。
「手伝おうか?」
「あぁ、悪いね。助かるよ。じゃあ、このテーブルを動かすのを手伝ってくれるかい?」
「俺も手伝うよ」
「力仕事なら任せとけ!」
「酔っ払いが大丈夫かぁ?」
ハンナさんの言葉をきっかけに、数人のお客さんたちが冗談を言い合いながら集まってくれた。
「持ってきたよ」
エイミーちゃんが戻ってくると、みんなで空けたスペースにその布を広げて敷いていく。
「ユウナ、ここにだしてくれるかい?」
ハンナさんに言われ、「はい」と答えると、スイカボチャを取りだして敷かれた布の上に慎重に下ろした。
「すごーーい!」
「うわっ! なんだ?!」
「ほらな、やっぱりスイカボチャだろ?」
「いやいやいや、なんだよこのでかさは……!?」
エイミーちゃんやほかのお客さんたちからどよめきが起こる。
いつの間にか食堂にいたほとんどの人がスイカボチャの周りに集まっていた。
「あんた。これなんだけど、なんとかできるかい?」
「どうしたんだ、このバカでかいスイカボチャは……」
「それがねぇ……」
ハンナさんが困ったような呆れたような顔でわたしの方を見ると、食堂中の視線が一気にわたしに集中した。
「……すみません、実は──」
おずおずと部屋でハンナさんに話したのと同じ内容をできるだけ簡潔に説明していく。
説明が進むにつれ、最初は真剣だったみんなの顔が次第に呆れを含むものに変化していくのがわかり、話す声が小さくなっていってしまった。
「おいおい、嬢ちゃん……」
「てっきりいいとこのお嬢さんだと思ってたんだが……」
「部屋でこんなバカでかいのを切ろうとか、どう考えても無茶苦茶だろ……」
説明を終えた途端、みんなが口々にいろんなことを言いはじめた。
「このばかでかいスイカボチャはどうしたんだ?」
「これは……その、森で手に入れました」
「森でって、西の森でか?」
「はい……」
「嬢ちゃんがひとりで行ったのか?」
「そんなわけあるか。子どもがひとりでいける範囲にこんなもんはねぇよ。だれか大人と行ったんだろ?」
「あ、えーっと……」
「じゃあその一緒に行ったっていう大人はどこにいるんだよ? こんなかわいい子がひもじい思いをしてるってのによぉ」
どうしよう、なにか誤解されているような気がする……。
「ちょいとあんたたち。言っとくけど、その子は子どもじゃあないからね」
「……はあ?」
ハンナさんの言葉に、お客さんたちみんながぽかんとした顔つきで固まった。
「今、子どもじゃないって言ったのか?」
「あぁ、そうだよ。見た目はともかく、その子は冒険者なんだ。れっきとした大人だよ」
み、見た目はともかくって……。
そんなに子どもっぽく見えるかな?
まぁこの世界では15歳が成人だけど、日本では未成年だったし、大人だって胸を張れるような自信もないけど……。
「うそだろ?」
「冒険者?! この子が?」
「つまり15歳以上ってことだよなぁ?」
「俺、絶対にエイミーちゃんより歳下だと思ってた!」
お客さんたちがわたしとエイミーちゃんを見ながらざわざわと言い合っている。
エイミーちゃんって14歳だよね?
それより下ってことは13歳とか12歳って思われてたの?
たしかにエイミーちゃんよりわたしの方が背は低いけど、そんなに大きな差はないと思うんだけどなぁ。
……んん?
あるお客さんがわたしとエイミーちゃんを交互に見て、うんうんと納得したように深く頷く仕草をしている。
気のせいかさっきからその視線がわたしの顔の少し下、ちょうど胸のあたりを彷徨っているような……
……って、そこかーーー!
うぅ、ひどい。
たしかに少ーしボリュームは心許ないかもしれないけど、わたしのはきっとまだ発展途上なだけなのに……。
がっくりと目線を下げると、みんなが好き放題いろんなことを言っている中、クヴァルさんだけがひとりスイカボチャの前にしゃがみ込み、具合でも確かめるようにいろんな角度から見たり触ったりしていた。
「あんた、どうだい?」
「……やってみよう」
ハンナさんが尋ねるとクヴァルさんは一旦厨房に戻り、大きな包丁を手に戻ってくる。
「クヴァルさん、よろしくお願いします!」
「……危ないから下がっていろ」
わたしを見てひとつ頷くと、クヴァルさんはみんなに少し距離を置くように指示をだす。
そうして準備を整えると、スイカボチャの前で腰を落とし、大きなヘタのすぐ横に包丁の切っ先を突き入れた。




